前記事「過大要求と過小要求」の応用。
現在の、日本の鉄道ダイヤは、ローカル線を除き、
かなり「過密ダイヤ」とされています。
その余裕のない過密ダイヤの中、日本は定時運行できていて、
すごい技術なんですよね。
しかし実際には、余裕がないように見えても、
鉄道のスジには、「余裕時分」といって、
途中、駅で長めに停車時間を設けていることが多いようです。
日本では、定時運行ということに対して、
諸外国では考えられないくらいにシビアですよね。
そのシビアさが、2005年4月の鉄道の大規模事故を
引き起こしたことになっています。
すなわち「ダイヤに余裕がない」ことではなく、
著しく高いレベルで、時間厳守が求められている、
ということが原因となります。
なので、ダイヤに余裕を持たせるのではなく
(余裕時分を大きくしたら、平常時に時間がかかって、
不便になってしまう)、多少遅れてもOKとする、
というほうが、合理的なんですよね。
遅れ4~5分が日常的であっても、先進国の中でも
特に優秀なほうになる。
日常的な遅れが10分程度で、ようやく先進国標準。
なので日本も、場合によっては、
「余裕時分をなくして平常時の所要時間を短縮し、
余裕がない分、遅れてもそれが普通」として、
5分程度の遅れがよく出る鉄道事業者も、
ときにはあっても良いと私は思うのです。
ちなみに都合上、バスは余裕時分を設けられないので、
遅れがあるのはむしろ当たり前なんですよね。
鉄道でも同様な会社があってもよいと私は思います。
仕事も同様。
私は怒られることが多いという都合上、
「手があく」という時間が発生すると、
少々、罪悪感や、ある種の恐怖感のようなものが
発生することもある。
なので、余裕が無いほうがいい、とさえ
言える場合も、ときにはある。
なので、余裕を切り詰めて、もっと効率よくしたうえで、
予想される時間より遅れても怒らない、
としたほうが、よい場合もあるだろう。
「目標」は一種の「心理的上限」。
なので、それを低くしないためにも、
目標はあえて高めに。
そのほうが、総合的な心理負担はむしろ少ないと思う。
ヨーロッパにいくと、車の制限速度はかなり高い
(こちら側から見れば緩い)が、
その速度を、約3km/hオーバーするだけで
(1km/h、2km/hまではメーターの誤差と考える)、
厳しく、取り締まられるのだそうだ。
逆に、日本では、制限速度は、安全に対して、
余裕をもって低く(つまり、こちら側から見れば厳しい)
設定されていて、そのかわり、10km/hほどオーバーしないと、
取り締まられないと言われている。
つまり、「60km/hで走ってほしい」ならば、
制限速度表示を「50km/h」と書いておく、という具合なんですよね。
これは日本のほうが精神的負担は少ないですよね。
ヨーロッパ型では、捕まらないようにするために、
常にスピードメーターを見続けないといけないということで、
そういった危険まで生じてしまうという問題もある。
なのに、鉄道ダイヤでは日本とヨーロッパ、逆になってしまっているんですよね・・・
日本は、一見非常にタイトなようで、実際には比較的余裕が見込まれているが、
時間厳守のほうには、とても厳しい。
なので運転士の精神的負担も大きいだろう。
さらに、余裕時分を持った駅では、運転士さんも、
逆方向での精神的負担も結構ありそうである。
仕事も同様に考えるものとする。
効率向上のため、目標設定の上ではかなり高いものとし、
叱ったりするのは、それよりも大幅に結果が低かった場合のみとする。
そういうのがよいと思います。
私の勤める会社の皆さんは、実際に出社する時刻が、
本来の定時よりかなり早いようです。
そしてそれが当たり前になっているため、
ぎりぎりのことが多い私が叱られたりする、ということが多いです。
そして、会社に行くときに毎日のようにかなり急ぐこととなり、
場合によっては危険も生じかねない状態です。
なので本来会社からは、「この時間より遅くなっても叱られない時刻に」
来るように最初からそう指示していただきたいです。
例えば9時が定時として、皆さん8時40分くらいに来るなら、
「8時30分に来なさい」と言っていただきたい、ということです。
私の祖母は常に、時間よりもすごく早く行ったりする人。
なので、例えば、10時に出発したいときには、家族に対し、
「9時半出発」と宣言しておく、という方法をとっているようです。
私は早く行く人ではないけど、そういったやり方が、
結構いいやり方だと思います。
すなわち、時間などに関しても、「こちら側から見れば厳しい」
言い換えると、「その先で余裕がある」
(その時間を超えても困らないため、叱られない)
数値で呈示しておくのが良いということになります。