1978年3月17日金曜日 読売夕刊

 

「フレッシュ・ゴードン」は実際は1973年のポルノ作品だがすこし加工して日本では小学生でも見れた。しょうもない映画だったけど

地方では相当数の人が見たと思う。

 

まだ1980年のフラッシュゴードン封切り前である。

 

これを見たのは横須賀有楽座だったのだがなんと2本立てだったかおそらくウィリアム・デヴェインの「ローリングサンダー」だったと思う。アメリカ人も多分こっちが観たくて何人も見に来ていた。

(ベトナム戦争ではローリングサンダー作戦というのもあったのだがそれとは基本関係のない話)このころは空母ミッドウエーが横須賀をすでに母港化していて、アメリカ人が本当にいっぱいいた。

 

サイゴン陥落後行き場を失った南ベトナム人(米軍が支援してた方)を一時ミッドウェーに乗せて保護した?こともあるくらい何度もベトナムにいった船とかって聞いたことある。

 

映画と直接関係ないがベトコンとはもともとは南ベトナム人が北の方(ホーチミン率いる)がいいやと言って作られた「南ベトナム民族解放戦線」(米国の敵になった南ベトナム人)の事であり、非常にわかりずらい。米国人はVC(ヴィースィーと発音する)やチャーリーと読んでいた。

ちなみにVCはベトナミーズ コミニストの略でありベトコンの略ではないので注意が必要だ。これではどの南ベトナム人が米国の味方なのかわかりゃしない。しかもベトコンは軍服を着ていない。

 

当時南ベトナムを仕切っていたゴ ディング ジェム(暗殺された)

が米国からの支援金を自分で使っていたという事が発覚して南の反乱勢力

ベトコンが生まれてしまったのだ。北のホーチミンの方がいいと。

 

これでは戦争も何もなあ。

 

いったい誰のための戦いかと。

 

 

映画ディアハンターなどでサイゴン陥落のころの映像は出てくるものの捕虜にロシアンルーレットをやらせる男性の話す言葉はベトナム語を装った全く別の言語である(おそらくタイとかの言葉)

ベトナムに行っていた米国人ならわかる人もけっこういたと思うけどな

 

 

 

人それぞれだと思うけど

ベトナムで仲間が死んでしまった人もここの劇場でフレッシュゴードンをみて笑ったりしていたんだろうな。負け戦のあともやっぱりアメリカという国はどこまでもお金があったんだろうなあ。1976年には建国200年祭を横須賀でも大々的にやってたしな(そういう気分じゃないという人もたくさんいただろうけど)

 

 

 

 

 

「真夜中の向こう側」はローラーボールのジョンベックが主役。

いまだにみていない。