赤ちゃんの行動からは学ぶことが多い。

ある時は生まれ落ちた赤ちゃんは便をして初めて

授乳が可能になると聞かされた。

阿吽の呼吸と云うが阿というのは息を吐くこと、

吽というのは息を吸うこと、

なるほど出さないと入らないのだと思った。

倉庫を空っぽにしないと次の荷物は入らないということだ。

 

神社やお寺の入り口には阿吽対の狛犬が配置されているが、

人生は息を吐いてから吸うまでの間だということを示している。

臨終に際して中空に腕を伸ばし掴もうとするのは息が入らないということだ。

 

写真の説明はありません。

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*これは旧豊後一之宮にある狛犬2対、見事にアートしていて僕のなかでは

日本一なのです。

最高に可愛い、こんな阿吽のなかの人生なら楽しそうだ。

ちょいと脱線させてもらいました。

 

えー何だっけ、先日は赤ちゃんは基本的に日に7回授乳をするという話を聞いた。

赤ちゃんの便りは授乳の条件反射だから20分後にはおむつに7回

お漏らしをするということだ。

人生において最大の栄養摂取を必要とする時期が授乳期だ。

ならば僕たちの飲食も7回を意識してとどめるべきなのだろう。

これはだらだら日がな食ってばかりのジジイには結構難しいね。

 

もひとつ赤ちゃんのことを書くと、乳飲み子は大昔なら洞窟の中、

昔なら産屋のなかで育てられた。

当然赤ちゃんの目はまだ見えていない、薄暗い中で母親の顔が見えるだけ。

現代は目の見えていない乳飲み子も明るいところに引き出される。

下手をすれば電車のなかにも買い物にも連れまわされる。

発達障害が増えたのもこんなことも関係あるだろうか。

親の不幸は赤ちゃんの不幸だ。

リベラリストや人権主義者が人を不幸にする。

 

暗い産屋のなかで母子が共に過ごす時間は幸せの時間であり、

愛を育てる時間だと思う。