趣味のギターの始め方 初心者も再挑戦でも楽しめる! -2ページ目

趣味のギターの始め方 初心者も再挑戦でも楽しめる!

30年振りにギターを引っ張り出したら、なんとブリッジがはがれてる!
やっぱりタマには弾かなきゃ〜ということで再挑戦。あなたも一緒にやりませんか?

 George Harrisonのギターの話が出たついでに、John Lennonのギターについても話題にしたいと思います。皆さんご存知のように、デビュー当時のJohnは我々が見たこともないギターを使用していました。今ではよく知られていますが、Rickenbackerの黒いソリッドギターです。型番は330とも325とも言われているようですが、当時の日本では見たこともないギターで、みんなあれやこれやと噂をしたものです。

(下の画像は、Rickenbacker325です)

 

 

 Poleのバイオリン型ベースも、ヘフナーという見たこともないメーカーのもので、当時は日本中の楽器店を探してもどこにもありませんでした。ただ、10万円以下で買えるらしいというような噂がかなり飛び交ったことは覚えています。このバイオリン型を模して、日本のファーストマンというブランドでギターとベースが発売され、当時の人気グループのブルーコメッツが使用していたことを見ても、いかにPoleの影響力が甚大であったかを物語っていると思います。

(↓ヘフナーのバイオリンベース)

 

 

 話をリッケンに戻しますが、このメーカーは、実は世界で最初にエレキギターを作ったメーカーなのです。そのモデル名は“フライングパン”というもので、当時のハワイアンギターのために作られたものでした。これがその後改良を加えられ、現在のエレキギターになったわけですから、このメーカーにも一目置かないわけにはいきません。そればかりでなく、その独特なサウンドから、ビートルズのほかのメンバーにも取り入れられ、GeorgeもPoleも使用することになったのはご存知の通りです。

 

 楽器の音色と言えば、素直できれいな音であるべきということで、世界各国の楽器メーカーはしのぎを削ってきたのですが、実はこのリッケンのように、あくの強い個性的なサウンドを持ち味として長い間ミュージシャンの支持を集めている楽器もたくさんあります。フェンダーのストラトキャスターやテレキャスター、ギブソンのレスポール、エレキピアノでもフェンダーのローズは今でも右に出るものがありません。珍しいところでは日本製の北山トライアングルなども世界に冠たる名器と言ってよいのではないでしょうか。

 

 このように、個性の強い楽器にのめりこんで愛着を深めるというのも、音楽ファン、ギターファンとしての醍醐味を感じるところではないかと思います。実は、デビュー当時に森山直太朗さんが使っていた、チープな響きのアコギがどうしても手に入れたいのですが、誰かご存じないでしょうか。

ギター↓↓よろしければ、以下をクリックしてみてださい↓↓ギター

辺見としおが運営する“ゲインミュージックスクール”とは

大人の音楽通信講座・無料サンプルをご希望なら

動画で教材の様子をごらんになれます

 

 

 

 

 このところ、ビートルズやストーンズのルーツに関する話題を提供してきましたが、この流れで思い出したのがGeorge Harrisonのデビュー当時のギターです。彼がいつも手にしていたのはGretsch社のCountry Gentlemanでしたね。このことが何を意味するのか?その話をしたいと思います。

 

ご存知かどうかわかりませんが、Country Gentlemanといえば、かの有名なカントリーギターの名手、Chet Atkinsのヒット曲であるとともに、彼の代名詞と言われた言葉です。このギターをGeorgeが持っていたということは、実はほかのメンバーがロックンロールに傾倒していたのに対し、カントリーミュージックに思いを寄せていたことの証左でもあるといえるわけです。

実際彼のギタープレイにはカントリーギター奏法の影響が随所に垣間見られます。そのことはさておき、今回話題にしたいのは、どうしてもリスペクトしている憧れのミュージシャンが持っているギターを持ちたがる気持ちは、時代を超えて万国共通だということです。

(下の画像がCountry Gentlemanです)

 

 

たとえば、解散してしまったSMAPが“夜空ノムコウ”をヒットさせた時、イントロで木村拓哉がOvationのギターを弾いていましたが、このころ全国の楽器店からこのギターが姿を消しました。その理由は、ファンがみな買ってしまったからです。

同じくAKB48がバンドを結成したことがありました。この時に全国の楽器店からGretschのWhite Falconが姿を消しました。それはメンバーの前田敦子がこのギターを弾いていたからです。
古くはベンチャーズのMosrite、シャドウズのBurns、そして最近再ブレイクしたQUEENのギタリスト、Brian Mayの使用しているRed Specialなども時代を超えてファン垂涎の的になっている名器と言えるでしょう。Mosriteについていえば、加山雄三さんやエド山口さんはいまだにこのギターを携えてステージに登場しています。かくいう私も毎月のバイト代が15,000円の時に、250,000円でMartin D28を購入しました。そのきっかけはJack Elliottが持っていたからです。

 

 このような理由で憧れのギターを購入するってどう思いますか?私はある意味でギターの楽しみ方のひとつであるようにも思っています。いま小遣いを削って憧れのギターを手にするもよし、大人買いということで手にするのもよし、大いにギターを磨いて、一人悦に入るという楽しみを満喫してみませんか?

