やっと入手できた1974年10月4日金曜日の夕刊の広告。

(新宿区の図書館でいまやっと朝日新聞の縮小版が自由に見られるようになっているので、自分で探して見つけたもの。通常はいついつの月の縮小版と申し出て出してもらわないと見ることができないやっかいなものだ)

 

銀座ではテアトル銀座のチラシがあるがこのあとにやった可能性もある。

 

下に書いてあるヘルハウスも同じ監督なんだけど、ずっと前に撮影されていて、日本での公開が遅れた為公開は同時期になったらしい。エクソシストよりも怖い映画といううたい文句だった。

 

ダーティー~についてだが、時速230キロというシーンはでてこない。どこから来たのかな。(出ないような気もするな)

 

この映画の関連品についてはいろいろと集めているのでまーまー持っている。DVDやブルーレイも米国版+日本版で全部持っている。

 

それくらい好きな映画だ。

自分のなかでは最高級クラスの作品だ。


 

この当時

スバル座がメイン劇場の映画はいわゆる単館系作品で、地方の2本だてでも2番手の映画になる。

前売りを買えばポスターがもらえて、入場時に原作本が200名かサントラレコードが150名にもらえるって結構すごいなあ。

お客がはいらないと、ふんだんだろうかな。

 

 

1/18スケールのダッジ チャージャー1969年タイプ。映画のと同じ塗装。京商という会社が輸入したアメリカのオートワールドというメーカーの品でダッジと20世紀フォックスの版権も取って作られている。けっこうデカイ。1/18のスーザンジョージを乗せたいくらいだ。
 
 
ミニカーも出ている。(これはもっていない)
 
 
1983年に「徹子の部屋」にピーター・フォンダが出たときに
(だいじょうぶマイフレンドという日本映画に主演したことがあって
その頃は編集期間が短かったので撮影が終わってから日本のテレビで宣伝出演して1か月後の封切なんて言うのがけっこうあった。これもそうでまったくヒットしなかった。)
サングラスをかけていて、「自分は撮影に使った小道具をそのままもらって使っていることが多く、このサングラスはダーティーメリークレイジーラリーのときにかけていたものなんだ」と言っていたのだが、そのときの同時通訳の女性が「サングラスはダーティーメリーのときにつかっていたものです」と同時通訳でいっていて、たぶんこの映画のタイトルはもっていた紙の資料にはいっておらず(たぶんマイナー作品だったから)
クレイジーラリーが聞き取れなかったのでこのようにいったのだと思った。当時おいらは19歳でこういった細かいことをいちいち
つっこむような奴だった。
今はずいぶんとゆるい。
 
 
 
 
 
いちばんひだりにあるイーストウッドの「サンダーボルト」は配給がユナイトなのだが地方ではダーティー~との2本立てが多く組まれたっポイ。
かもめのジョナサン もずいぶんと話題作だったなあ。みていないと、遅れている人みたいな扱いの映画でうちの2番目の姉も観に行っていた。
(トラック野郎のやもめのジョナサンこと愛川欽也はここからきているのはうちらの世代なら常識だがそのうち知らない人もでてくるかなあ)