8月にカミングアウトした私自身の癌のその後についてです。
化学療法2クール目終了時点でそれまで使っていた抗がん剤のトラベクテジンの効き目はさほど見られないことがMRI検査で判明、3クール目は別の抗がん剤、ハラヴェンを使うことになった。
この抗がん剤治療の間も、強い副作用は見られなかったため入院中を除いては遊漁船の営業及び佐藤鉄工所でのアルバイトを続けていた。
結局のところ、化学療法によって癌そのものの縮小、ひいては切除範囲の狭小化、神経および血管の温存を目指したが抗がん剤の種類を変えてもそれはかなわなかった。
それでもものは考えようで、決して効果が無かったわけではなくて、抗がん剤投与によってさらなる癌の肥大化や転移を抑制できたんだ、と考えることにした。
いわゆるポジティブシンキングです。
切除手術が10月24日に決まり23日に岩手医大附属病院に入院。もう4回目の入院なので勝手知ったるなんとかで入院手続きに滞りは無し。しかしさすがに手術入院ということで家内が同伴、手術内容の説明を主治医から受ける。私は何度も聞いていた内容なのでハイハイと。
手術は緊張しなかったといえば嘘になる。生まれてこのかた全身麻酔なるものは経験したことがない。似た体験といえば中学の柔道部のときにOBの先輩に締め技を掛けられて気を失った時だろうか。そう似ている。手術室まで歩いて行って手術台に寝かされて、点滴用の針打たれて酸素マスクされて、はい眠くなりま〜すと言われたところまでしか覚えていなくて直ぐに目が覚めた。と思ったら5時間半経過しているという。締め技で気絶したときは5秒ぐらいだったと思うけどあっという間だったという点では同じだった。
目が覚めて一番最初にしたこと。右脚の感覚を確かめた。手術の前に言われていたことは、がん細胞を可能な限り完全に切除するため、正常な筋肉、血管、神経も含めて広範囲切除を行うため、大腿四頭筋の麻痺が残るかもしれない、ということだった。大腿四頭筋といえば太ももの前側、筋肉の中でも一番大きな筋肉であり脚の運動に欠かせない大事な筋肉だ。歩行に支障が出るのはもちろん、膝が不意にカクンと折れて尻もちをつくような転倒をしてしまう膝崩れという症状が出るという。そのため膝がまっすぐになるような装具を使わなければならなくなるかも、と。
これを聞いた時はショックだった。
哀れがじゅまるは売却の憂き目か。
釣りはもちろん自転車にも乗れず、山登りなどもっての外になるのかとおもうと人生終わった、としか思えなくなってしまった。
和田医師によれば、予後の症状は人それぞれで普通に歩けるようになる人もいて、それは手術の結果次第とのこと。なんともそれが手術前の最大の不安の種だった。これで緊張しないわけがない。
麻酔の眠りから目覚めてすぐ、足を動かしてみた。指先は動く。足首も動く。太ももに力を入れてみる。あれ、なんか力いれれる。自分の意思が太ももの筋肉に伝わっているのがわかる。和田先生ゴッドハンドじゃんって思った。有り難すぎて涙を流さずに泣いていた。
次の日に状況を確認した先生、右脚膝下を蹴り上げる動きを見て感嘆の声をあげていた。あれっ?動くとは思っていなかったの? イヤイヤ ゴッドハンド和田のおかげでしょって持ち上げたら、小野寺さんの場合、筋肉量が多かったので広範囲切除を行っても比較的多くの筋肉を残せたからでしょう、とのこと。運動して丈夫な体にしといて良かったーとつくづく感じた。
麻痺がまったく無いわけでもなくて、太もも内側から膝、脛の内側から足首にかけての触感が無くて常に痺れた感覚。それに血管を切ったことによる膝周辺のむくみ。傷自体の痛みはさほどではないものの、むくみはいずれ解消するけど痺れは残る、という診立てだ。
それでも歩行困難にさえなるかと思われた予測からすれば、ほぼ通常に近い状態で歩けている今の現状は、遊漁船営業再開につながるこの上なく希望に満ちたものである。
手術から10日たった今日の手術痕