一般に、成績の悪い生徒ほど自分の努力不足を棚に上げて、何かと言い訳します、責任転嫁します。
例えば、自分の家が母子家庭であることを言い訳にして勉強しないどころか、良くない道に進んでしまう者がいます。
まさにダメ人間の論理です。
母子家庭を挙げたのは私が母子家庭で育ったからです。
父は29歳で亡くなっています。
私が2歳の時です。
私が育って来る過程で不都合はなかったかと問われれば、ないと言ったら嘘になるでしょう。
しかし、勉強に関しては平等です。
大金持ちの子供でも母子家庭の子供でも全く平等です。
きちんと努力したら成績は必ず上がります。
その努力のバロメーターになるのが偏差値です。
偏差値は相対評価ですから、自分は努力した「つもり」ではいけません。
例えば、学校の学年順位。
あいつには負けたくない、と思うライバルがいるとしましょう。
前回のテストで自分がライバルよりも順位が1つ下だからすぐに抜けると思って、今回は毎日帰宅後に5時間も勉強。
ところが結果が出てみれば今回も自分が下。
それどころか、さらに差が開いています。
なぜならば、ライバルは毎日6時間勉強していたからです。
学年順位も偏差値も相対評価ですから、自分はこんなにも勉強したという自己判定、即ち自己満足では無意味なのです。
大切なことは他人よりも多くきちんと努力することです。
ライバルが6時間勉強しているのならば、自分は7時間勉強しなければいけません。
他人よりもきちんと努力したら、学年順位も偏差値も上がるのです。
ところで、学歴フィルターという言葉をご存知でしょうか。
就職活動の際に大学の名前だけで選別されてしまうことです。
例えば、ある企業にエントリーしようとしてホームページにアクセスします。
「採用情報」をクリックして出て来るのは大学名の入力のみ。
そこに大学名を入れて送信すると、個人情報を書き込んでエントリー可能な次のステージに進める者とエントリーを断られる者とにいきなり選別されてしまうのです。
大学名だけで人間性が分かるのか!、そう思う者は負け犬の、ダメ人間の論理です。
企業が大学名だけで学生を選別しているのは、大学名=偏差値だからです。
とても大切なことは、他人よりもきちんと努力したら必ず上がるのが偏差値、その事実です。
だから、他人よりきちんと努力する人間=偏差値の高さ=大学名なのです。
繰り返しますが、勉強に関してはみんな平等です。
例えば、家計に余裕がなくて塾や予備校に通えないと言い訳する者がいるはずです。
しかし、一般の塾や予備校ならば通っても通わなくても大差ありません。
大切なことは自分の勉強がきちんとできたかどうかです。
何冊もの参考書は必要ありません。
1冊の参考書をやりつぶせば良いのです。
しかも、それはブックオフの百円+税のコーナーにある参考書で十分です。
ダメな奴は何冊もの新品の参考書を買うだけで満足してしまいます。
たくさんの参考書を揃えて「勉強したつもり」になっているだけです。
それは明らかに勉強していません。
それでは成績が上がることなどないのです。
成績を上げようと思ったら、たくさんの参考書など不要です。
1科目につき1冊で十分です。
それをきちんとやりつぶしたら、成績は100%上がります。
大学入試でも5教科7科目につき1冊ずつブックオフで買っても、700円+税ですよ。
家計の負担にはなりません。
また、難し過ぎる問題は捨てて構いませんが、易しい問題で解けないものがあると困りますから、それは学校の先生に質問しましょう。
ふつうの先生ならば根気よく付き合ってくれますよ。
だからこそ、一般の塾や予備校に通えなくてもお金をかけずにきちんと勉強できるのです。
勉強はみんな平等と言い切れるのがお分りいただけると思います。
実際に、いわゆる貧困家庭でも、母子家庭でも東大に合格している人は何人もいます。
それは本人がきちんと努力したからです。
努力した凡才は努力しない天才に勝ると言われますが、その通りなのです。
色々と書いて来ましたが、きちんと努力したら上がるのが偏差値で、偏差値は努力する人間か否かを示すバロメーターであるのは間違いありませか。
偏差値70台と偏差値30台ではその人間性に言葉では言い尽くせないほどの差がある事実を忘れないで下さい。
偏差値30台は、努力をしない、我が強い、素直でない、自分が基準、嫌なものは嫌、間違った好奇心が強い、そういう情けない者です。
社会から必要とされないのも当然です。
決して近寄ってはいけません。
百害あって一利なし。