1979年12月21日朝日夕刊

いまから40年前の新聞だが、これらの映画の事はまるで1か月前に見たことのように覚えているのは

それほど脳が若かったのかもしれない。

まるで新品のハードディスクのように。

この2本だが自分は2本立てで地元の横須賀劇場(横須賀最大で約400席)で始まってすぐに見たと思う。

お正月映画の場合は横須賀でも銀座におくれることおおよそ1週間くらいだったろうか。

それほど多くの映画が封切られていて間に合わなかったのだろう。

 

マイライフというのはポールニューマンの奥さんと娘が共演するマラソン物ではっきりわからないが米国ではTV用作品だった可能性もあるかなり当たり前の作りのものだったが日本では相当な話題作でどうしても見なくてはいけないほどお客の呼べる作品だった。その証拠に同時上映はかなりどうでもいい「Mr.BOOギャンブル大将」でとくに見たくもなくまた見ても日本人はまったく笑えない内容の

作品であるうえMr.BOOシリーズは最初のブルースリーの電光石火と同時上映だったものが最新作で次作のギャンブル大将はその前の作品だったのだ。(ヒットしたから古いものもというブルースリー作品のような公開の方法だった=もちろんゴールデンハーベスト作品だ。)

 

しかしこの作品を¥1300払い丸の内東宝(日劇の地下にあった洋画専門館)で見に行った人がどれほどいたのかが興味深い。


Booのほうがマイライフよりも都心での公開劇場数が多い。




地方のほうが人は断然入る。まえにかいたカサンドラクロス+ラストコンサートと同じくマイライフを見たい人の多くが「Mr.BOOギャンブル大将」も見て帰るからだ。多くの人が2本きっちり見て帰るというのもこの時代の特徴かも。時間より2本目の映画のほうが貴重だったわけだ。

 

 

マイライフは日本では多分ソフト化されていないようないまみたら何の感動もない映画だったようにも思えるけど…。

とにかく大ヒット作。

 

ミー坊はとにかくマイライフを2回、BOOを1.5回見て出たことも覚えている。2本見てあーこんなもんかあと思ったが、

この年は他もたくさんのいい作品があったから。(ミー坊はアルカトラズからの脱出とエクスタミネーターがほかのどれよりも面白かった)