昨日は問題を出してみた。
シッコとうんちはどちらが毒が強いか。
答えは小学生中学生高校生大人みんな違って当たり前だ、
考える力のレベルが違うのだから。
子どもなら緊急性だ、早く我慢しないで行けよ、
腎臓と腸の働きが分かるようになれば毒の違いが分かる、
虫刺されにはうんこは駄目なの。
そうなれば次の問題、ウンコとシッコをなぜ別々に出すの。
身体の中で合わされば人は死んでしまう、なーぜだ。
今の学校は知識を教え、知識を問う。
戦前の日本の教育は考える力を養う教育だ。
それをアメリカが学んで今ではアメリカは考える力を養う教育をしている。
先生が生徒に質問を出すのだ。
代わりに日本には知識教育を押し付けた。
つまり偏差値教育、クイズ正解式の教育だな。
つまるところ教育の目的は人生に正解なんか無いということを教えること。
それが生きる力を与えることだ。
小学生も中学生も高校生も大学生も死亡原因の一位は自殺だぜ、
学校教育なんて止めちまえというレベルだ。
もちろん親の責任はもっと大きい。
子供のいじめに気が付きませんでした、それ以前の話だよ。
人生に正解が無いことを親が分かって無いから、子どもにいい大学に行け
いい企業に入れと云うんだろ。
この正解を求める教育はだまされる人間を作り出すのにとても効果がある。
前に書いたが我が大分県ではアカ教育が行われている、洗脳教育だな。
若い者は君が代なんて歌えないんだからな。
小学校の女教師が夜に訪ねてきて、何を云うかと思ったら
日の丸は国旗では無いし、君が代は国歌じゃ無いのをご存じですかと言う。
お前は何でも法律で決めんといけんのか、そんなこと云ったらイギリスはどうなるのかと云った。
慣習法とは慣習を法律とするということだよ。
僕は憲法なんて要らない、慣習で国が動けば良いと思っている、保守だかんね。
17条の憲法と5か条の御誓文、教育勅語だけで良い。
えー、脱線しているが、戦前の教育を今日は書こうと思ったんだが。
古事記の小学校の授業では教師は八岐大蛇とは何ですかと訊くんだよ。
原文ではおろちを大蛇とは書いていない、於露地と書いてあるんがヒントだ。
八つの沼地を開拓したというのが大人の読み方だよ。
神話の読み方も知らない現代の大人なのであります、ちゃんちゃん。
*実は昨日のブログに正解は何なんだよー、と連絡してきた者がいたから書いた。