買い物中に迷子の障害者っ子に店員さんが苦戦している場面に遭遇し、色々ありつつ、親御さんと再会するまで関わりました。



直後、私は、再会の助けになった~いいことした~よかったよかった、と嬉しくそして少し誇らしい気持ちでいました。

 

し、か、し。


いや、親御さん警察から連絡入ってすぐに来たって言ってたから、私介入しなかったらもっと早い通報・再会だったのでは?という考えが頭をよぎりました。

自分の言動のせいで状況悪化したとか、精神衛生上嬉しくなーい魂が抜ける


店員さんが強行してちびっ子の状態が悪化してたかもしれない。自分の持ってるもの全て活かして人の力も借りつつ対応したから、比較的ちびっ子が落ち着いた状態で親御さんと再会できた。よかったよかった。

こう解釈することにしたい!!

 

ちょうどグループ講義で、捉え方の作り替えが題材になっていたので、先生に聞いてみた。

この解釈を選択したいけどいいのか、これが解釈の選択かって。


これが、他人任せになっている状態らしい(笑) 

いやもうてっきり、その解釈で良いよ〜そうだよ〜みたいな返事くると思ってたから拍子抜け。

しかも意味分からんw


あまりにもぽっかーんとしてたのか、追加で解説が来ました。

・物事に正解はないし、0-100でもない。

・こうして正解だった不正解だった、より、ここから〜を学んだとかにするほうが軸も出来てくるし良い。


前者は知ってるんだけど私は正解ないの怖くて欲しくてたまらないし、後者に関してはまず学ぶって何を学べば良いのかわからないし。

で、学ぶって??と聞いたら、例えば今回なら、次からも責任持てる範囲で介入しよ、とか、介入すりゃ良いって訳でもないな、とかって。


え、それくらいでいいの?と衝撃だったダッシュ

経験から学ぶってもっと壮大なことだと思ってました、そして私には無理だと…(笑)


意外と手頃だったので、トライする筋肉

てことで、このブログでも経験から導き出したことを書いてみようかなーと思います!


早速。今回の学びは、迷子の通報は躊躇わなくて良い、でした〜(笑)


アデューバイバイ