さぁさぁ、このシリーズも最終幕です。
 
とりあえず、
 
これまでのやーつ。
 
 
 
 
前回は「東京証券取引所」までを
 
書きましたね照れ
 
日本橋・兜町から、
 
次に向かったのは…
 
「都立谷中霊園」
 
この観光では
 
特に楽しみにしていたスポットです。
 
先日最終回を迎えた
大河ドラマ
「青天を衝け」
 
の主人公であり、
 
2024年から
 
一万円札の顔となる、
 
「渋沢栄一翁の墓」
 
渋沢翁の墓を挟むように
 
並んでいるのが…
 
「前妻千代さんの墓」
 
明治15年、当時流行していた
 
コレラを患ってしまい、
 
42歳でお亡くなりになったそう。
 
そんで~
 
その逆サイドには…
 
大河ドラマでは
 
元AKBの有名な人が
 
演じた、
 
「後妻伊藤兼子の墓」
 
紹介が雑過ぎましたね。
 
大島優子さんでしたね。
 
おばあちゃんになった時の
 
特殊メイクが記憶に残っています照れ
 
現地に行き、
 
改めて渋沢翁の
 
忠義が姿勢が伝わるのが、
 
渋沢翁の眠る墓が向いている先には
 
「徳川慶喜公の墓」
 
 
亡くなってもなお、
 
忠誠を誓う姿に
 
心を揺さぶられますお願い
 
私自身、
 
渋沢栄一という人物を
 
「論語とそろばん」

という著書をもって知ってから
 
「渋沢栄一」という人物像や
 
その生きた時代に
 
興味が芽生え、
 
学ぶきっかけとなり、
 
その過程の中で
 
これまで自分自身の中で
 
形成された人物像と
 
最も差異があったのが慶喜公。
 
学校ではそこまで学べなかった。
 
相当タフな人生を送られたお方。
 
まぁ、
 
現代の教育は
 
大東亜戦争の敗戦下、
 
GHQによって選別された内容を
 
軸として作られてきた、
 
と言われることを考えると、
 
当時の日本人が強く持つ
 
「忠誠心」
 
いかに削ぐか、も
 
選別基準にはなったのだろうと
 
妄想します。
 
これは一個人の妄想です。
 
ファクト取りにいってないのであせる
 
ただ、
 
学生時代に
 
渋沢栄一翁や
 
徳川慶喜公といった、
 
我々が現在生きている
 
時代の基礎や土台を
 
作って頂いた先人について
 
学びたかったなぁと思うチーン
 
そうすれば
 
歴史の点数が
 
もう少し良かった気がする。
 
(暗記が苦痛でしかナカタ…ドクロ
 
話を戻そう。
(ぺこぱ風)
 
北区の飛鳥山公園内にあり
 
渋沢翁の80歳のお祝いと、
 
男爵から子爵の昇格祝いに
 
寄贈された、
 
煉瓦&鉄筋コンクリート造りの
 
「青淵(せいえん)文庫」
 
お墓にも彫られていましたが、
 
この『青淵(せいえん)』は
 
渋沢翁の雅号であって、
 
いとこで学問の師となった
 
尾高淳忠が名付けたもの。
 
続いて~
 
渋沢翁の喜寿を祝い、
 
現在の清水建設が贈った洋風茶室、
 
「晩香廬(ばんこうろ)
 
さらにさらに同公園内にある、
 
「渋沢栄一の像」
 
と、
 
「しぶさわ君」
 
なぜだろう。
 
34歳の男性に向けて
 
わざわざ
 
シャッターチャンスをくれたのに、
 
理由はわかりませんよ。
 
なぜだろう。
 
イラッとしたグラサン
 
まぁ、この流れが
 
ブームとして過ぎ去らないことを
 
切に願います。
 
飛鳥山公園からは
 
集合時間に間に合わなさそう
 
だったため、
 
急遽タクシーに飛び乗り、
 
軍人の山縣有朋氏が
 
邸宅としていた
 
「椿山荘」
(逆行だぜ、クゥ~笑い泣き
 
無事に友人の結婚式に
 
間に合ったとさ。
 
山縣有朋氏の人物像には
 
いろいろなご意見があるかと
 
思いますが、
 
場所やロケーションは
 
ステキなとこでした。
 
もっとゆっくり時間をかけて
 
拝見したかったです。
 
(またの機会に)
 
こんなステキな場所で
 
結婚式を挙げる友を
 
誇りに思う。
 
呼んでくれてありがとう!
 
結婚おめでとう!
 
~~おまけ~~
 
乾杯のお酒が
 
「テキーラ」
 
ありがと~
 
ございっまぁ~すオエー
(とろサーモン久保田風)