 

 

辺見としおが運営する“ゲインミュージックスクール”とは

大人の音楽通信講座・無料サンプルをご希望なら

動画で教材の様子をごらんになれます

 

 

 

 

菅田将暉の「さよならエレジー」が大好きで、たまに聴いています。

 

 

 

 

こんなにストレートなロックナンバーで失恋のひとこまを歌い上げるなんて、何ともお洒落じゃないですか。

これを今日は作曲者の石崎ひゅーいで聴いてみました。やっぱりオリジナルは凄い心がこもっていて説得力があります。森進一の「襟裳岬」も拓郎で聴くとさらに魅力が増します。布施明の「シクラメンのかおり」もぜひ小椋佳で聴いてください。

 

話がそれましたけど、注目したのは二人のギターです。菅田将暉はマーチンのD28、石崎ひゅーいはヤマハのLシリーズだと思います。この曲のイントロはアコギのコードストロークから入るからギターのサウンドがとても大事です。この二人のイントロ対決は正直に言って引き分けだと思います。私はこの両方のギターを持っているけど、甲乙つけがたいというのが実感です。

 

ヤマハのアコギは1967~8年ごろにFGモデルというのが作られたのが最初です。

私は縁あって試作品のモニターをやらせてもらいました。

当時おなじモニターをやった中に小室等さんがいました。その他に石川鷹彦さんなんかもいたと思います。

いずれにしてもヤマハの本社が総力を挙げて作ったギターです。

でもその当時はやはりマーチンにかないませんでした。

そのヤマハが今日こうやってマーチンに肩を並べるレベルになっていることは、なんだか誇らしくてうれしくなりました。これからは「さよならエレジー」は石崎ひゅーいバージョンで聴くことにします。

 

 

 

 

ところで少し前に山ちゃんとの結婚でニュースになった蒼井優さんの昔のボーイフレンドが石崎ひゅーいだったというのは本当でしょうか。彼女との別れを歌ったのがこの曲なのでしょうか。だとするとさらに聴くときに気合が入る気がします。

 

辺見としおが運営する“ゲインミュージックスクール”とは

大人の音楽通信講座・無料サンプルをご希望なら

動画で教材の様子をごらんになれます

 

 

 

 

 ロカビリーという言葉が死語のように思われていた時代(1980年初頭)に、往年のロカビリーのスター然として登場したのが“ストレイキャッツ”でした。特に中心メンバーであったブライアン・セッツァーは、リーゼントの髪型とグレッチのセミアコギターで、我々初代ロカビリーファンばかりでなく、新しい若者の心も鷲掴みにして、大いにロカビリーの魅力を拡散することに貢献してくれました。

 

 先日のこのブログで、ストーンズとビートルズの共通したルーツにチャック・ベリーがいることを語らせてもらったのですが、それはビートルズでもジョン・レノンのことであり、ポール・マッカートニーの場合はロカビリーではなかったかとの思いに至ったので、あらためてこのあたりのことを話題として取り上げてみました。
 数年前のテレビ番組で、ポールが一部のファンをアビィロード・スタジオに集めてセッションをやるというようなドキュメンタリー番組が放映されたことがあります。この時にポールがドラムを叩きながら歌ったのがカール・パーキンスのブルー・スウェード・シューズだったことを思い出したからです。この曲はエルヴィス・プレスリーによって世界的に知られるようになったものですが、オリジナルはカール・パーキンスです。日本でのカバーは、先日亡くなった内田裕也さんや尾藤イサオさんだったような記憶があります。

 

 何はともあれ、ビートルズを崇拝してやまない私としては、デビュー当時の彼らがトニー・シェリダンのバックバンドとしてハンブルクあたりで“マイ・ボニー”なんかを演奏していたころの写真を見ると、リーゼントに革ジャンを羽織って、まるでロカビリーのスターそのものとの印象を受けます。同時に、ロカビリー黄金時代の多くのスターと名曲の数々を思い出し、さらにその魅力の中にポールの素晴らしい楽曲のルーツとなったエッセンスを探し当てる喜びを感じるわけです。
 さらに喜ばしいことに、カール・パーキンスやプレスリーをはじめとして、ポールとエリック・クラプトンがライブでこの曲を演奏している動画をYouTubeで観ることができます。なんと素晴らしい時代になったものでしょうか。皆さんもぜひこの動画を観ていただいて、ロカビリー・ミュージックの素晴らしさに触れていただきたいと思い紹介させていただきます。


 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

辺見としおが運営する“ゲインミュージックスクール”とは

大人の音楽通信講座・無料サンプルをご希望なら

動画で教材の様子をごらんになれます

 

 

 

 

先日、小学2年生の孫の音楽の授業を参観しました。みんなが歌っていたのは何と「翼をください」です。

この曲はご存じのとおり“赤い鳥”が歌って1971年にヒットした名曲です。この年にオギャーと生まれた人は、今年48歳になります。

 

 

 

 

 

それはさておき、ピアノで曲らしい曲を弾くとなったらまず半年以上はかかると思います。

でもこの曲なら、右手でコードを1拍ずつ弾くだけ、左手は2分音符でベース音を弾けばOKです。メロディは自分で歌う、難しければ誰かに歌ってもらう。なんたって2年生の子供が知ってるんですから、誰でも歌えます。このスタイルならたぶん誰でも1か月で弾けるでしょう。

早い人なら1日か2日で弾けます。西田敏行さんのヒット曲で「もしもピアノが弾けたなら」というのがありましたけど、もしもじゃなくなりますね。

 

同じようなコード弾きの曲で名曲と言えばビートルズの「Let It Be」があります。

この曲の場合は左手が少し難しいから3か月から半年というところでしょうか。

昔は音楽室のピアノに向かってプロコルハルムの「青い影」のイントロを弾くのが定番でしたけど、「翼をください」の弾き語りを弾けば、きっと仲間が集まって大合唱になると思います。これぞ音楽の楽しさ満喫という所ですね。

 

 

辺見としおが運営する“ゲインミュージックスクール”とは

大人の音楽通信講座・無料サンプルをご希望なら

動画で教材の様子をごらんになれます