福田一輝です。
4年生による引退ブログもいよいよラストとなりました。
せっかく最後にこのような機会をいただいたので、自分自身のことにも少し触れながら陸上部での生活を振り返りたいと思います。
早速ですが、振り返る上で外せないエピソードがあります。
同期や高校からの後輩など、一部にしか話していないため、知らない方も多いかと思うので、まずそちらについて軽くご紹介を。
私は大学1年の冬に事故で生死を彷徨う経験をしました。
詳細を簡単に説明すると、鉄のポールが左腎臓に刺さり、腎臓破裂。「あと数時間搬送されるのが遅かったら、あと数センチ深く刺さってたら」と看護師の方が話していた光景を微かに覚えています。
「俺、死にかけたんだ」と、事の重大さにその時気づきました。
実は以降の3年、そしてこれからの人生は腎臓1つで生きていきます。
緊急手術を終え、約1ヶ月間に及ぶICUでの入院生活がスタート。最悪の事態はとりあえず回避、生きながらえました。しかし、首から上と両腕以外、つまり胴体と両足が全く動かない。自分の意思で動かせない身体は、70kgのただの錘となった。
本当に自分の身体かと、現実を受け入れるまで時間がかかりました。
主治医が両親に「輸血が必要になる可能性が高い」と話してる様子を微かに覚えている。
おまけに入院期間中は40℃の熱が毎日続き、当時の痛みや辛さは今でも想像できない程です。
この時の私は生きる気力が皆無でした。
無気力ではあったものの痛みに耐え続け、なんとか順調に回復。
しかし、退院後もほとんど寝たきりの日々。少し動けるようになりはしたが、身体を起こすのも一苦労。外出するにも50mを1分以上かけないと歩けない。手すりがないと不安。少し歩いただけで息切れ。
よくここまで元の状態に回復したなと、我ながら思います。
なぜこの話を取り上げたのか。
それは私が今こうして元気に過ごせているのは、陸上部のおかげだだと強く感じているためです。
怪我の直後、救急車の手配や付き添い等をしてくださった先輩方。
ICUへ入院中、電子機器を一切触れず誰とも連絡を取ることができない状況、さらにはコロナ禍のスタートと被ってしまいお見舞いに来てもらうことすらできない状況で群馬県の病院で一人孤独に押し殺されそうな中、退院後にたくさんの連絡をくれた同期のみんな。
また、競技復帰しようにもまともにランニングができるようになるまで数ヶ月かかるほど身体も動かず体力も落ちていたため、自分はまた1からのスタートとなりましたが、それでも同期の皆さんは見捨てず暖かく見守ってくれました。
本当に皆さんに助けられました、ありがとうございました。
1年間主将を務める中でも、やはりこの怪我の影響から主将としての立ち振る舞いが全くできませんでした。
「競技で部員を引っ張るのは副キャプテンの颯人に任せて、俺は出来ることをやろう」と割り切ったものの、幹部・チーフをはじめとした同期にはここでも迷惑をかけ、後輩たちには情けない姿を見せ続けてしまったと常に申し訳ない思いを抱えていました。退任した今でも変わらず思っています。
ですが、当時の自分の状況、周りの方々へかけた迷惑を振り返れば口が裂けてもこんな事は言えませんが、今なら「この経験をして良かった」と思えています。こう思えているのも皆さんのおかげです。
明日から、ついに私も社会人とります。
学生のうちにやりたいことは全てやれたと思ってるので悔いはありませんが、それでもやはり緊張と不安に押しつぶされそうです。
今後辛いこともたくさんあると思いますが、何かあったらここで出会った最高の仲間に話を聞いてもらおうかなと思います。
先輩方へ。
私は自分自身を先輩っ子だと勝手に思ってます。この4年間、旅行や食事などたくさん連れて行ってもらいました。
中学・高校からずっとお世話になっている大好きな先輩もいれば、大学で初めて会って仲良くしていただいている方など様々ですが、いい先輩方に恵まれたなと思います。ありがとうございました。
これからもお世話になり続けます!
後輩の皆さん。
4年間、特に主将を務めた1年間は後輩のみんなに迷惑をかけ、そして支えてもらいました。真面目なみんなを心から尊敬しています。
この部に入部を決めてくれてありがとう!
そして最後に、同期の皆さん。
この部活に入部を決めて良かったと心から思える最大の要因は皆さんです。
旅行へ行って、ドライブへ行って、コストコへ行って、パーティーをして、遊園地へ行って、BBQ へ行って、誕生日を祝いあって、飲みに行ってと4年間本当にみんなとの思い出ばかりです。
ここまで仲の良い同期はいないのではないでしょうか。
最大限の感謝を送ります。一生仲良くしてください!!
4年間本当にお世話になりました!