飯田橋駅 駅改修 ホーム移動 | 楽典詩人

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若い頃飯田橋で仕事をしたことがある。

 

職場は飯田橋駅(当時はまだ国鉄)の東口から出て、外堀通りを歩道橋で越えて後楽園方向に少し行ったところにあった。

 

私を含め職場の上司、同僚の大部分が、飯田橋駅の東口改札を利用していた。

 

なお当時の西口改札は、ホームの西の端からゆるい上り坂になった長い連絡通路を通らなければ、たどり着けなかった。

 

飯田橋駅のホームは東側つまり水道橋駅側が緩いカーブになっていた。

 

カーブになったホームは時々あるが、その宿命で列車とホームの間に隙間ができてしまう。

 

子供が隙間に落ちてしまう危険もあり、そうした駅では乗降の際に注意放送が流される。

 

何か考え事をしていたのか、職場の先輩のEさんが通勤途中にそこに片足を突っ込んでしまったことがあった。

 

私は見ていたわけではないが彼から、痛いわ、恥ずかしいわでひどい目にあったと聞かされた。

 

Eさんは私より少し年上の、ほんの少しだけ東北訛りが残ったとても良い人だったが、良い人によくあることで50歳くらいの若さで、病気で死んでしまった。

 

普段彼のことを思い出したり考えたりすることはないが、飯田橋の駅を通ったりするとふと思い出してしまうことがある。

 

その飯田橋駅が3年ほど前に改修され、ホーム全体が200メートルほど西側(市ヶ谷駅側)に移動し、改札も西口のほうがメインになったようだ。

 

改修されてから2,3度飯田橋駅を利用したことがあったが、いずれも西口側の改札とホームを使ったので、東口側のホームがどうなったのか知らなかった。

 

今回東口を使ってみると、東側にV字型に2つあった階段は、そのうちの西側階段だけしか使えなくなっており、階段からホームに出ると、そこから東側のホームには柵がしてあり、ホームの曲がっている部分には立ち入ることができなくなってしまっていた。

 

柵の上からカーブしたホームを眺めてみた。

 

Eさんが落ち込んだのはどのあたりだったのだろう。