田舎の高校生だった僕は三島由紀夫とモンテイパイソンとマルクスブラザーズに

憧れて東京に出た。

東大と拓大の中間にあった大学はロックアウトの最中、核マルと中核と民青と

反帝学評が支配してた。

東大には飯を食いに、拓大では大東亜共栄圏の授業を聞いた。

その頃伊藤貫は東大にいたんだ、でも東大の授業には面白いのは無かった。

弱っちい東大生をいじるのも楽しくなかった。

その代わり大学では恐怖の桶屋秀昭先生にいじめられた。

週末は池袋でやくざ映画の5本立てを観ていた。

つかこうへいにはまり、和田誠にも、アニメも作る、夜はゴールデンゲートで

騒ぐというサブカルチャーにズッポりの4年間だった。

日本では音楽絵画も演劇映画も歴史でさえもサブカルチャーなんだ。

 

東京には時代の空気が張り詰めていた。

当時は来年はこうなる、来年の流行色はこれだからという会話をしていた。

田舎に帰って来て50年近く、距離を置いて東京を観ていた。

外国を旅すると外国から日本を観ていた。

 

コロナのこの3年は時々東京に出て人を眺め、美術館巡りとフォロンの絵を集めてる。

東京の真ん中はドーナツの穴、東京から浮いている空白地帯に観える。

地方から見れば東京は地方とは別な存在。

そして日本は世界から良くも悪くも浮いている。

 

世界の潮流はBRICS、ドルは売られ欧米は既得権益にすがるだけ、

BRICSはすでに既得権益に縛られていない。

落ち目のアメリカでトランプは無事に大統領になれるのか、

傀儡バイデンはもう使いたくても使えまい、

ケネディは立派だが面白いのはトランプだな。

SFで育ったイーロンマスクにもわくわくする。

今はサブカルチャーでは無く、政治が一番面白い。

何といっても明日は我が身がどーなるかという臨場感にあふれている。

東京と地方が、世界と日本が一衣帯水、共に転がろうとしている。

ローリング20は始まっている。

 

 かつてアメリカでは国がふたつに分かれ市民戦争を戦った、

日本では南北戦争と云うが。

北軍の旗と南軍の旗を掲げてぶっつかった、

そして北軍の旗が今のアメリカ国旗となった。

我が国の戦争では平家と源氏の戦いも両軍が日の丸の旗を掲げて戦った。

天下分け目の戦い関ヶ原では西軍東軍共に日の丸を掲げた。

 

岸田は日本をアメリカの既得権益に紐付けようとしている。

日本の政治家は私利私欲にあふれ、公に立つ政治家は少なくばらばらの状態からの始まりだ。

今の政治は政党政治、ひとつになるという国体からは程遠い。

もしひとつになれれば民主主義からも抜け出せるかもしれない。

日の丸、つまりは天子さまの国に戻れるかどうかの土壇場だな。

それとも錦の御旗を掲げることになるのか。

 

 いずれにしても混乱の夜の時代が始まる。

アンドロメダは遠く暗黒星雲は訪れるのか、魂の時代が訪れるのか。

日ノ本の国の岩戸は閉じようとしている。