こんばんわ。まっつんです。


私は節目ごとに、いろいろと考える事が多いのと

原点を省みるようにしている事があります。


楽団GREEを作った経緯も、そのひとつです。

皆さんにも、振り返ってもらえればと思う事と、


今まで楽団を作った経緯を知らなかった人には

この機会に知ってもらいたいと思っていますので、

ぜひ、読んでみてください。



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こんばんは。俊介です。
先日、私がやっているソーシャルネットワークのGREEで楽団GREEというコミュニティを作りました。
今回はその経緯を少し皆さんに知ってもらおうと思い、書き込んでいます。

私は小さな頃から音楽をしていました。小学3年生の時初めてフルートを手にしそれからずっと、吹き続けていました。
とは言ってもその頃は遊びたい盛りで全然、練習はしなく週一回のレッスンが練習の日という生活が長かったです。それでも4年生になると部活で器楽(吹奏楽のようなもの)に入り、嫌でも毎日吹く日々が続きました。そのかいあって、いつもコンクールでは県で金賞を取っていました。
そんな生活も終わり、中学へと進学。中学、高校は個人的にレッスンには行っていたが、部活はテニス部と全く関係のない部活へと行きました。

高校が終わりに差し掛かった時、理系にいた自分が何も勝負できない状態であることに気づき、再びフルートを真剣にやることを決め、1年浪人したがフルートで音大に入る事が出来た。

音大での生活は、はっきり言って馴染めなかった。女60人に対して男1人。練習が嫌いだったし、文系の学科なのになぜか体育会系のノリで先輩風を吹かせるお宅っぽい先輩。世間の常識が全く通じない人達。(現音大生の皆さんごめんなさい)
そんな人達に囲まれていた。それでも、何とかがんばっていた。あの時までは。

2年の9月の後半。仙台に世界的に有名な先生のレッスンを受けに1週間泊りがけで習いに行った。それまで、自分なりには一生懸命頑張り認めてもらおうと必死だった。しかし全く相手にされなかった。見向きをされなかった。


その年の大学の文化祭を最後に大学を辞め、姉の結婚式を期にフルートを置いた。


もう、一生吹かないって決めた。いろんな人に演奏を頼まれていたが絶対に吹かなかった。最近入籍した奥さんも聞いたことはなかった。最近までは・・・。

それが、先日、いろんな意味でどん底だった私にいろいろ気づきを与えてもらい成長させてもらっているELAのイベントで演奏することになった。今までは頑なに拒み続けていたが、本当にお世話になっていたので少しでもお役に立てればと思い、その日以来(約6年)はじめて演奏をした。



音は出ていないし、指も動かない。あの頃に比べると、天と地との差がある。でもあの頃にはいなかった、私の演奏を本当に喜んでくれる人達が目の前にいた。


そして先日もイベントで、初めて奥さんと1曲合わせて演奏をした。ものすごく幸せだった。今まで演奏してきたどんな曲よりもうれしかったし音楽ってこういうものだったな~と思い出された瞬間だった。今なら、迷いなくフルートを持てる。誰かの為に演奏できる。誰と合わせても楽しいと思える。


難しい顔をした人達の前で、難しい曲を完璧に演奏するよりもあなたの為にという人の前で、心に響く演奏をしたい。その方がいい。そう思い今回、このコミュを作りました。楽器が上手い下手は関係ありません。喜んでくれる人が必ずいます。その人の為に演奏してみませんか?このブログを読んでくれた方で共感してくれた方は是非、コミュニティに参加してみてください。お待ちしております。
http://c.gree.jp/?mode=community&act=view&community_id=11614


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