今日は経済学の学習をした。
GDP(国内総生産)について学習し、総生産と総支出の関係を学んだ。
元々経済については無知な方であるが、そうも言ってられないので、少しずつ確実に学ぼうと思った。
ちなみに現在は世界第3位とのこと。(←中国に抜かれた)


Y=C+I+G+EX-IM

(国内総生産=消費+投資+政府+輸出ー輸入)


この構図が分かっただけでも一つの成果としょう。


他にも今更ながらインフレとデフレのおさらいもした。
・インフレ
 物価価値が上昇し、貨幣価値が下落する。
 原因は、経済活動の活発化による需要が供給を上回ることによるもの。
 また、生産原料や輸送燃料などの高騰に伴って生産要素に対して利益を上乗せすることによるもの。
・デフレ
 物価価値が下落し、貨幣価値が上昇する。
 主な原因は、供給が需要を上回ることによって物が売れ残り、企業は値下げを行う。
 消費者はもっと値が下がるだろうという心理が働き、購入を先延ばしする。
 企業はものが売れず業績が悪化。労働者に対する賃金も減少する。
 所得が減少すれば購入も減少し、更に物が売れなくなる。

 この繰り返しがデフレスパイラルということで、現状の日本だということ。

 

 こういう世の中の仕組みは、なんとなーく分かっていたけど、改めて整理して
↑の文章は自分の頭から捻出することが出来た。



うん、アウトプットが出来たね。
ということは、ここで初めて内容を掘り下げることが出来ると。
でも、まだ名目GDPや実質GDPは理解していない・・・
これは次のステップにしよう。



今はわけあって自宅勤務状態であって、こんな学習も少しは出来てしまう。
でも、関係ない学習じゃないですからー(笑)

きちんと業務もやっております。一応・・・



18時になり、業務終了。
今週は比較的業務後の時間にゆとりがある為、ベルサッサで家を飛び出しました。


まずは本屋に行って、今の自分が欲している情報を探す。
タイトルを見ながら、ピンときたものを探す。
ビジネス、哲学、仕事術、整理術・・・etc
どれもこれも必要な知識ではあるけど、「今」意識的に欲するのはどの本だろうなーと。
こんな風に本屋で知的な本を物色するようになったのも上京後の変化の一つ。
更には、この背景には知識を吸収することに対しての楽しさが芽生えたこと。
まだ実感がないけど、自分の頭の中の思考であったりパターンであったり、癖や視点を含む
すべての情報が活性化している、、、と思う。
というわけで目ぼしい本を選び、もう一冊自分の興味をそそる雑誌を購入。


購入後はすき屋へ行って夕飯を食べる。
このすき屋は人が少なくて入りやすい。おろしポン酢の牛丼並を380円で食した。
野菜食べなかったのはまずかったな・・・妻に怒られます。


その後、ドトールに行ってエスプレッソを飲みながら購入した本を読む。
小一時間で半分くらい読んだ。
本を読むスピードも速くなったかな。
この本は、「たった5秒思考を変えるだけで、仕事の9割はうまくいく」というキャッチフレーズで、
仕事に着手する前に5秒ほど考えることが大事とうたっている。
的外れな考えや結果を出してしまうことが自分には多々ある。
それは、自分の思い込みや価値観から来るものだということは、本当に「最近」分かった。
こうやって40歳~50歳になると、「自分のスタイル」が確立されて型にはまったことしか出来なくなるんだろうなと思った。
もし気づかずに自分の価値観だけで、物事を考える人間になっていたらぞっとする。


現在32歳だけど、気づいた事に自分を褒めよう。


本を読むを、仕事をする前に考えることはいくつかあるのだけど、自分が「やってきたこと」と「そうでないこと」があった。
やってきたことは、改めて再確認の意味で。
そうでないことは、これから意識する方向で。


今は、自分に素直に受け入れよう。
そして実行しよう。


というわけで半分くらい読んで、帰路につく。

帰路は15分ほどで、閑静な住宅街を歩く。
そこでふと感じた事。


空が変に明るすぎて、木々のシルエットが半端だなーと思った。
田舎育ちの自分は光が入り込まない本当の闇の暗さを知っていて、そこに光が入り込んだ時の木々が写しだす真っ黒と真っ白のシルエットを見た経験がある。
それは、本当に綺麗である。
まぁ、気温や雲の量や月明かりの輝度などの様々な要素がベストにかみ合わないと、感動が生まれるほどの綺麗さは生まれないんだけど・・・
しかし、都会のそれは半端すぎて逆に怖くなった。

