わが国の将来に見通しが立つか
「美しい国創り」の「美しい」の意味がつかめない。聞こえはいいが中身がない。いくつか気になる言葉を拾ってみよう。
「活力に満ちた経済」は、「日本経済の進路と戦略」にまとめる、とある。経済なくして「社会保障制度の維持」は不可能と、成長優先を打ち出している。
具体的には、「2010年代半ばに向け、債務残高の対GDP比率を安定的に引き下げることを目指し」、「まずは国と地方を合わせた基礎的財政収支を確実に黒字化」するとしている。
債務残高の対GDP比率をみてみよう。仮にGDPが変わらないとして先進国並の50%にするためには、500兆円の債務削減が必要だ。金利をゼロとして毎年5兆円の削減をしたとして、100年かかる計算になる。5年間という長期において「安定的に引き下げ」、「基礎的財政収支を確実に黒字化」するという悠長な方法では、誰が見ても不可能だ。
まず、日本経済が中長期でみて安定的に推移するための水準を設定することが必要だ。その上で債務削減計画を打ち出すべきである。
次に年間の財政の収支をみてみよう。「税の自然増収は安易な歳出等に振り向けず、将来の国民負担の軽減に向けるなどの原則を設け」るのは当然のことだ。驚いたのは、「平成19年度(2007年度)予算編成においては、新規国債発行額を過去最大の4兆5000億円減額することなどにより、合わせて6兆3000億円の財政健全化を実現」したと、安倍政権の大きな成果であるかのように強調したことだ。
発行額の減額は、多くは税収増に支えられたものである。したがって成果ではない。
最後に、国民が最も関心をよせる公的年金制度をみよう。「国が責任を持つ公的年金制度は、破綻したり、「払い損」になったりすることはありません」と国民に安心を与える言葉を並べている。
破綻するかしないかは、何をもって破綻とするのかが明らかになっていない。年金制度が維持できなくなると、社会保険料を引き上げたり、保障給付額を引き下げたり、足りない分を税金から横滑りさせたりすることは、破綻といわないのだろうか。
「払い損」は、年金制度の趣旨からみて、発想そのものが間違っている。右肩上がりの経済が維持継続でき、経済のパイが広がることを前提とすれば、確かに「払い損」はない。しかし、バブル崩壊後、人口減少、少子高齢化の社会・経済に大きく転換した今、この前提を所与のものとしていいのかは大いに疑問である。
参院選に勝つことが最優先課題なので、安倍政権としては、今のところ、国民に対して財政の実態を明らかにしたり、今後の財政の健全化のために何が必要かを問うことはできないだろう。参院選後の言動で真価が問われよう。
2007年度予算に改革なし(財務省原案)
2007年度予算は83兆円で、前年比3兆円の増加となりました。増加の主因は社会保障関係費の増加です。
また、国債の新規発行額が大きく減少したことも強調していますが、これは税収増に支えられたものであり、国債の残高が増加していることに変わりはありません。
改革というからには、最低4分の1、または3割の数字の減少が必要と思います。少なくとも5%や1割程度ではないはずです。改革しようとしないのか、しようとしても実際には様々な困難があるのかはわかりません。
プライマリーバランスをいうのもあまり大きな意味をもちません。なぜなら、巨額の借金体質の改善にはほど遠いからです。
「美しい」という言葉にうもれて、役所の意見調整だけそつなくこなすだけで本当の改革が実行されないならば、「本当に」美しいとはいえません。来年の参院選の後、どのような政治的手腕を発揮されるか、で安部政権の評価が固まりますが、もしかしたら、一事が万事、今回の予算の組み方が安部政権の限界を示唆しているかもしれません。
「骨太の方針2006」の3つの問題点
政府は、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006(骨太の方針2006))」を発表した。50ページの及ぶ大作だが、抽象的・無難な言葉が多い。A4一枚のエグゼクティブサマリーがないのはおかしい。
問題は大きく分けて3つあると思う。
(1) 国の財務諸表がない
(2) 21世紀の日本、世界の中の日本の目指すべきビジョンがない
(3) 問題解決の具体策がない
「骨太の方針2006」の中で、「財政健全化をフロー、ストック両面から的確に管理・評価するための公会計制度を計画的に導入・整備する」というが、あまりに遅すぎる。民間企業の財務諸表と違って、まとめることは極めて困難だと思うが、それでも早急に取り組むべきである。
