映画「イニシェリン島の精霊」もうじきWOWOWでやるかと思うが。待ちきれずブルーレイを購入してしまう。今年はこれと「対峙」を購入したらもう買わないつもりだ。
 
「イニシェリン島の精霊」劇場鑑賞の際は自分ではわからなかった部分を確認したいがために買ったのだが、この映画は鏡を見せられているようで非常に怖い。
もちろん自分=主人公のコリンファレルである。だれでも彼のようにしか考えられないのではないか?とさえ思うのだが…。
 
 
 
 
ロバのことを英語でドンキーというが、英語のドンキー=まぬけという意味もある。
これにはさすがにきづくことなく見ていた。
北海道を拠点とするファミレスでびっくりドンキーというのがあるが米国人が聞いたらびっくりかもしれん。
 
また時代設定が1923年の英国の島でその時代に日本にバイオリンの演奏旅行に行ける英国人は相当なお金持ちか地位の高かった人である。部屋に飾ってある能面でそこまで気づける人はそうはいないだろうが…。(実際に行ったかどうかは映画からは不明なのとはそんな人いたかどうかだが)
 
 
また結構考えながら見ていないとわからぬ映画である。アイルランドの内戦、キリスト教、いい人と利口な人ではどちらがよい人?知能の高い低い、美人かそうでないか、多くの人はAさんには好かれていてもBさんには嫌われているという当然のことを描いているような気もして結構深い。
 
①自分と長年仲良く遊んでくれていた友人が自分のことを気に入ってくれているとは限らない
本当は嫌いだとか(そうなら何十年も付き合えないとは思うが)そういう可能性はないだろうか?
②自分より知能が低い人を見ることによって得られる優越感は自分のほうが利口でお金も仕事も彼らよりも、あって幸せだからなのだろうが、自分もさらに自分より利口な人からそう思われている可能性はないだろうか?(世の中上には上がいる。早稲田大学に入れたとしても周りはみんな早稲田大生である。そうなると特別な存在ではなくなるのだが、早稲田を一歩出て法政大学のキャンパスに行けば自分は早大生、法大生よりも優れていると思うに違いないのだ。)
 
③映画やサッカー、旅行に行くことは時間の無駄だろうか?作曲は時間の無駄ではないのだろうか?牛の糞の話がそれらと違うのかという部分が何とも。人それぞれ価値観や思い入れが異なると思うのだが。
 
 
なんとも複雑なのかシンプルなのかわかりにくい映画ではあるが
なにやら人生のヒントを教えてくれているような映画だった。
 
主人公は最後まで自分の問題点には気づかない。
しかし人間生きたいようにしか生きられないのではないだろうか?
またコリンファレルは別に悪い人間ではないのだから。
なにやら、彼が可哀想に思えてならぬのだ。
 
同じ監督のスリービルボードは脚本もずっとわかりやすかった映画であったが。
 
やっぱりこのような映画は見ない方がよかったのかもしれない。
余計なことを模索している時間はないのだが・・・。
マー自分も嫌だなあ―この人と思いながら長く付き合っている人は何人かいる。