最近もう一つ意識していることは、5感を意識すること。
たぶんそうした意識が、それに気づかせてくれたんだろう。


ということで、帰宅。


今日一日どんなことをしてどんな感想を持ったかの整理をする為に、これを書いています。

少し、アウトプットしやすい思考になってきたような気がする・・・


5月中旬に様々な思いを胸に上京して、早3週間経った。
当初は帰省することに対してためらっていた。
その理由は、寂しさと辛さを癒すことによって、今の自分の気持ちの高鳴り(モチベーション)が切れてしまうと思ったからだ。
そう思っていた。



ただ、仕事状況の変化と時間が経過したことによって気持ちが少し落ち着いたのもあって、
3週間ぶりに帰省する決断をした。
会長や社長もそう促してくれたからというのもある。




・6/7
最終の新幹線で帰省することにした。
暑くなっていく東京には不要な長袖等をキャリーバッグに詰め込み、帰れる嬉しさだけで帰路についた。
東京駅で駅弁を買い、本屋ではためになる文庫本を買った。今までは適当な雑誌しか買わなかったけど・・・



乗り込んで駅弁を平らげてPCを立ち上げた。
メールチェックだけ行おうとしたら、同僚がまだ働いていたので、skypeでチャット。
30分ほどしたら酔ってしまった。車でも乗り物酔いというのはあまりしなかったのに、久しぶりの経験だ。
やはり揺れが頻繁な山形新幹線でのPC作業は控えたほうがいい。メールチェックくらいだな。



しばらく休憩しながら色々な考え事をした。
今回の帰省は自分自身のリフレッシュ目的であって、とにかく頭を使わない(仕事の事を考えない)という目的があった。
ただ、やはり仕事の事ばかり考えてしまい、余計に不安になってしまった・・・
これじゃダメだと思い、iPodでポッドキャストを聞いた。

音楽を聞いても考え事ばかりしてしまう為、会話を聞いていたほうがいいなと思ったからだ。


目をつむり耳だけ音声に傾けた。
聞いたのは安住紳一郎の日曜天国だったが、これが思いのほか集中して聞くことが出来た。
話が面白いというのもあったが、話し方や表現の仕方に意識しながら聞くことが出来た。
これが出来たといのは、一つの進歩だと思った。
ここ数週間はアウトプットへする事の悩みを抱えており、アウトプットするには良質なインプットが
大事であり、自分がどのような意識で聞くか(感じるか)が大切だと最近知った。
ただ、右から左へや話が面白いだけで聞くのもいいが、会話の流れに対してどのような表現アプローチをしているのかが、
とても興味深く聞くことが出来た。
自分が出来るかどうかは別であるが、それを聞いた経験が必ずどこかで、自分の会話引き出しから引き出すことが出来ると思う。



とはいえ、話しが面白くてあっという間に山形に着いた。
22:16着。



迎えに来たのは母親。父親に迎えをお願いしたのに、酒を飲んでしまったらしい・・・
母はぶつぶつ言いながら運転していた。



帰路の車の中で思ったのは、3週間前と見る景色や感じることは対して変わっていない。
おそらくまだ自分自身が成長していないのだと思う。(たかだか3週間)
いつか成長した自分の目で見たとき、新しい見解が出来ることが目標の一つである。



家に着いたら愛犬のたんとがお出迎え。しっぽを振って喜んでいた。
暗くて見えなかったが、体格が良くなっていた。
寝室に入ると、息子は当然寝ていて、妻が寄り添っていた。
荷物を置き気持ちを確認すると、当然とても落ち着いている。
安らぎや幸せが感じられた。着いたのは夜遅かったが、ずっと起きていたい気持ちだった。


・6/8
朝は気が緩んだのか、9時頃まで寝てしまった。
妻は自分に気を使いつつも、いつものペースと違うからご立腹。
それもそうだ。息子中心に動いているから。夫がぐうたらだとそうなるだろう。反省。



