ヤッシャ・ハイフェッツ<2> | 弦楽器工房Watanabe・店主のブログ

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もう少しハイフェッツに触れます。

彼の全盛期の頃でしょうか、急ぎ足で歩いていたニューヨークの街角で、通行人にカーネギー・ホールへの道筋を訊かれた時に、「練習。ただ練習あるのみです」と答えたそうです。どうしたら貴方のようにカーネギー・ホールの舞台を踏む事ができるのか、という質問をしょっちゅう受けていたので、このように答える習慣が付いていたようです。実話かどうかはともかく、彼の人物像を彷彿とさせるリアリティに富んだ逸話だと思います。
大人物にはこうした逸話が必ず付いて回るものです。指揮者のカラヤンがタクシーに乗った時のこと、運転手に「どちらまで」と訊かれ、「どこでもよい、私は何処にでも仕事があるから」と答えたという話。バイオリンの王者、欧州楽壇の帝王と、そのイメージからしてどちらも、この人なら口にしても不思議は無いと思わせる台詞です。

仮に実話だとすると、どこにもポストがあると豪語するカラヤンの胸中には、単純に職業人としての幸福があったでしょう。対してハイフェッツが、仕事を離れた色々な場所でも「練習」の必要性を説いたというのは、単にその成果を誇っているだけとは思えない、何か心の余裕の無さを感じさせる話です。技巧家という宿命を背負わねばならなかった人間の悲哀というものを想像してしまうのです。

楽壇の著名人の生活は、見かけほど優雅なものでは無いのでしょう。ハイフェッツは、10歳より公開演奏を行い、17歳からレコーディングを始めたという神童です。正確無比の鮮烈な演奏は、新聞や聴衆から賞賛され続けました。ところが20代の頃、ある批評記事で彼の演奏テクニックの低下を指摘されたのをきっかけに、奔放であった生活を戒め、ひたすら技術の維持向上に努めるようになったと言われます。以来、あの有名な交際嫌いで猜疑心の強い性格が出来上がってしまったそうです(DVD「God's Fiddler」参照)。

私などは残された録音でハイフェッツを知るのみで、技術のムラなどはどれを聴いても特には感じません。ただ1925年という電気録音が始まった頃から、後年の鋼鉄のような外面を持った演奏スタイルが形成され始めたように思えます。奇しくもこれは、技術の低下を指摘された時期とほぼ重なります。
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ハイフェッツというと、大方の人は戦後の音質の良いRCA録音で聴いておられる事と思います。ステレオ収録のチャイコフスキー、メンデルスゾーン、シベリウス、ブルッフの協奏曲などは特に名盤の誉れが高い演奏です。背筋の伸びた美しい音は、この人ならではのものだと思います。
しかし、考えてみると、これらの録音は公開演奏を中止した1959年前後に行なわれたものです。つまり、本人が往年の自己の水準を維持出来なくなったと判断した時期に当たるものです。勿論そう明言はしていませんが、同じ曲をSPレコード時代の演奏と比べてみると、テクニックの精度自体は並外れて高くとも、今や自分から離れようとしているものを固持しようと努めているのが、何となく素人の耳にも判別できます。だから辛辣に言えば、前向きというよりは、過去と向き合った保守的な音楽に聞こえる所があるのです。

高次元のバイオリン芸術を前に、これはいかにも贅沢な意見かも知れません。しかし、戦前の、心技ともに最高潮に達していた奇跡的な演奏がそう思わせるのは確かで、技巧家を通せば、肉体の限界にいつの日か突き当たるのはハイフェッツといえども例外で無かったというだけです。

テクニシャンとして以外に生きる道の無かったハイフェッツという演奏家は、情緒にも解釈にも逃げる事が出来なかったのではないでしょうか。アメリカのプラグマティズムの渦中をひた走るには、彼の天分と私には思える、デリケートな感受性や濃密なロマンティシズムを隠匿しなければならなかったのでしょう。
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何を根拠にそう言うかというと、彼の初レコーディングに当たる数々の小品の演奏には、ロシア語で歌われたような自然への憧憬と現実世界に対する憂愁の影がはっきりと感じられるからです。ハイフェッツは亡命者です。ロシア革命を期に、若くして祖国を去ることを余儀なくされた彼が、スラヴ系の作品の物悲しい旋律を真に迫る色合いで奏するのは、単なる偶然では無いでしょう。

アコースティック録音のドヴォルザークのスラヴ舞曲第10番と、戦前・戦後に3度入れたアクロンの「ヘブライの旋律」をお聴きください。身を切るような、やり場の無い悲愁が心まで伝わって来ます。超絶技巧作品で時折見られる、誇張やひけらかしは此処にはありません。人間ハイフェッツの生身の姿が、きっと現れることでしょう。
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