ウチの近所に駐車場がある。
もともとは空き地だったところに最近出来た駐車場だ。
で、駐車場には家がある。
正確には、家が在る所に駐車場が出来た・・だろうか。
古い壊れかかったような家で、出来たばかりの駐車場の中で、かなり浮いた存在だった。
その家には、おばあちゃんが一人住んでいた。
おそらく、
他に家族や親類もいないと思われる。
毎日、その家のそばを通り出かける俺は、
よくおばあちゃんが小さな庭に水をやったり、草むしりをしているのを見かけた。
周りは整いすぎた駐車場。
やはり、かなり浮いた存在だった。
ほとんど、駐車場に巣食ったようだった。
だが、
逆である。たぶん。
もともとはこの家の周りに、他にも家が立ち並んでいたのではないだろうか。
おばあちゃんの家は、今みると不自然なほど角々としていた。
あれは、他にも家が立ち並び、
その中の一つだった証拠ではなかったろうか。
そこには町が在って、回覧板なんかまわした繋がりがあったのではないだろうか。
そんな場所が、しだいに消えて行き、
あの家とおばあちゃんを残して、駐車場になってしまった。
あの家は、当たり前の一軒家から、駐車場に巣食う汚い家に追い立てられたのだ。
全ては・・おそらく・・だが。
今日、家の前を通ったら、おばあちゃんの家の取り壊し準備が始まっていた。
最近、姿が見えず勝手に心配していたが、
どうやら亡くなったみたいである。
チャップリンの言葉だが、
「こうして世界は若返る。」
取り壊された後は、きっと駐車場の一部となって、
誰かにスペースを与えるのだろう。
おばあちゃんの育てていた木々も、
そこにあった生活も、消えてしまうんだろう。
思い返す。
夏の熱い夜に、家のドアを開け放ち、蚊帳の向こうで寝ているおばあちゃんの姿。
言葉を交わしたことは無い。
ここに書いたことも、勝手な覗き野郎の戯言かもしれない。
でも、何十年も生きた結末が、駐車場に犯された家だったとしたら、悲しすぎる。
あの人は、私の心に生きている・・
なんて、言いたくもないが、
記憶に焼きついてしまった。
彼女は生きていた。