7月の14日から17日までC5 Xで初めての長距離ドライブをしました.

 

天満の東洋ショー劇場とDX東寺へは毎年1~2回遠征していますが,今回は初めて車で行きました.一日目行きは自宅から新大阪江坂東急REIホテルまで470km走りました.単独運転での一日の走行距離は十年前に久慈まで700kmをAudi Allroad Quatro 2.7Tで走ったのが最長ですが,このときは疲労が激しくそれ以上の運転は危険でした.夕食を食べて休むのがやっとでした.そのときより体力は衰えているはずなので470kmでも危ぶんでいたのですが,案に相違して車を降りても特に疲労は感じませんでした.C5 X長距離高速走行はかなり得意です.燃費はほぼ20km/Lでした.

 

二日目は東洋ショーへ,東急REIホテルに2泊して三日目はDX東寺へ,16時頃退場して京都府の日本海岸にある舞鶴に向かい(写真1),スーパーホテル東舞鶴泊.

 

写真1.道の駅若狭おばまにて.以下4枚ともα7Cと40mm F2.5で撮影.

 

舞鶴に来たかったのは,旧海軍の四つの鎮守府の一つが置かれていたからで,これまで横須賀,呉,佐世保は行きましたので舞鶴が最後になります.現在は海上自衛隊の基地になっています.

 

翌日は午前中港めぐりの遊覧船に乗って自衛艦のそばを通りました.写真2は停泊していたヘリコプター搭載護衛艦ひゅうがです.固定翼機は積めないものの,全長197m全幅33mとかなり大きい艦です.ひゅうがとは旧海軍の戦艦日向の名を受け継いだものです.港めぐりは横須賀,呉でも乗りましたが,舞鶴はそれらに比べて小規模な基地と感じました.

 

写真2.ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが.

 

遊覧を終えた後は赤レンガ博物館と赤レンガ倉庫(写真3)を見たのち,少し離れた舞鶴引揚記念館に行きました.

 

写真3.赤レンガ倉庫.

 

この記念館に興味があったのは,日本政府は,降伏したのち大陸にいる日本人は現地同化とし引き揚げを行わない方針を決めたが,GHQの指示により一転引き揚げ事業を行うことになったという話を聞いたことがあるので確認したかったのです.現地同化の方針が本当なら驚くべきことです.写真4のパネルにはその通りのことが書いてありました.

 

写真4.舞鶴引揚記念館の展示.

 

現地同化といっても,敗戦国からの移民がどのような扱いを受けるか,あるいはシベリア抑留された日本人はどうなっただろうかを考えると,こと引き揚げに関してはGHQが正しかったといえるでしょう.日本軍が太平洋の島々に配備した日本兵を撤退させる真剣な努力を怠り多くの島でむざむざ玉砕(全滅)させたこと(キスカ島が例外です)と同じ思考ですね.あるいは去年見学した知覧特攻平和会館で知ったことですが,急ごしらえの特攻隊員は,技量不足,および航空機の消耗によって鈍足の旧式機で出撃させられたことで,9割は途中で撃墜されたり,敵艦を発見できずに海に墜落して無駄に死に,アメリカ艦艇に突入できたのは1割だけだったそうです.であれば成果が上がらない作戦を中止すべきところ,漫然と特攻作戦を継続したことにも通じます.

 

この頃は歴史修正主義者による,いわゆる「自虐史観」への批判が厳しいですが,日本がこのように自国民の命を粗末に扱ったことは間違いありません.白洲次郎はGHQにもひるまず渡り合ったなどという話は耳に心地よいですが,GHQが正しかったこともあるのですね.

 

15時過ぎに帰路につき,途中渋滞もありましたが500km走って22時に帰宅しました.C5 Xの性能に満足しました.また低速で起こるATのガクガクも心なしか軽くなったように感じます.