父親の権威も無くなったと云われるが、

それ以上に無くなったのは母親の権威だと気付いてる人は

どれだけ居るのかしら。

かつては家の中では誰も母親には逆らえなかった。

戦後は家庭のなかに権威を持ち込まないことが民主主義の

良いところだと、テレビの前で家族全員寝転んで眺めている

ような風景が民主的だとされた。

 

民主主義にこそ価値はある、権威などクソくらえ、

戦後生まれのベビーブーマー団塊の世代は故郷の父母を捨て

先祖の墓を捨て、都会へと出た。

お隣のシナでは毛沢東の文化大革命の最中、紅衛兵と子ども達を

褒めはやし、おだてられた子どもたちは学校や図書館、金持ちの

家を破壊し、知識階級を殺して回った。

これで2000万人が殺された。

わが国でもこの世代は大学の教授を殴りつけ、本を燃やし、

大学解体を叫び、東大の安田講堂に立てこもった。

挙句の果てが軽井沢の赤軍立てこもり事件、内ゲバと云う名の

男女の乱れ、出てくる出てくる男女学生の死体、世間はこれで

共産主義の怖さを知った。

 

受験生の僕は東大赤門前の旅館で警官隊に銃を撃つ学生たちを、

撃たれて運ばれる警官をテレビで見ていた。

これがほんの50年ちょっと前の日本だ。

この30年はこの世代が日本の中枢に居すわり、権威と権力を

振るったということだ。

彼らは口を拭い、何も無かったことにしてるがね。

 

僕はこれからは権力よりはマスコミが世間を支配すると社会学部と

いうところでマスコミを専攻したが、当時のマスコミはまだ弱小産業、

前科者の学生上がりの巣窟だった。

 

その頃日曜の銀座の歩行者天国に三越の30mの看板が倒れ負傷者多数、

これが何と事件にならなかった、翌日の全ての新聞の見開きには三越の

全面広告、これで何も無かったことにされた。

そういうことでとんでもないと僕は田舎に逃げ帰った。

 

 かつては天皇の権威に従う武士などの権力が天皇の大宝である国民を

護った。

戦後80年とはこの仕組みが壊されてしまった時代だ。

天皇の下に中央権力、さらに地方権力、その下は家という権威権力が対峙し

この構造を支えたが、家という土台構造が崩れピラミッドが低くなった。

多重構造は単純構造となり、支配者と被支配者という構造が現れ、

金持ちと貧乏人という二極化が進行することになる。

 

情報は力だから、権力は情報を統制する。

国民には許された情報しか届かない、これが洗脳だ。

かくてワクチンは流布され、副作用は隠される。

 

家という単位は個に解体され、権力構造に守られた者たちと力を持たぬ個、

つまり羊だ、大きな羊は美味しい、太らせて食えということになる。

太らせる時代は30年前に終わったんだよ。

逆らった安倍政治は徹底的に解体されようとしている。

誰に殺されたと思ってんだ、何発も銃弾が入ってんだよ。

個を強くするために必要なのは組合でも政党でも無い、家なんだ。

参政党はおかしくなったし、日本保守党も何だかな。

 

家族は対等だが平等ではない、お父さんとお母さんが権力と権威を持つこと

こそが日本を復活させる。

嫌われたくないお父ちゃんとお母ちゃんには無理な話かな。

戦いすんで日が暮れて、仲良しこよしで日が暮れて、ジジイが変なことを云ってるよ。