中でも特に、本当の債務を明らかにすることである。これがないと正確な議論ができないからである。1000兆円、場合によっては、潜在的なものも含めてそれ以上の債務があることについて、まず、金額を明らかにし、次にどのような策を打つかを具体的に決めないと、時間の経過とともに、取り返しのつかないことになる。まさに、破裂寸前の風船である。
決まっているのは、(1) 2011年度の国・地方の基礎的財政収支を黒字化する、(2) 2010年代前半に債務残高GDP比を引き下げる、ということだけである。
話を簡単にすると、今の日本は、景気がよくてせいぜい年間50兆円の税収だ。しかもそれを全部使い切っても30兆円足りない現状に対し、すでに1000兆円以上の借金がある。仮に金利をゼロとして、年間10兆円の黒字を返済にあてたとして、100年かかることになる。
私には、今のところとるべき策が思いつかない。ただ、歴史は繰り返す、ことになってほしくない。だからこそ、安心して任せられる「骨太の方針」をみせて欲しいのである。
投資の原点は割安な企業を自分で選ぶこと
投資の方法、そしてその原点は、大きく分けて2つある。割安な企業を選ぶこと、そして、自分で選ぶことである。
割安な企業とは何か。本来あるべき株価水準に達していない株価をつけている企業である。将来の成長を期待できる企業を購入する方法と、同業他社などとの比較から割安に放置されている企業を購入する方法に分けられるが、これらの2つを区別することに大きな意味はない。なぜなら、どちらも割安という点が共通だからである。
また、自分で選ぶ、ということは、投資における最終責任は自分にある、ということと同義である。金融機関が薦める金融商品を、その金融機関の情報だけで判断する投資家も少なくない。しかしこれは投資家にとって必要十分な情報にもとづいて判断し、投資しているとはいいがたい。
投資家は、リスクリターンの関係を少しでも効率のよいものにしたいと考える。自分に見えて他の投資家に見えないものは何か、を考える。一般に自分の得意分野を中心とするのは賢明な方法だ。世界で最も注目されていて、実際に高成績を収めている投資家のウォーレン・バフェットは、自分の理解できない分野には決して手を出さない。例えばハイテク分野には投資をしていない。
情報過多の時代には、あれこれと情報が多すぎることから投資の判断に迷うことも多い。自分の実力の範囲で、自分の納得のできる範囲で投資をすることも賢明な方法といえよう。
経営者の怠慢による株価の低迷は重大な責任
企業の株価が、本来のあるべき価値よりも低いことはよくある。これに気づいた投資家や、他の企業がその割安な株価の水準でその企業の株式を取得するのは、投資行動としては妥当なことである。将来、妥当な株価水準にまで上昇すれば、値上がり益を享受することができる。
しかし、割安のままで放置されていたとすれば、本来、株価が上昇していいのにもかかわらず、上昇させなかったことになる。これは、経営者が、市場に対して、企業の価値を実際に高め、かつ実際に株価に反映されるような行動をとっていないことを意味する。
最大のM&Aに対する企業防衛策は企業価値を高めることにある、と一般にいわれるのは以上の意味からである。
日本の企業は今まで、企業の資産が有効活用されないまま放置されており、なお、株主もその状況に甘んじていたところがあった。これからは、経営者は、企業価値(株主価値)を高めるよう適切な行動をとることが求められよう。それができない、あるいは何もしない場合は、それだけで重大な責任問題となるだろう。
自社のWeb上にリリースしないと情報公開にならない
投資家向け情報の多くは、今ではその企業のWeb上にリリースされるのが通常である。投資家だけでなく、多くの利害関係者にとって、その方法が最もフェアーである。
しかしながら、昨今の報道関係をみると、企業内部からの何らかのリークにより報道が先行することが後を絶たない。しかも、報道された企業の、その後のリリースの仕方も適切とは思えない内容が多い。
このリリースの仕方の巧拙により、企業の評価、ひいては、企業がどこまで社会・顧客・社員・株主に対して誠実な行動をとっているかがわかるといえよう。
