世界の恒久平和を願い、
「世界無名戦士之墓慰霊大祭並びに越生町戦没者追悼式」が
執り行われました。
埼玉県越生町
稚児さんの記念写真
1時45分 公民館をスタートし越生駅まで稚児行列します。
稚児行列の出発を見て世界無名戦士慰霊塔の有る山の頂上まで登ってきました。
晴天にはスカイツリーや都心の高層ビル群など関東平野を一望できる
素晴らしい展望地となっていて大観山とも呼ばれている。
地元中学生によるブラスバンドの演奏
かつては毎年5月10日の日が慰霊祭でしたが今では5月第二土曜日に、
毎年慰霊祭が行われ宗派に拘らずに、大勢の人々が参拝に訪れます。
世界無名戦士の墓
今日は慰霊祭のため国連の旗、日本の旗、万国旗が掲揚されている。
世界無名戦士の墓は、昭和29年に建てられた慰霊塔であって、太平洋戦争で
世界各地に散った戦没者の遺骨が土に埋もれているのを悲しみ、彼我の別なく
戦没者を供養するために建立されたもので建立にあたっては越生町を中心に
多くの人々の浄財が寄せられた。 塔の正門は東京を向いて建てられている。
世界60余ヶ国。251万柱の英霊が安置されています。
出発から一時間後に稚児さんの行列が登ってきました。
町並みから急坂をひたすら登ると世界無名戦士の墓の手前広場に着きます。
そしてさらに100段を超える長い階段を上ると慰霊塔に着きます。
お稚児さんも付き添いの母親さんも大変な参拝です。
稚児さんの手に持ったアヤメを献花します。
献花が終わって笑顔でホットした様子です。
戦争を知らない子供たちも献花をします。
慰霊祭も滞りなく終了し合掌して帰ります。
フーセン爆弾工場跡 (越生町)
こんにゃく糊を小川和紙に塗りつけて作った大陸間横断兵器の
風船爆弾を作った日本の技術にはアメリカもビックリしたようです。
米軍は気球が紙製であることはすぐに解ったものの紙を張り合わせて
いる接着剤が何であるかを解明することは出来なかったようです。
この頃 おでん の鍋から こんにゃくが消えたそうです。