朝食を食べた後、息子が眠くなって寝てしまった。本来は離乳食を食べてから寝るのだるが、
自分が遅く起きてしまったからだな。



寝室がずいぶん綺麗になっていることに改めて思った。
息子がハイハイするようになって、移動範囲が増えた今、誤飲の元になる物やゴミは当然だが、
危険なものも息子の手に触れないようになっていた。
妻には本当に感謝する。いつも感謝しているんだけどな。



天声人語ノートがテーブルの上にあった為、覗いてみるととても綺麗な字で書いてあった。
妻の元々の字とも少し違うように感じた。(いい意味で)
字を書くことが好きで、後々の仕事復帰に備えたリハビリの意味もあるけど、夫としては
全面的に応援する。ただ、残念ながら手伝えないけど・・



昼食後、息子と妻と散歩に出かけた。
日差しが強かったけど、風がほどよく冷たかったので快適だった。
東京は梅雨入りしたけど、東北はまだまだ。それを感じた散歩だった。



夕飯は家族皆で外食。
冬に一度行ったところだ。
当時の息子はまだお座りもおぼつかなかったが、今回はお座りはもちろんハイハイもこなす。
最初は環境の違いに緊張していた感じだが、徐々に元気になっていって、その笑顔に家族は皆癒された。
食事も美味しかった。
またいつか来たいな。
帰りに新装開店したファミマに寄ってお買い物。何が変わったのか分からないけど・・・



帰宅後は風呂が沸くまでの間、ファミマで買ったアイスとシュークリームを皆で食べた。
やっぱり皆で食べるのは幸せに感じる。
たぶん、そういう家族の中で育った俺の原点なんだろうな。



息子と風呂に入る。
おもちゃを与えて腕を掻かないようにしながら、体を洗う。
少しづつ大きくなっているのが感じられた。



風呂から上がった後は、翌日の準備をしようと思ったけど、出来なかった。
前々からそうだが、風呂に入ってしまうとどうしてもその後に何か行動が出来ない。
まぁ、大概はそういうものだろうけど。
早めの就寝。





・6/9
朝方、息子の声で起き、目を開けたらハイハイで自分の目の前までやってきていた。
自然と笑顔がこぼれてしまう。理屈じゃない感情が込み上げて、幸せになる。
8時過ぎに食事を済ませ、5月の端午の節句に上げた鯉のぼりの撤去作業をした。
父親と二人でなんとか片づけることが出来た。
本来の「木の棒」で設置する場合、大人2人じゃ到底無理で数人の手助けが必要であるが、
今時の鯉のぼりのポールは強度も強く軽いため、2人で設置が済んでしまう。
父親は俺が帰ってきたときまで片づけるの待っていた。たぶん、俺と片づけることに
意味があると思っていて待っていたんだと思う。
その気持ちはうれしかったし、来年は自分が主導で上げたいと思う。
母親と妻息子の前で片づけを済ませた後は、兜の片づけを行った。
横浜の母親(ばぁば)からの頂き物。今年は、息子がさすがに興味を示す年齢じゃなかったけど、
来年は鯉のぼりも兜もキャッキャ言いながら、楽しむのが想像出来るし楽しみの一つだ。
また来年家族皆で節句を祝いたいと思う。



片づけ後は上京の準備を始めた。
その時、東京時代の友人から着信あり。
会おうとの電話だったけど、今現在は実家・・・
東京に着く3時過ぎに合流することとした。



11時40分発の新幹線に乗り込むため、妻と息子に送ってもらった。
また息子としばらく会えなくなる寂しさが沸いてきた。息子の胸に手を置いていた。



もちろん妻との寂しさもあるが、一言「がんばるよ」とだけ伝えた。
今は口を開くと弱音ばかり出てしまうから・・・
妻はそれも分かっている。
そして、俺を待つ妻の気持ちも俺は理解している。
100%理解しているとは言えないが、今俺が頑張れるのも妻の理解があるからだ。
それだけは確実に言えるし、俺の土台となっている。
色々な思いがあると思う。抱えている思いがたくさんあると思う。
今は不安のほうが大きい。それが口に出るのも受け入れる。
でも、先々にはそれが逆転するように俺はがんばる。
すぐに出来るかは分からないけど・・・