また、省庁の情報開示の方法も、省庁によってバラツキがある。具体名を挙げることはしないが、これも、最終的には、その省庁の評価につながることも早く認識してほしいと思う。
阪神電鉄の現経営陣は企業価値を高められるか
阪神電鉄(以下、阪神)とM&Aコンサルティング(以下、村上ファンド)との攻防がメディアをにぎわしています。投資家は当然のことながら、本当のことが知りたいものです。投資家からみて、単純におかしいと思うことをいくつか述べます。
4月26日、阪神はプレスリリースで、阪急ホールディングス(以下、阪急)との関係において決定した事実はないとしましたが、
4月28日、阪神は阪急ににすでに申し入れを行い議論していると発表しました。
いつ申し入れを行ったか、どういう検討の結果その方向にいたったかが明らかではありません。少なくとも4月26日以降に急に意思決定をしたとは考えにくいことから、4月26日より以前に水面下で動いていたことが、何らかの形で表面化したものと思われます。
また、村上ファンドから昨年来様々な提案を受けてきたが、鉄道事業と不動産事業等を一体化して経営することが最善と主張しています。ただ、その根拠が記されていません。
次に、阪急と経営統合することで一体化した経営の継続が可能としています。これも、その根拠やメリットが示されていません。
5月2日、村上ファンドのプレスリリースによると、阪神は4月28日に阪急と統合を検討していると発表しただけで、大株主の村上ファンドに対して、何ら提案・報告をしていないと主張しています。
また、取締役の16名のうち9名が村上ファンドの推薦する者とする議案を請求しました。村上ファンドは、経営を監視する目的としていますが、実質的には経営権をもつことを意味します。阪神の経営者にとり相当な圧力となります。
5月3日、阪神は、村上ファンドの株式保有目的が経営支配であるとする旨を、5月2日に続いて発表していますが、「だとすればどうなのか」あるいはもっというと「法的にまずいことがあるのか」の主張が欠落しています。誰に対して何を意味するかが不明です。
5月4日、阪神は、阪急との統合につき、経営陣のコンセンサスが得られた段階で、説明していると主張していますが、4月26日の段階で、報道を否定したり、4月28日で初めて阪急との統合を検討していることを発表したりすることから、何が正しいのかがわかりません。
上場企業である以上、阪神は、阪急に対し要請を行った時点でまずプレスリリースが必要です。いつ、要請したかを明らかにしていません。また、村上ファンドに対して、いつ説明したのかが明らかになっていません。
誤解のないようにいいますと、私どもは村上ファンドを支持しているわけではありません。ただ、投資家は、経営者に対し透明性のあるわかりやすい経営を求めます。一連の混乱は、企業価値を高めることにはならないでしょう。
教科書のない時代に何を基準に据えるか
ネットほどの氾濫はないですが、書店へ行っても、一つのテーマで同じような本が山ほどあります。基本書を求めても、同じようなものがたくさんあり、結局は迷ってしまいます。
そもそも、学生のときに学んだ教科書は、正しい情報だったのかどうか、今となっては疑問も多々あります。今なら多角的に検証することもできそうです。
多くの情報は、紙ベースなら、たとえば新聞などから得ることができます。しかし、時には間違っていたり、先走って報道されたりすることもあることから、鵜呑みにするわけにはいきません。少なくとも、複数の新聞と比較したり、情報の発信源を確認する必要があります。
たとえその情報が間違いであっても、いったん公開されると、周知のものとなることがあり、人々の頭に刷り込まれていて、容易に訂正できないこともあります。
「村上ファンドがTBS株をほとんど売却した後、5%超を再取得してそれをTBSに通告した」という報道は、多くの投資家・利害関係者を混乱させたかもしれません。
また、人が薦める情報といっても、自分自身にとってすべてお薦めとは限りません。おいしいといわれ評判の高いお店の料理であっても、自分には合わないことも少なくありません。
本当に必要な情報にたどりつくためには、少なくとも「考えるためのよりどころとなる自分独自のスタンダードをもつこと」、「自らの五感で検証し、納得がいくまで追い求める執拗さ」が必要だと思います。
資産運用で勝ち残るための簡単で難しい方法
しかし同時に、売買高の上位をみると、鉄鋼、金融機関などが並んでおり、80年代後半のバブルを思い出すのは私だけではないはずです。
