日本の歴史はお神楽や神社などの形あるもの、
古事記や日本書紀など文字で記されたもの、
人の口を通じて伝承されたもので伝わります。
もちろん一番古いものは人の口であり、次にお神楽などということになります。
神楽の演目はそのまま日本の歴史、天孫降臨、天岩戸に始まり
異民族との融合がテーマの演目もたくさんあります。
紅い髪の者、両手に火を操る者、演目によってさまざな異民族が出てきます。
いずれも舞台に乱入してきてチャンチャンバラバラ押し返され、また出てきては
押し返され、和解したかと思えば性懲りも無くまた押し寄せてきます。
暴力には必ず”武”で立ち向かいます。
即ち矛を止めるということです。
何度かの和解を経ておとなしくなることが”征”、つまり行いを正すことです。
そして神武天皇の東征も行いを正してまわったということなのです。
その後の日本の戦争における勝者と敗者の関係も同じようなもので
互いの戦場における健闘をたたえ、従うというものであり、
勝者の無法などありません。
明治維新の”勝てば官軍じゃらい”というものなどありませんでした。
江戸時代という日本人の血が一番多く混ざった時代に薩摩藩などは出入り禁止と
一藩で鎖国をやっていたようなものですからそういう概念が残っていたということです。
何せ日本中で薩摩藩だけ上は斬り捨て自由、下は仇討禁止なのです。
日本人にとっての戦争とは侍や軍人が関ケ原など山の中で民と関係ないところでやるものです。
基本的に民の生活する町や田畑を舞台にすることはありません。
ところが特にアングロサクソンの戦いはインディアンの戦士を避け、部落を襲う、
南北戦争なら”風と共に去りぬ”のアトランタの焼き討ちのようなやり方です。
女子供を襲い正規軍を消耗させるというのがアングロサクソンの常套手段です。
さらに日本軍には殲滅戦という概念がありません。
信長のそれがあるだけです。
世界中に将棋がありますが取った相手の駒が使える将棋は日本だけのものです。
真珠湾攻撃などガキのピンポンダッシュです、アメリカ軍が逃げ足の速さに驚きました。
きちんと真珠湾を叩いておればその後の戦局は違ったものになったでしょう。
陸軍の三八銃は口径6,5㎜ですから頭か心臓に当たらなければ殺せません。
つまり動きを止める為の銃器です。
かのように戦争観の異なる、白人と日本人の戦いでありましたが
プルトニウム爆弾とウラニウム爆弾を落とされ、ついに日本は降伏しました。
ついてはこの爆弾先方でも通告して落とすか、通告なしで落とすか、
あるいは無人島もしくは軍事基地に落として警告とするか、
人口密集地に落とすか、工場密集地に落とすか検討されたとされますが、
結果は警告無しで人口密集地に落とされ大量殺戮を生むことになりました。
つまりは正々堂々という日本型の戦いをしたのは日本人だけで、
日本人から見れば卑怯極まりない戦い方をした蒋介石軍、アメリカ軍には
敗者としてものを云うことはまた卑怯未練であるということか、
戦いとは勝つことがすべてだということを学んだことがこの戦争ならば
次の戦争は必ず勝つ戦争をするのか。
それでも戦ったからこそ今日本人はこの地位に在るのであり、
戦わざる者はそのまんま奴隷ですぜ。
本当に学んだのかよ。
戦争当時、爆弾を落とされたアジア人日本人には人権が存在しないのです。
もちろん現在でも人権を叫ぶ人のなかでもチベット人モンゴル人のことは
語られないのだから、彼らには人権が存在しないということです。
ちなみに現在最大の被爆国は日本でなくなりました。
モンゴルでは100万を超す被爆者が存在します。
なかなか日本占領時代に行きつきませんが、
次回からね。