多家神社から、埃宮の跡と言われる、二つの神社跡に、行ってみます。
多家神社でお参りを終えて、まずは「総社跡」に向かう事にします。
ここは、どこでしょう?
田所氏の、墓所なんだ!
田所氏について、少し説明しましょう。
田所氏は、安芸国の国造家になります。
多家神社だけでなく、厳島神社や速谷神社とも関わりが深いと聞いています。
そして、この田所氏は、21世紀の今も、府中町に続いています。
という事で、「総社」に行く前に、ちょっと寄り道してみましょう。
千数百年の時を越えて、今も代々続いてるなんて、安芸国もたいしたもんだ!
さて、寄り道はこれくらいにして、先を急ぎます。
そうでした。
今回は、「埃宮(たけりのみや)」の場所へ行ってみようという事です。
「総社」「松崎八幡宮」の跡へ行ってみるという事です。
一つ目の「埃宮跡」、「総社跡」は、今はすっかり住宅街の中。
先ほどの田所明神社から、北側、少し山側に寄った場所にありました。
すっかり、住宅に、囲まれて、ここに神社があった事など、見ただけではわかりません。
正直、何とも味気ないものです。
でも、ひょっとしたら、二千年前にはここで七年(古事記より)、神武天皇が過ごされたとか?
果たして、どうだったのでしょう?
続いて、もう一つの「埃宮跡」、「松崎八幡宮跡」に行って見ます。
総社跡から、再び多家神社の前を通り、南へと進みます。
今は中学校となっている山裾に、松崎八幡宮跡はありました。
草刈り完了、ご苦労様でした。
そして、ありがとうございます。
急な石段を登っていきます。
この、奥にあるるです!
神武天皇が腰掛けたと言われる、腰掛け石。
この瑞垣内にあるんです!
"((∩´ω`∩))"ワクワク
ジャジャーン!
。。。。
この石が、「神武天皇の腰掛け石」だそうです!
二千年の時を越えて……
期待した人がいたら、ごめんなさいm(_ _;m)
ホントかどうか、真偽のほどは問わないでおきましょう。
そもそも、神武の東征そのものが……
というわけで、今回の訪問も、無事に終了しました。
埃宮は、「総社」にあったのか?「松崎八幡宮」にあったのか?
いつか、神様に聞いてみる事にしましょう。
おしまい。