飛騨高山・富山へ。
ここ数日ずっと喉が痛く、夜中に咳き込んで眠れないとこまで来てしまったので(風邪ではないらしく喉だけ痛い。)丸一日煙草をやめてみたら今朝すこぶる快調です。丸一日吸わなかったのはおそらく数年ぶりのことですが、この勢いで年内禁煙達成を目指そうと思います。
さて、しばらく移動移動でこの10日間の移動距離は2000km超、車があるってのは便利だがさすがに疲れた。日光→新潟→飛騨高山→富山→新潟→日光→東京で一昨日ようやく日光に帰り着いたが、昨日は一日何もせず休養、なんとなく映画でも観たくなったので隣町のツタヤに物色に行ったがめぼしいものがなく、何故かウチの本棚に転がっていた懐かしい『エルム街の悪夢』を鑑賞、フレディ怖えー、映画の内容とはうらはらに心地よい眠りに包まれ今朝から日光は晴れ間が広がっています。
明後日は打ち合わせで水戸に向かうがこちらは日帰りなので楽チン、問題は今週末の悠日コック。土日二日間の中、日曜日29日は100人パーティーとのことで早朝から仕込みに入らなければならない、過去に80人までは経験があるが、100人分の料理を一人でこなすのは初めてなので気をひきしめなければなりません。大人数の時は基本、和食かイタリアンで対応してきたのだが先日食べたタイ・ベトナム料理が美味しかったので今回はアジアンを意識してまいりたいと思います。
と、こんな調子だったので今月はほとんど絵が描けなかった。来年の個展は6月頭から始まる予定なので、制作期間は12月を入れて残すところもう半年となる。過去に年間3回ほどのハイペースで開催していた時期もあったが、今では半年でも非常に短く感じる。サイズが大きくなったり密度があがったこともあるが、おそらく一枚描き上げるのに使うエネルギーが以前と段違いで、体力的にもこの半年の制作期間が長すぎず短すぎずちょうど良いと思われる。ホントはもう少し長くとりたいが、あんまし長いと体を壊してしまいそうというのがここ2年間で学んだことです。
とは言っても12月も何日かコックが入るので、年内はのんびりとした準備期間になりそう。
個展期間中のライブイベントも着々と計画が進んでいて、楽しみです。
前置きが長くなりましたが、ここしばらくの写真日記も更新しておきます。
新潟、いつものお絵描き教室でしたが今回は到着日がたまたまお寺の報恩講とかぶっていて、飛騨高山・富山もその件で行って参りました、運転手兼観光です。報恩講とは浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の法要のことで今年は748年忌にあたり、二年後の750回大遠忌にむけて各宗派ともに盛り上がり?をみせているようです。
自分としては歩き旅中も滋賀・富山は未踏の地、2泊3日の短い時間でしたが濃厚な時間でした、たくさん坊さんに会ったな・・・。
初めての土地は見るもの聞くもの全てが新鮮で楽しい。
飛騨高山は、自分の勝手なイメージでは『山奥の秘境』でしたが(事実『秘境ツアー』と書かれたバスが行き来している、これはなかなか失礼な話かも。)、平日の雨降りにもかかわらず繁華街は観光客であふれ、宿はどこもいっぱいの賑やかな場所でした。海外からの観光客も多く、こんな山奥によくやって来るなぁ~と感心していたら、「日本人にとってのスイスのようなイメージなんだろう。」と説明され、妙に納得してしまった。
高山には古い町並みが綺麗に残っていて、多くの酒蔵や醤油蔵の跡地が公開されている。以前中国で見たおばちゃんたちの井戸端会議場のような場所がいくつかあり、外国に来たような錯覚を覚える。
ただでさえ賑やかな街は、祭りの日が来るとさらに凄いそうだ。
『屋台』と呼ばれる山車が街の数箇所に保管されており、祭りになると御開帳となる。綺麗に施された彫刻や絢爛豪華な飾り、その大きさもさることながら面白いのは、ひとつひとつの屋台に施されたからくり。電線をよけるために上下に伸縮したり、狭い路地を行き来するのに編み出された車輪の細かい仕掛け、そして祭りのメインとも言われる屋台上のからくり人形達。これらのほとんどは江戸時代に造られ、今に伝えられている。
その屋台のいくつかを集めた『屋台会館』に行ってきたが、その傍らにからくり人形のみの展示小屋がありしばし鑑賞。人形自体の精巧さも素晴らしいが、それを操る人の技術もまた素晴らしく、こういった技術は廃れずに続いていってほしいものだと願うばかりです。
そして何故か!屋台会館の脇に『日光会館』なるものが。。なぜここに来て日光・・・・と、驚かされたが、どうやら東照宮の修復に携わった職人さんがこの高山の地に流れたとのことで、あまりに精巧な模型は15年の歳月を積み重ね大正時代に完成との事。。。すげー・・・。
(※なんだかよくわからんびっくりミニスカ女像のバックに連なる朝市のテント。)
飛騨高山に行くと言うと、「それなら朝市は絶対行ってきなね。」と言われる。
どうやら毎朝開かれるらしいこの朝市は、川沿いの通りにずらりと並ぶテント商店、主に地元の特産品や野菜が売られていた。観光の目玉でもあるようで、大型バスからぞろぞろと降りてくる人の波で、通りはいっそう賑やかになる。飛騨というと飛騨牛しか思い浮かばない私でしたが、たくさん美味しいもんをいただいてきました。
ここはまた遊びに来たいなぁ、、、と思わせる不思議な土地です。温泉も気持ちよかった。
帰り道、合掌造りで有名な世界遺産、白川郷・五箇山の相倉集落に寄り道。
世界遺産登録されたせいか、白川郷の建物はほとんどが民宿や土産物屋になっていました。観光客も多く賑やかでしたが、その点まだ生活の匂いが残る相倉集落は落ち着いた雰囲気です。どちらの集落も厳冬期には数mの積雪に覆われ、長い長い冬を過ごすことになるそうです。南国九州育ちの私には想像のつかない世界です。その地に暮らす人が一丸となってはじめて生活が成り立つ場所、寺の集会場の内壁に子ども達が描いたであろう落書きが印象的でした。
さらに帰り道、富山の大福寺へ。
こちらの住職は何年も前から噂を聞いていてお会いしたかったのだが、今回新潟での報恩講に法話でいらしていたところをたまたまでくわし、二晩お話できて、この帰りも立ち寄らしていただいた。
坊さんであり学者である住職は、どこにそんなに詰まっているのかというほどの博識、絵画の歴史にも詳しく面白い話をたくさん聞くことができた。コレクションも豊富で、お寺の正門内にその一部が展示されていたので拝見させていただいた。というかこの形の門って、内部はこうなってたのね。。。。
短い時間だったが貴重な体験でした。