フルトヴェングラー/ハイドン:交響曲第88番『V字』 | 弦楽器工房Watanabe・店主のブログ

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この曲が嫌い、もしくは退屈で最後まで聴き通せないという人があるだろうか。ユーモラスなハイドンのシンフォニーの中でも異彩を放つ器楽的な作品で、全編にわたり明るく快活な音楽性を優先して書かれたような雰囲気がある。
〇ハイドン:交響曲第88番ト長調『V字』

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ウィルヘルム・フルトヴェングラー
録音:1951年12月4、5日 ベルリン・ダーレム、イエス・キリスト教会
発売:2016年グランド・スラム(CD・モノラル) 
2トラック・オープンリールテープより復刻(制作:平林直哉)

大元はグラモフォンの初期テープ録音。このCDはLP盤からでなく古いオープンリールテープから復刻されている。モノラル方式の収録にもかかわらず(モノラルだからこそと言うべきか)、合奏の芯の強さと、奥行き感のある残響が心をとらえる。のちにカラヤンのグラモフォン録音の主要会場として知られるようになるイエス・キリスト教会は、フルトヴェングラー時代の同社のセッションにも度々使用されており、その定評のある豊潤な響きがここでも体験できる。特別な優秀録音と言えるかどうかは分からないが、オーケストラの稟質に加え会場の雰囲気までが洩れなく伝わるなら、良質な録音、復刻音だと考えていいだろう。大手メーカーによる旧時代録音のリマスターは、感度が良いわりに会場全体を包む生きた空気が削がれてしまうケースが多々あるため、当CDのような素朴な復刻音で聴いてみるのも、演奏の本質を知るうえで無駄にはならない。

ベルリン・フィルハーモニーは、同じフルトヴェングラーの指揮でも粋な立ち回りを見せるウィーン・フィルとは趣きを異にするが、その中身の濃い弦の響きに象徴される芸術性は、名楽団のひしめき合っていたLP初期においてもやはり孤高の位置を占める。音の量感、質感が芸の深さに正比例するとは言わないけれども、たとえばヴァイオリンの銘器と量産楽器を比較すると分かるとおり、深い情感や陰影を出すときに、器の大きさというものが非常な助けとなるのは事実だ。弦の弱いアメリカの楽団(当時)だと、大巨匠が振っても音楽が幾らか単調なものに聞こえる。トスカニーニやミュンシュは一見よく鳴らしてはいるが、こと弦楽器に関しては、随所で品格までを犠牲にしながら音を掻き出しているように私は感じる(粗悪なCD復刻のせいとかではない)。
英国のフィルハーモニア、ロイヤル・フィル、オランダのコンセルトヘボウなど当時のヨーロッパの名楽団を聴くと、みな弦セクションの鳴らし方に余裕がある。巨大な音楽を築こうとする時に、これでもう我々の力の限界だという素振りは見せない。フルトヴェングラーの『V字』では、記録によると総勢76名のBPO団員が参加しており、ハイドンとしては大所帯の部類に入る演奏と言っていい。結果は巨匠ならではの雄々しい音楽となっているが、不思議と無理やり大柄に仕立て上げた演奏には聴こえない。背伸びがない。フルトヴェングラーの古典音楽における慎ましやかな造形力、ベルリン・フィルの音楽的容量の故だろうと思う。

2拍子の『V字』シンフォニーにまず欠くことのできないリズムの締まり、ひたむきな確かな前進力、音符の愉悦、優美な音色。こうした条件をクリアするばかりか、フルトヴェングラー/BPOは自らのハイドン演奏の美点としながら、誠心誠意をもってした高貴な音楽を届けてくれる。ここまで気高く鳴らさなくとも曲の再現に支障はないだろうにと思うレコードもあるが、クライスラーが何を弾いても甘く上品な語り口になってしまうのと同じで、フルトヴェングラーを前にした楽員たちは、厳かな作曲家の霊気に包まれでもしたような気持ちになり、一同結束して大指揮者の求める天上の彼方を目指すのではないか。事実でなくて構わないが、そんな神秘的な光景を想像する。
我々が常識で理解するハイドンを凌駕していながら、フルトヴェングラーは作品の本質を些かも見誤っていない。古典名曲の名演奏だと思う。