こんばんは、gainaです。

今日は仕事終わりに痛めた腰の

治療に病院に行ってきました。

10分以上立っていられなかった

のが、嘘のように今はとても

調子が良くなりました。

 

歳を重ねると、体の色んな所に

不調をきたすのでこれからも体に

気を使っていこうと思います。

 

最近、ちょっと考えてることが

あります。実は私のいとこの

おじさんは、今の私と同じ歳位に

自殺しました。今でも理由は

わからないのですが、死ぬって

決断したのには、相当の想いが

あったんだと思う。

 

令和4年の自殺者数は21,881人。

この世に生まれて自ら命を絶つ

ことは、本当に追い詰められた

状態なんだと思う。

 

その人達の気持ちを理解するって

ことはとても難しいことだとは

思う。専門的な知識がない私が

そんな人達を救うなんてこと

なんてできないかもしれない。

 

でも、何かのきっかけで

思いとどまってくれるならと

例えば、こんな考えはどうかな

って思っています。

 

私の息子は小さい時、

病気がちな子でした。

何度か救急車を呼んで病院に

緊急搬送されたりもした。

 

そんな時は、私も元妻も

神様、仏様に息子が元気に

なってくれるようにと祈るばかり

でした。そんな時、私は

もし、息子を元気にしてくれるなら

その分、自分の寿命を縮めてくれ

思ってました。

 

自殺には、様々な理由があるかも

しれませんが、例えば

・自分は生きている価値がない。

・この世に生まれなければよかった。

って考えている人がいるなら

そのことで、自ら命を絶とうと

しているなら

その命を誰かに分けてみるって

考えはどうだろう。

 

あるSNSの動画で

体が不自由な少女が、父親に

車いすを押されて病院の廊下を

歩いているときに、車いすに乗った

成人男性と出会い、その男性に

声をかけました。

 

その男性は腎臓移植でしか

助からないとのこと。

 

その少女は、お父さんに言いました。

「お父さん、腎臓って1つあれば

生きれるんだよね。この人に

私の腎臓を上げてもいいかな」

 

お父さんも成人男性も言葉が

見つからず、沈黙が続きました。

 

しばらくしてお父さんは、

「そうだね。でも〇〇の腎臓は

とても大切なものだから簡単に

あげるのは難しんだよ」

 

本当にこういう内容ってのは

人の価値観で賛否両論だし、何が

正しいってことではないけど、

もし、私が自ら死を選ばないといけない

環境に立たされたら自分の命で誰かの

ために使ってもらおうと思っています。

 

それは、生きながらできることもあると

思う。自分の周りに体の不自由な人が

いて、自分は不自由でないならその人の

命のサポートをしていくのはどうだろう。

その人のために自分の時間を使ってみては

どうだろう。

 

他人のことにかまってる余裕があったら

死のうなんて思わないかもしれないけど、

もしかすると、そこに自分に生きる価値が

ある人間だって思えるかもしれない。

 

私は、20歳から社会人として何社かの

仕事に就いて働いてきました。

でも、社交性もないし、ちょっと考え方も

独特だから社会不適合者的な扱いを受けた

こともありました。

 

でも、25年以上生きていると

そんな私を心から信頼してくれる人に

出会うことができました。

「gainaに仕事頼んでも、1mmも

心配なんかせーへんで」と言ってくれる。

必要とされ、感謝されることも経験できている。

生きているとそんな人にきっと自分を

必要としてくれる1人に出会える時が

誰にでもくると、私は信じています。

 

医者でもない私がまっとうなことを

言える立場ではないのですが、

「生きているだけで丸儲け」

そう今は、思えるようになっています。

 

私は、近い将来自分を必要としてくれる

人達にあと何人かに出会いたくて、新たな

ステージで頑張ろうと思っています。

 

おっさんの決断も結構勇気がいるんで

思い始めて2年以上経っていますが、

新しい歴史を刻んでいこうと思っています。

 

命や人生の考え方は、みんな違うけど

今、この瞬間は生きている。

 

もしも、今自ら命を絶とうと考えている

人がいて、このブログ読んでくれている

人がいるならもう少しだけ生きてみようって

思ってくれたら幸いです。

 

題名にフィクションって書いたのは

意味が、

「想像によって架空の筋や事柄をつくること」

って書いていたから。人と異なる自分だけの

物語を作ってみてもいいと思ったからです。

 

今日も最後まで読んでくれてありがと

うございました。

それでは、おやすみなさい。