資産運用は基本的にゼロサムの世界です。誰かが儲かれば誰かがどこかで損をしています。しかし、マーケット全体が拡がりつつある中では、多くの銘柄の株価が上昇し、勝つ確率は高くなります。何を選んでも勝ちます。
しかし、マーケットのパイが拡がらず、あるいは縮小しているときは、勝つことは簡単ではありません。
このような場合、私見ですが、勝つコツはシンプルです。しかし実行しにくいかもしれません。それは、逆説的に聞こえるかもしれませんが、確率を信じて合理的に行動するという前提であれば、「自分がうまくいくと信じた方法を使わない、売り買いしたいものでないものを選ぶこと」だと思います。ただ、真のプロフェッショナルは別です。
野村證券の取締役がリチャード・クー氏に、「相場で勝ちたければ、人と同じことをしないことだ」といったのはマーケットの本質を突いていると思います。
マーケットの勝ち組は常に少数です。その逆はありません。実際過去をふりかえっても、マーケットの動きに連動するインデックス型ファンドにそれ以外のファンドの多くは勝てていません。でも今は、お祭り騒ぎですから、みんなハッピーかもしれません。
とんちんかんな弁護士たちに出会って思うこと
私の知る限り、法的な思考を要する職業は、弁護士などの法律関係の職業、省庁に努める国家公務員(1種)、いわゆるキャリアです。しかし、これからは、ほとんどの人々が法律における基本的な考え方をしっかり身につけておかなければならない時代になると思います。
投資家や経営者にとっても極めて重要です。東証一部上場企業の経営者でさえ、村上ファンド、ライブドア、楽天に、突然株式を取得され、経営怠慢を指摘されている実情をみると、感情論はさることながら、国内の環境が今までとは違ったものになりつつあることを感じます。
弁護士の話に戻ります。私が過去に接した弁護士には、素晴らしい人もいますが、とんちんかんな人もいます。少なくありません。でも、私自身がとんちんかん、という可能性もあります。
相手方は、証拠がない(あるいは出せない)から、こちらが提訴すれば勝てる、と、顧客とともに提訴をけしかける弁護士がいました。法律以前の問題です。また、別のことですが、法律のすき間をついて節税する行為も同様と考えます。本来あるべき目的から照らし合わせてどうか、という考え方が欠落している、ともいえます。
訴訟は現在、ビジネスの一つとなっています。健全な常識とでもいいましょうか、そういったものが必要と考えるのは古いことといわれてしまうのかもしれません。
訴訟に関して、あるいは、ビジネス上、取引先、顧客など様々な人々や組織と関わり合いをもつ世の中において、トラブルが生じた際、うまくまとまらない場合は、最終的には法的な争いとなります。その際、論理的思考が必要であることは、法律を勉強していない私にもわかります。
ところが、実際、様々な訴訟を現実にみていますと、おかしいと思うことが多々あります。訴状は、主張と根拠で構成されています。根拠は、主張する側が立証責任を負いますので、証拠が必要です。つまり、第3者(裁判官)がみて、事実と認められるような証拠があり、反論する側の主張と根拠と照らし合わせて裁判官が判決を下すのです。
必要なのは、事実と論理、もう一ついうなら健全な常識、たったそれだけです。しかし、その事実確認や相手方との応酬において、どこを向いて訴訟しているのかと思える主張や根拠の提示にあうことがあります。
つまるところ、弁護士にも様々な人がいて、事実に対する迫り方や、論理的思考方法の緻密性に関しては、ピンキリだといえます。きちんとした弁護士、コンサルタントに出会えると幸せですが、そうでないと、困りものです。
何で見極めるといいのでしょうか。私の基準は2つあり、一つは、健全な価値観をもっているかどうか、もう一つは、大局的に物事をとらえることができるかどうか、だと思います。
何より、自分自身で、ある程度の、法律的な基本を身につけていることも大切でしょう。法律的な基本の大半に、日本の制度、社会のしくみ、会社、人の最低限備えるべき素養や論理的な思考方法がいっぱい詰まっているからです。憲法、民法、商法、会社法の重要な部分を押さえるといいと思います。「ポケット六法」は2000円でおつりがきます。なんて安いのでしょう。
このことは、仕事や生活上で、個人がコミュニケーションをうまくとり、相手方をうまく説得するためにも必要な能力でもあると思います。