1981年5月26日火曜日 読売夕刊

この作品は1に比べインパクトが弱かったのかあまり話題にはならなかった

(劇場公開はこの2まででおわりそのあとはビデオである)

カラー作品アメリカ映画とあるがこの部分は法的に同課はわからぬが実際は日本のテレキャスジャパンという

会社が残酷な場面のニュースなどをつなぎ合わせて作った日本製海外ドキュメンタリーではないかと推測する。

 

1を別々の劇場で合計4回分ほど見るほど好きだったミーボーだが、この2のロードショーにはいかず

池袋日勝地下で1本立てで¥300でわざわざ横須賀から友人のOtoissyoni 見に来たのだがOはこんなくだらない映画にわざわざ池袋まで出てこさせるバカがどこにいる?

と本気で怒っていたことを思い出す。

 

上映劇場は大方1と同じだ。

この中で最も大きいスクリーンで見れたのは川崎グランド1かとおもう。その次は横浜ピカデリーだ。

新宿東急も丸の内東映パラスも中級劇場だが前出の2館には負ける。

 

指定席は¥2000とある。横浜ピカデリー2Fには間違いなく指定席があったが新宿東急にもきっと当時はあったのだろう(自分がいき始めてからは指定席そのものがなくなっていた)

 

うすら覚えであるがこの映画で覚えているのはケンタッキー・フライド・チキンが契約する大きな養鶏工場

で鶏の首が瞬時にまとめて機械でカットされ「と殺」されるシーンでありそのあとで(わざわざ撮影したのか)実際に米国でケンタッキーフライドチキンを法バル白人家族が映し出される。

 

あーいうものをみるとケンタッキーは食べられなくなるなあ。

 

そのあとも牛のと殺シーンが続いたかと思う。

今は見たくないが17歳のみーぼうはやや興味本位でそういった場面も真剣に見ていたようにも思う。

 

●現在ではドライブレコーダーの映像が最もよくTVで流されているがまー

この映画のようなものが流行ることはもうないようにも思うし、そのほうがいい。

映画はドキュメンタリー映画も通常のストーリー物も含めてすべて人間の創作である。

その撮影された内容が本物であれ事実はもはやだれにもわかるまい。