この投稿では、自死について触れています。

 

 

 

 

 

 

 

 

私にとって、自死で亡くなった後輩に対する後悔を人前で口にするのは初めてのことでした。

 

なぜなら、ネガティブなことだから。

なぜなら、そのせいで亡くなった訳ではないと理解しているから。

 

そもそもご遺族が非公開にしている以上、訃報について知っている関係者に、私は「なぜかはわかんない」と話しています。

そして、ネガティブな話題である以上、例えば大学時代の私の友達など、後輩とは関りがない人には訃報自体話していません。

まあ友達少ないんだけど。

心理の先生を含め、直接的な関係はない私と親しい数人だけに自死で亡くしたと話しましたが、その頃はこの後悔について自覚していませんでした。

 

後悔を意識するようになってからも、話していませんでした。

訃報自体ネガティブなことだから、わざわざ話題に挙げて場の雰囲気を落としたくないですし、仮に話したとしても私が~しなかったから亡くなった訳でないことは分かっているので、「あなたのせいじゃないよ」って言われたところで私的には何も変わらないから。

 

 

だから、心理のセミナーとは言え人に、それも複数人の前で後悔を話すとは思っていませんでした。

 

最後に会った日の違和感や、訃報が入る1週間程前まで連絡とっていて悪気なく私の返信が遅くなっていたことなど…。

踏み込んでみていたら、何か本人にとって助けになったかもしれないのに、と。

 

 

 

先生の返答の中で、大きく印象に残った言葉が3つあります。

 

 

 

1つ目は、あなたも当事者だからケアが必要だし、という言葉。


え。私が当事者?

本気でそう思いました。当事者とは、遺族のことだと思っていたから。

 

 

2つ目は、まさかこんな展開になるとは思っていなかったでしょう、という言葉。

 

もちろん、思っていませんでした。

違和感はあったけど、ただ疲れているだけだと思っていた。

だから特に深くは踏み込まなかった。

 

 

3つ目は、後輩にとって見せたい自分のままで終えられた、という言葉。

 

すっと腑に落ちました。

涙出そうでした。

 

 

当時の自分は通常の関わりをしていたし、悔やむ必要はない。

そう分かっているのに心残りがあった私にとって、特に3つ目の言葉に救われた感じがしました。

 

そうだね、確かに。

どんな内面を見せられても別に嫌うことはなかったと思うから、助けになれたならなりたかったけど、

あなたが望む姿で私の前でいたのであれば、それは本当によかった。

 

まさかこんな展開になるとは思わなかったので、正直まだ自分の中で響いているけど、いつかお参りもいくから。

ありがとうね。