2月16日(水)


「網走番外地」全10巻を見終わったので、今度は主演の高倉健が任侠映画から離れ、本格的な人間ドラマを演じ始めた80年代の作品を見ているのだが、僕は任侠映画では68-75年くらいの渡哲也の大ファンで、高倉健にはあまりに真面目で大物のイメージがありすぎて、殆ど遠ざけてきた。当時の渡哲也にはまだチンピラ、若造、といったフレッシュな魅力が溢れていて、そちらのほうが好きだった。もちろん、「西部警察」とか、石原プロに入った後年の落ち着いてしまった渡哲也には殆ど興味はないのだが。


で、80年代の健さんは、降旗康男監督、木村大作撮影で、東宝で何本もの超渋いいわゆるヒューマン・ドラマ的な作品に出ていて、自分も歳を重ねて、やっと今頃、高倉健の渋い男の魅力というものに開眼したという次第だ。

降旗・高倉映画では最近では99年に日本アカデミー賞最優秀主演男優賞に輝いた「鉄道員(ぽっぽ屋)」が有名だろうが、最近DVDで見た中では「夜叉」(85年)、「駅」(81年)の2本がすごく良かった。


「駅」も日本アカデミー賞最優秀主演男優賞に輝いている名作で、引退を考えている刑事の人生ドラマで、健さんはじめ、倍賞千恵子、いしだあゆみ、田中邦衛らの名演技が素晴らしいが、それよりも健さんと田中裕子が主演した「夜叉」には久々にガツンとやられてしまった。


元大阪のミナミでは背中の夜叉の刺青で知られた名うてのやくざだった高倉健が、今は足を洗い、田舎で真面目に漁師をやりながら、妻のいしだあゆみと幸せな家庭を築いている。その街の小料理屋のおかみとして田中裕子がやってくる。おかみは漁師たちの人気も高かったが、そこへ愛人のビートたけしが転がりこんできて、漁師たちに覚せい剤(シャブ)を売りさばいたり、包丁を振り回したり、ひと騒動をおこし、売上金の未払いでやくざの組に拉致されてしまう。おかみと互いに惹かれあい男女の関係になった健さんは、彼女のために命をはって、再びドスを握り、ミナミのヤクザの組に乗り込み、たけしを助けようとするが、たけしは殺されてしまう・・・・というストーリーだが、終始印象に残るのは、田中裕子との恋と、妻のいしだあゆみと子供との幸せな家庭の間で揺れ動く健さんの心模様と、健さんをめぐって恋のバトルを張り合う田中裕子といしだあゆみの「女心」の機微が、素晴らしく繊細にかつ哀しげに描かれていることだ。愛した女のために、自分の命を張る男など、いまどき探すのは難しいだろうが、映画の中の高倉健はいつも、自分よりも他人への義理と人情のために命を張ってみせるのだ。これこそは自分が常日頃人生の指針としている、ハードボイルドに生きるということの男の美学なのである。

 しかし映画の中の田中裕子の魔性の女ともいうべき演技力は素晴らしかった。甘えてみせたり、すねてみせたり、啖呵をきったり、それでいて愛する男の前ではダメな女になってしまう、まさに女のサガ、というべき演技だった。オレもこんな女性に愛されたら、命を捨ててもいいと思うかも知れない。大体、変に小利口で、こざかしくすべて損得勘定で生きている女性が今は多すぎると思う。

何も語らず、たった一人で心に秘めて、男の美学を貫きとおす高倉健という俳優像はあまりにもかっこ良すぎるが、ある意味では哀し過ぎるとも思えるのだ。ハードボイルドな生きざまを貫き通すのは、哀しみを背負って人生を生きていくことと等位なのだ。なにかのために自分を捨てることは哀しみに満ちている。女性の人にも、この「愛のせつなさ」を是非見て欲しいと思う。


鳥井賀句のブログ