副将を務めました國松士です。務めたと偉そうに言ってもそこに鎮座していただけなのですが… 

 

 後輩から色紙をもらい目を通していると目から何かがこぼれてきそうです。レッドブルでしょうか。慣れないながらも4送会を企画してくれてありがとうございました。頼もしい後輩たちです、今後もいい報告を期待しています。 

 

 私はこちらでは私の競技生活について書かせていただきます。 

 早いもので小学校4年生から続けてきた陸上競技も何かに所属してという形では終わりも迎えました。思えば陸上競技には多くを教えてもらったと思っています。中学時代は与えられた練習に一生懸命に取り組むという選手でした。結果もついてきましたし個人的には満足しています。しかし中学後半から高校時代にかけては私にとっての陸上競技は何だったのかと疑うような日々だったように今となっては評価しています。与えられた練習はこなせてもついてこない結果、それでも自分を信じて任せてくれるチームメイトや支えてくれる家族に対しては結果で恩返しができない苦しさ。しかもその理由は分からない。一番苦しかったなと思います。正直大学で陸上競技をやるつもりはなかったです。それでも陸上部に入った理由はやはり、箱根駅伝の予選会でした。どこかで頑張っている姿を家族に見せたいという思いが強かったです。 

 そんな思いで入部した陸上競技部でしたが、今まで自分が競技を続けてきた環境とはすべてが違っていました。練習はほぼ自分で考える。出る試合を選ぶのも自分。正直戸惑いました。1年生の時は箱根予選会に向け走りましたが1年の冬に標準記録を切ってから、もういいやと思ってしまって2年生の時は全く部活動に参加していませんでした。後輩からは所属しているけど来ない先輩だと思われていたようで今でも聞くとよくそう答えられます。本当にモチベーションがなかったです。自分が走ってもチームの標準記録保持者が増えないと箱根予選会には出られないというところが原因なのかなと思います。システムに文句を言っても仕方ありませんが。また反対に言えば自分には目標がなかったんだなと思います。野心というか。練習をしていって強くなっていく過程が好きだっただけで結果への執着が足りないのだと思います。今になっては。 

 そんな私が変わったのは意外かもしれませんが趣味の格闘ゲームに真剣に取り組むようになったことがきっかけでした。昔から弟と遊ぶときに2人でできるゲームが好きでやっていたのですがコロナ禍で外出できないこともあり再開していました。その中で対戦ゲームですので人と戦ったら優劣がつくわけで。勝ちたい。もっとうまくなりたいと思うようになりました。そしてそれは陸上競技でも当てはまるのではないかと考えるようになりました。「どう走りたいのか。」そう考えるようになりました。良い結果が出ればいいと漠然と考えていた時は完璧を目指して無理なことを計画して自分から自滅していっていたように感じます。勝たなければ、結果を残さなければいけない、そうありたい。そのためには何をすればよいのか考えました。その結果大学3年時は自分の陸上人生の中で最も楽しく、そして結果がついてきたものになりました。本当に楽しかったです。最後が無理がたたって肉離れなのが痛かったですが。(激痛) 

 4年目は肉離れの残滓がなかなか治らず思うように走れない中、長距離チーフとして務めた1年でした。もっと自分が走れていればと不甲斐ない思いをしたことも何度もありました。しかしそんな姿を後輩に見せていてもと思いなるたけ明るく振舞ったつもりです。結果としては予選会に出場することはできず、応援されている皆様におかれましては今年も良い報告ができずに申し訳ありませんでした。しかし後輩たちが育っていく姿を見ることができたのも事実です。彼らならば来年度立川に戻ってきてくれることでしょう。微力ながら私も支えていきたいと思っています。 

 そんな4年間でした。競技として陸上競技に取り組むことはもうしません。これからは趣味として過去の自分を超えることを楽しみたいと思っています。今までありがとうございました。