そんな思いで、新幹線に乗り込んだ。

「がんばろう俺!がんばろう妻!」



いつも感じる事の一つに、山形県を抜けると気持ちが切り替わるというのがある。
大体、山形と福島の間の山地を抜けて開けた当たりからだ。
不思議ではあるが、自分のホームからアウェイへ行くような感覚かもしれない。
元々学生から1人で上京していたため、1人でがんばるという決意に近いかもしれない。
ただ今回は、1人だけががんばるのではなくて、妻や息子含め家族全員が頑張る「時」だと思っている。
そして、各々がそう思っているし受け止めてくれている。


ありがたい事だし、感謝しなくてはならない。


その為に、何か結果を残せるように頑張りたい!
会社の仲間もいる。

そんなことを考えていたら、東京駅に着いた。



友人とは5.6年ぶりに会った。
この男は不思議ではるが、自分の事をとても分かってくれている男だ。
なんというか、俺の人格をすべて見透かされているようなくらい分かっているし、
それに対するベストな答えをズドンと言ってくれる。
こういう友人というのはとても貴重だ。
今回の状況の経緯や背景を伝えると、もうすべて分かってくれたように話が進む。
俺の選択に理解を示してくれたのも、とても心の支えになった。
少しは不安がとれたかな。



会話の中で一つビビっときたのは、「俺は人との出会いの引きが強い」ということ。
前に別の人からも同じような事を言われた。
確かに俺は今までの仕事の中では、関わった上司と呼ばれる人の引きが強いかもしれない。
恐らくこの友人もその一人だと思う。
今回の転職に関わった会長もそうだ。
引きという言葉だけでは表現出来ないけど、少なくとも自分の意思で踏み込んだ世界には
そういう人が居た(る)という事だけは言えるし、踏み込まないと出会わないということかもしれない。
やはり客観的に自分を見てもらう事というのはとても大事だと思う。
それが旧友であれば尚更だ。



東京の家に着いたら、案の定気持ちが下がったがとりあえずこの土日の出来事をまとめようと思って
これを書いている。



アウトプットは訓練だと思うし、今は上手に書けないかもしれない。
実際この文章も出来事を時系列に並べただけで、自分の表現があまり感性的に加わってないなーと感じる。
場面場面で思ったことや感じたことを、後々にアウトプット出来るようになればいいなぁ。

それが出来れば、口でも同じことが出来て会話が上手になると思っている。


がんばろう!


新しい事へ一歩踏み出す事は、勇気がいる。

先が見えないから、怖さが先行する。

ただ、見ようとしている新しい道は希望や夢が感じられるから、踏み出そうとしている。

でも踏ん切りがつかない・・・

モヤモヤだけが過ぎていく。

妻に話す。

「こうしたい。こうなりたい。こう考えている。」

分かってくれた。

でも、妻も同じくらいか、それ以上に不安だろう。

それでも、自分の志と家族の理解で、踏み出す事が出来た。


しかし、いざ踏み出すと更に不安な気持ちが押し寄せる。

出来るか出来ないかや、この道が合っているか合っていないか・・・

やってもいないのに、これらの感情が押し寄せる。

だから、必死で自分をなだめる。

必要だと思う事を吸収する。

自己分析する。

それによって、不安を打ち消す。

しかし、前に進むために必要だと考えたことや、

その行動に対して、周りからは「考えすぎだ」と言われる。

「気にしすぎ」「フラットに」「千本ノックだ」


なぜ?分からない。


自分の為、家族の為、会社の為、山形に変える為、
今自分が必要な事を必死でやっているのに、考えるより行動しろと言われる。

今自分に何が必ようで、何が足りないかを考えて、それに伴う知識を身に着けたりしている。


分からない・・・


俺は一つ一つ納得しないと前に進めないタイプだと思っている。

それが全面に出ているのが今。

家族の為だったり、早く山形に帰りたいという強い意志がさらにそうさせた。

だから、本来頭で考えても分からない部分や理屈じゃない部分、

経験でしか分からない部分に対しても、理解と納得を強く求めていた。

それが無意識に自分に対してブレーキをかけていた。

今は解決出来ない(する必要がない)悩みを背負って、進んでいた。

だから、周りからは足踏みしているように見られたのかも。

気持ちは進んでいたのに・・・

そうであれば、一旦悩みを置いて、前に進もう。

そう、後から取りにこれるだろう。