テレビ、映画などは、大いなる参考書であると書いている。しかし、映像美を見せる映画やテレビで扱われにくいのが、高齢女性の悩みである。

以前のブログで、我慢の多い人生を送ってきた女性の中には、歳をとって思い返す事が、くやしくて!くやしくて!と、苦しむ人の事を書いた。女性の人格を作ってきた高等な脳の機能が低下し、愛想の悪さ、表情の険しさなども出てくる。老いた女性は、外回りの人格が変化してしまう。


問題なのは、老いた女性の攻撃性は、自らに対しても向かうことがある。つまり、死にたいという願望が起きるのだ。


こんな私は死んだ方がまし!と考えるようになる。しかし、高齢の女性から「死にたい!」と言われても、とっさには、返答に困る。言われた相手は、温かくピリッとした言葉を探すのに困るからである。

それでは、「死にたい!」と発した本人はどうなのかと言うと、相手の言葉は、ほどんど聞いていない事が多い。
相手の答えなど、望んでいないのだ。自分の感情で頭が一杯で、受け入れる余裕がない。
他人から力を得ようとしないので、死にたい気持から解放されない。

老人同時の会話は、一見、会話しているようだが、お互いに自分の言いたい事を言っているだけの平行線のことがある。女性は長寿であることも影響するのだろうが、一方交通の会話は、高齢女性の特徴と言われている。

男性同志の会話では、平行線の会話は少ない。男は、そうなる前に人と話さなくなるようだ。
老化して多くを失う悩みは、男女共通だ。老人は、体調が悪いに加え、大事にされないこと、心地よい場所がないこと、などなどでめげることは多い。

しかし、生涯を通じた自殺の男女差を見て見ると、興味深いことがある。


ここに、老化のとらえ方の男女差が出ているように思う。加齢した男性の自殺は減少するものの、加齢した女性の自殺は増えていくのである。
これを見ていると、高齢女性の自殺を減らすためには、男性から学ぶことがあるかもしれない。
“歳をとってもめげないで暮らす方法を編み出す“について、男性はどのような生きざまをしているのか、考えてみよう。

人口動態表では、http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2013/html/honpen/chapter1-03.html
日本の男女の自殺率が載っているが、いつの世代でも、男性の自殺は、女性より多い。しかし、その差は、年齢と共に縮まっていく。
若い年齢での自殺者の男女差とくらべて、75歳以上の高齢女性の自殺数はおどろくばかりだ。
この違いは、男女の生きざまの違いをよく反映しているように思う。





男女の自殺率
動態表で見るように、すべての年齢において、男性の自殺者が多い。しかし、高齢化するほど、男女差が無くなり、女性の自殺者が多くなる事がわかる。
女性は、老後のメンタルヘルスの悪化がめだつ。
その要因は個人差が大きいとはいえ、女性は老後に恩恵が感じられないのだろう。

男性は、老後に落ち込んだとしても、自殺という形にはなりにくいようだ。自殺する男は、その前で自殺してしまっている。


男性の生き様は、“天下をとりたい”との願いで、現実には天下をとれないし、絶望もして、自殺する。しかし、男性が老後になれば、そうした葛藤はもう無い。

男性にとって、稼ぎたいとの願望は強い。しかし、働き盛りの年齢であっても、男性が収入を得るのは厳しい。妻子を養うためには他人の分もかせがなければならない。


男性は、収入を得るために、体を張っている。仕事で体を酷使し、消耗させ、怪我も背負う。大小を問わず、仕事中の事故などは、男性が圧倒的に多い。

現場で働く男性たちの怪我は良くあることだ。目に鉄粉が飛んで、手術をした、自動車整備中にけがをした、現場で足場から落ちた、などなど。


そうした経験を持つ男性と接すると、男の仕事は厳しいことを実感する。夏の暑い時期の、ペンキ塗りの職人の顔は、つらそうである。

しかし、女性はこうした怪我のリスクの多い仕事をしている人は少ない。女性は、マンネリ化した家事、毎日同じことのくりかえし、小言を言われる作業、ガラスの天井など、メンタルにはつらい仕事であっても、体を張った苦しさというのは少ない。背負う人生の重荷も、男性より軽い事が多い。

つまり、老後に男性のメンタルが女性ほど悪化しないのは、男性は肉体的につらい仕事、立場的につらい仕事からの解放感によるものかもしれない。人生の一仕事を終えて、役割を果たした安ど感、社会人として成果をあげたとの思いがあるようだ。

釣り堀で遊んでいるのは、圧倒的に男性だ。釣りは、男性の本能的な欲望を刺激するだろう。
つまり、魚をつりあげるまでの創意工夫である。釣り上げた魚をどうこうというより、釣り上げる過程を楽しんでいるようだ。つまり、自分自身のワザを楽しんでいるのである。

一方、女性は、老後の解放感というのは感じにくい。家事から解放されたら、女性自身が存在価値を感じることができなくなったりする。周りから期待されなくなる、無視される、立場が弱くなる、などなどで、老後の女性は、メンタル悪化の因子が多い。
女性の生きがいは、他人からの評価だ。その評価が得られなくなると、女性のメンタルの悪化が進む。

つまり、老後の女性が、同じく老後の男性を見習いながら、意識すべき習慣は、自らで自らを評価する癖をつけておくことではないのだろうか?

「もう何も何もやる気がしなくて、悲しくて、悲しくて・・・いっそ、電車に飛び込んでしまおうかと・・・」
死にたい願望の70歳過ぎの女性の話を聞いたことがある。しかし、一方で、この老人は、「私が外出しようとすると、危ないからと言って、娘が私を外に出さないんです」と不満げに言った。

「心配してくれる娘さんがいるということはすばらしいことじゃないですか?電車に飛び込んだら、どんなに娘さんが哀しいか、考えてあげてくださいよ」と、コメントできる話である。

自らで自らを評価する癖をつけておけば、自分が人生でなしとげたもの、自らの実力で築いたものを思い返すことができる。


誰もほめなくても、そうした達成感を持って、自分で自分をほめていく癖が良いのではないか?本人の実力の限界も見えてくれば、あきらめと悟りの境地にもなるだろう。

男性の老人は落ち込んでいても、他人に死にたいとは簡単に言わないのだろう。
その理由を想像してみると、男性は「俺がそんな事を言っても、相手は困るだろう、どうせ、相手は、ロクな回答をしないだろう。」と、予想しているからではないだろうか?

女性も、男性同様に、悟りの境地に至るは可能であると思う。
老後の女性の自殺を減らすには、自らをほめる癖を生かすことではないだろうか?