福岡のオフィスで、美咲はアジア地区担当チーフエコノミストとして、国際会議に臨んでいた。経済と環境のバランスを語る彼女の言葉は、現場の経験と家族の記憶に裏打ちされていた。
「経済は、人の暮らしの記録。自然と命の物語を忘れないことが、未来をつくる鍵」
そら(犬)の旅立ち、結衣の出産、三姉妹の絆。美咲はそれらを記録し、小さな冊子にまとめていた。やがてそれは、地域の子どもたちに向けた「命と自然の絵本」として広がっていく。
そら(娘)と澪は、美咲の語る物語に耳を傾けながら、自分たちの物語を紡ぎ始めていた。
福岡の朝は、静かに始まった。美咲は自宅の書斎で、コーヒーを片手にノートパソコンを開いていた。アジア地区担当チーフエコノミストとして、彼女は今日も国際会議の資料を整えていた。経済指標、地域の気候リスク、持続可能な成長戦略——数字の世界に身を置きながらも、彼女の心にはいつも、家族の記憶があった。

机の脇には、古びた革の首輪が置かれていた。そら(犬)のものだった。結衣の出産の日、美咲はそらを看取った。その旅立ちは、命のバトンのように感じられた。
「数字だけじゃ、未来は語れない。記憶があってこそ、人は前に進める」
美咲はそう思いながら、そらとの思い出、三姉妹の旅、結衣の結婚式、そしてそら(娘)の誕生を綴った小さな冊子を作り始めていた。タイトルは『森と空と、三姉妹』。

ある週末、美咲は屋久島を訪れた。そらと澪が森の中を駆け回る姿を見て、彼女はそっとカメラを構えた。風に揺れる髪、笑い声、木漏れ日の中の足音——それらは、そら(犬)がいた頃と重なって見えた。

「そらちゃんって、どんな子だったの?」と澪が聞いた。
美咲は微笑んだ。
「優しくて、賢くて、ちょっと頑固。でもね、結衣のことが大好きだったの」
そら(娘)は首をかしげた。
「わたしの名前、そらちゃんからもらったんだよね?」
「そう。あなたが生まれた朝、空に虹がかかってね。そらちゃんが旅立った日だったの」
美咲は、そらの首輪をそっとそら(娘)の手に渡した。
「これは、あなたの物語の始まりでもあるの」

その夜、三姉妹と二人の娘たちが囲む食卓には、昔話と未来の話が交差していた。美咲は静かに語りながら思った。
——この子たちが、自分たちの物語を紡ぎ始める日が、もうすぐ来る。
記憶を紡ぐ語り部として、美咲は、命の物語を未来へと手渡していく準備をしていた。
つづく。