徐萬述議長死去、在日本朝鮮人総連合会葬25日、朝鮮会館で葬儀
25日、朝鮮会館で葬儀
朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議の代議員であり労働英雄である総連中央の徐萬述議長が、心不全のため19日午後7時5分、死去した。享年84歳。
徐萬述議長の死去と関連して総連中央常任委員会の訃告が20日に発表された。また、総連中央常任委員会の決定が発表された。決定は、徐萬述議長の葬儀を在日本朝鮮人総連合会葬として行い、葬儀委員会を許宗萬責任副議長を委員長とする71人で構成し、葬儀を25日午前11時から朝鮮会館で行うとした。
葬儀委員会メンバーには、各副議長、各局長ら総連中央常任委員会メンバーと、総連傘下の各団体、事業体の責任者、16の総連地方本部委員長などが名を連ねている。
故徐萬述議長の経歴
1927年4月14日、父ソ・ボンス氏と母ソン・グィビ氏の長男として、慶尚北道迎日郡東海面の貧しい農家の家庭に生まれた。
小学校を卒業後、1941年に渡日。1945年に中学校を卒業した。その後、帰国準備のため山口県小野田に引っ越し、在日本朝鮮人聯盟(朝聯)小野田支部の結成を機に、1946年2月から朝聯山口県小野田支部青年部員として愛族愛国活動を始めた。
1946年4月から朝聯中央高等学院の第1期生として学び、1947年に在日朝鮮民主青年同盟山口県本部副委員長、1948年に民青広島県本部組織部長、1949年に朝聯広島県本部常任委員として活動した。
1955年5月25日の総連結成後は、総連広島県本部宣伝部長、組織部長、副委員長を経て、1968年に委員長に就任した。
そして1973年1月から総連中央の組織局長、1979年6月から事務総局長、1983年6月から副議長兼事務総局長、1986年9月から副議長、1998年5月から第1副議長を歴任。
2001年5月から現在まで、議長として総連の愛族愛国活動の重責を担いながら、在日朝鮮人運動の強化、発展において多大な貢献をした。
1974年9月、建国26周年在日朝鮮人祝賀団団長として祖国の土を踏んだ。1990年4月、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議代議員に選出された。
金日成勲章(2回)、金日成主席の名前の刻まれた時計(2回)、共和国労働英雄称号、金日成主席の表彰状、金正日総書記の表彰状、祖国統一賞、国旗勲章第1級(6回)、労働勲章、共和国創建記念勲章、国旗勲章第3級などが授与された。
また、金正恩最高司令官の配慮により、金正日総書記生誕70周年に際して制定された金正日勲章が授与された。
【平壌2月25日発朝鮮中央通信】
共和国最高人民会議常任委員会と祖国統一民主主義戦線中央委員会の共同名義による、共和国最高人民会議代議員、労働英雄、在日本朝鮮人総聯合会中央常任委員会議長の故徐萬述氏の追悼会が25日、平壌の人民文化宮殿で行われた。
敬愛する
また、共和国最高人民会議常任委員会と内閣、友党、祖国統一民主主義戦線中央委員会、社会団体、省・中央機関、海外同胞関係機関、宗教団体などの名義による花輪が置かれていた。
崔永林、崔泰福、楊亨燮、金養建、崔龍海の各氏と友党委員長、社会団体、省・中央機関、海外同胞関係機関、宗教団体の幹部、遺族、平壌市内の勤労者が追悼会に参加した。
総聯(朝鮮総聯)中央常任委員会のパク・グホ副議長ら総聯の幹部と在日同胞がこれに参加した。
参加者は、故徐萬述氏を追慕して黙とうした。
朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員会委員である崔永林内閣総理が追悼の辞を述べた。