みなさんお元気ですか? 「広島のガキおやじ くまもん」です!
「FUN FAN TODAY!」のお時間となりました。
本日もいつものようにおつきあいよろしくお願いします。
全日本プロレス中継・熱き名勝負集
過去の名勝負の中から本日はご覧のカードをお送りします・・・。
★ランバージャックデスマッチ 時間無制限1本勝負
天龍源一郎 VS 上田馬之助(1983年3月1日:秋田)
まだ土曜の夕方5時半からオンエアされていた時代のカード、当時私・ガキおやじは小学6年生でした。
「風雲昇り龍」天龍源一郎が「全日本第3の男」として人気・実力が急上昇した時代です。
当時は「天龍VS上田」が何度も組まれましたが、すっきりとした決着がつかず遺恨カードに・・・。
ついに「ランバージャックデスマッチ」が行われました。
まずは天龍が「サンダー・ストーム」に乗って入場、そして「地獄へ堕ちろ」のテーマ曲で上田が入場
基本的にリング内での勝負、リング外にいるセコンド陣が「壁」となり、敵の選手をリング内に押し込みます。
はたして結末は・・・ 完全決着は・・・?
見てのお楽しみであります。
★時間無制限1本勝負
長州力 VS キラー・カーン(1986年7月31日:両国国技館)
試合本編を流す前に・・・
全日本プロレスで行われた「新日本出身者」どうしの対決であります。
1985年の正月シリーズから、長州力率いる「ジャパンプロレス」が全日本プロレスに正式参戦
「ジャパン軍団」は長州力を大将に、アニマル浜口、谷津喜章、キラー・カーン他と共闘してました。
1986年にキラー・カーンは長州を裏切り、スーパー・ストロング・マシーンを大将とした「カルガリー・ハリケーンズ」と共闘します。
実況の若林アナの名(迷)実況「恩知らずのキラー・カーン」がファンにとってはおなじみであります。
若林アナのプロレスニュースをちょっとご覧ください。
キラー・カーン、長州力に「ダブルニードロップ」 「恩知らずのキラー・カーン」
「恩知らず」実況の2ヶ月後に組まれた長州VSカーンの遺恨対決であります。
両選手ともに平沢進・作曲の入場テーマ曲であります。
キラー・カーンは黒装束のコスチュームで入場・・・長州を絞首刑にするか・・・?
不気味であります。
そして反対側から長州力の入場、レフェリーはジャパンプロレスのタイガー服部
決着戦がはじまります。
★60分1本勝負
アブドーラ・ザ・ブッチャー VS タイガー・ジェット・シン
(1990年6月8日:日本武道館)
「史上最凶悪外国人対決」ブッチャーVSシン
昭和のプロレスの外国人3大凶悪ヒールといえば・・・ブッチャー、シン、シークの名前が浮かびます。
シークは1981年の最強タッグの参戦が昭和最後の来日(その後1991年に大仁田厚のFMWに参戦)
ブッチャーは1981年の初夏にいったん新日本プロレスへ、代わりにシンが全日本に参戦
1987年の最強タッグでブッチャーは全日本に返り咲き、翌年の1988年には全日本でブッチャー&シンの「凶悪コンビ」が誕生。
(1979年のオールスター戦以来になります。)
1988年・1989年の最強タッグに2年続けて参戦、しかし1989年の最強タッグで「凶悪コンビ」仲間割れします。
仲間割れの半年後の決着戦であります。
まずはシンが入場、次にブッチャーが入場 同じ凶悪レスラーのテーマ曲が2度流れました。
この時期は2人とも「恐いヒール」というよりは「愛されるヒール」へ移行してます。
ファンの「シンコール」「ブッチャーコール」
特にシンの声援では「シン シン 7拍子」という不思議な声援も起きてます。
ファンとして正直言えば10年前あたりでの両者の対決を見たかったです。
果たして結末は・・・? この時期平成2年でありましたが、本当に典型的な「昭和の香り」のする結末でした。
★60分1本勝負
ジャンボ鶴田 VS 三沢光晴(1990年6月8日:日本武道館)
「伝説の名勝負」鶴田VS三沢、有名な1990年の三沢・・・虎の仮面を脱いでからの鶴田とのシングル初対決。
1990年のチャンピオンカーニバルの最終戦で、天龍源一郎が全日本を退団
そして次のスーパーパワーシリーズ、開幕戦の東京体育館大会・・・新生全日本の船出であります。
セミファイナルのタッグマッチ、タイガーマスク&川田利明VS谷津喜章&サムソン冬木の試合中、タイガーはマスクを脱いで「三沢光晴」となってファイトという衝撃的な出来事が・・・。
メインでは久しぶりに馬場&鶴田の師弟コンビ結成、当時の世界タッグ王者:テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス組と対決
しかし馬場がコーナーポストに腰を強打、ピンフォール負けというショッキングな出来事がありました。
全日本の厳しい船出でした。
しかしピンチを救ったのはニューヒーロー・三沢光晴でありました。
返し技といえども鶴田からカウント3、ピンフォール勝ちであります。
三沢本人いわく・・・「器械体操の経験」が生かせた返し技ピンフォールであります。
先ほどご紹介の「ブッチャーVSシン」と同じ日にあった出来事。
「ブッチャーVSシン」は昭和の香りの最後であり、「三沢VS鶴田」はまさに本格的な「平成のはじまり」のような気がしました。
いかがでしたか?(グダグダになりました・・・。)
久しぶりのプロレス記事でした。本日も最後までお付き合いいただきまして誠にありがとうございます。