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2004年と古い話ですが、良い話なので、アップしちゃいます。

2004年9月11日に新座市サッカーフェスティバルにて 清雲清純氏(元・ ユース日本代表監督、JFF-UNITED 監督、当時 大宮アルディージャ SSC代表の高校の後輩です。)による指導者講習会にて聞いた話を以下の通りメモしました。ご参考にしていただければ幸いです。

以下は清雲さんの話・・・



今日は、一人の男についてお話したいと思います。

私(清雲氏)が小野と初めて出会ったのは、1997年、ユ一ス(U20)日本代表監督になって彼を合宿に召集した時ですが、彼は挨拶のときから、きちんとしており、他の選手とはちがっていました。

代表の合宿ともなると、シェフに給仕が3名ほど帯同しているのですが、他の選手がタ食をすませ無言で部屋に戻っていくのに小野はシェフと給仕に「本当においしかったです。有難うございました。」ときちんと頭を下げお礼を言っていました。これを見て私はコイツは違うと思いました。

合宿では朝7時集合となっていましたが、小野は6時半には準備していました。7時5分前になって、いつもの稲本と中田浩司が来てないとわかると小野がいつも起こしてつれてきていました。

ある日、「シンジ、寝坊するヤツが悪いのだからほっとけ」と言ったところ、小野は「僕はー日のはじまりはきちんとして迎えたいんです。仲間が朝から怒られているところを見たくないんです。」と言ってきた。こんなかんじなので稲本らも、いつも起こしてもらうわけにいかんと自分で起きてくるようになりました。

また練習ではスタッフとー緒にボール、コーンを運び、片付けもスタッフに「今日、何個ボールを出しましたか?」とたずねて足りなければ見つかるまで捜す。他の選手は最初は見て見ぬふりだったのが日が経つうちに皆がやるようになる。

昼休み、昼寝をしたりする者が多い中で小野は食堂でアルゼンチンのビデオを見て「監督、どうしたらあんなプレーが出来るんだろう?」とやっている。最初は私と小野だけだったのが、高原が加わり、本山、小笠原と増えて、しまいには皆で見るようになりました。

また、ビデオで見たことを練習前にやってみようとする。いいですか、練習時間内じゃないですよ。練習前の時間なのです。

小野に一番感化されたのは本山でしたね。

いま、ゴールデン工イジだとか言われているけれど最初からじゃなくて、ー人の男の存在がチームメートを変え、チームも変えていったのです。今回のアテネオリンピックで山本(監督)が小野、高原、曽我端をつれてゆこうとした理由が私には良くわかるような気がします。
それは彼らにチームをひっぱり変えるカがあるからなのです。

今回、結果がでませんでしたが、厳しいグループに入ってしまっただけで、私は互角にできたと思っていますし、そんなに悲観する必要はないと考えています。

よくコミュニケーションと言います。どういうことか?

2人でボールをひとつづつ持って同時に投げキャッチボールをさせます。

無ロな小笠原と中田浩司ペアにさせるとボールがぶつかります。これを小野・高原ペアにやらすと、小野が高原に「俺は上に投げるからおまえは下に投げろ」と言ってはじめる。スピ一ドをあげてもぶつかりませんよね。チームも小野・高原のやり方をみてマネをしていましたよ。

また、小野は高原に「オレが右にドリブルしだしたら左に走ってくれ、パスを出すから」と言う。実際、これで3点くらいとっています。簡単なことのようですけどなかなか言葉に出して言えないですよ。

しかし、これがコミュ二ケーションなのです。

幸いこのチームは皆、素直で吸収力があったからなのでしょうが、これをもっと早く一番伸びると言われている 小学校5年、6年から中1、2の最も大切なときにできるようになれば、日本のサッカ一はもっと伸びると思います。

また、ある日ビデオを見ていてシンジが「スゲーなー。あんなプレー出来ないよ。日本じゃ満男だけじゃない?あんなの出来るの」言いました。これを聞いて小笠原は二ヤッとして「シンジにはかなわないよ」と言っていましたが、そのときから、アーウーしか言葉を発しないダンマリの小笠原も話すようになったのをおぼえています。

実際、小笠原はギリギリのところでパスを出すセンスを持っていてFWが抜けるそこに出そうとしてくる。FWが不十分なポジションにいるときに出しても相手にとられるだけだから出さずにドリブルして、失敗してしまうというところがあったのですが、小野はチームメートの特徴を良くみていたのでしょう。


(余談ですが、小笠原というのは面白い男で、試合ではいつもベンチだったのですが、途中で私の前を歩いて代えろ、出せとアピールしてくるのです。あまりにしつこいので、それじゃアップしていろとなる。私は途中で忘れてしまうのですが、コーチから小笠原が準備して待っていますが・・・と言われ気がつくといったぐあいで・・そんなことで彼はなんだかんだいって途中からですが試合に出ていましたよ)

近年、大宮アルディージャとして、フェイエノールトに行く機会があったのですが、そこで一番驚いたのが、選手同士のコミュニケーションの活発さでした。日本に一番欠けているのはそこではないか、技術うんぬんは大差ないが、そこが一番強化しなければならないのではないかと強く感じました。

フェイエノールトではチームを見にいったのであり、小野の話を聞きにいったわけではないのですが、ファンホーイドンク(当時のFW )が我々を呼びわざわざ小野の話をしてくれました。彼が言うには、最初、小野がフェイエに来たとき誰もが「どうせ日本から広告塔としてお金のためだけに来たのだ」と思っていて1ヶ月ほど無視していた。あるとき当時のキャプテンのトマソン(現AC ミラン・デンマーク代表)がチーム全員を集め、「おい、みんな。シンジのことをどう思っている?あいつがいままで何をしてきたと思う?練習の前に水や道具を運んだり裏方の仕事も進んで手伝っている。本当にチームのためになる働きをしているのはヤツじゃないのか?」という話をした。そのときから、シンジは本当のチームメートになったのだという話でした。
練習でも、それから小野にパスが集まりだしたそうで、そうなると実力はもちろんあるわけだから、チームの中心選手になっていったわけです。 それを聞いて小野はどこに行っても小野であると思った次第です。

私は現在、育成を担当しているわけですが、日本のサッカーを強くするためにはやはり小学生からやっていかなければならないということです。今、こうやって育成をやられている皆さんのがんばりが強い日本を作っていくのです。

挨拶や、コミュニケーションといったことがいかに大切か、ひとりの選手によって仲間が変わり、チームが変わっていくということをお話させていただきました。

                                   
                                               以 上



・・・というわけで、あいさつや仲間を大切にすることを大切に、みんなで一緒にがんばろうね。