小説1011のファン、あるいは未来のファンの皆さんへ

今日もご訪問ありがとうございます!

 

この数日間、小説の広告活動で夜中まで作業をやりつつ

また思いもよらなかったトラブルや試練に巻き込まれました。

広告の承認が不明な理由で下りなかったり、正常な決済が通らなかったり

Amazon側がgoogleのタグを受けつけなかったり…

波乱万丈そのものです。

 

しかし、「大丈夫!上手くいっている!悪いことはない!

4次元的な存在である人間には解らない、神様の計画があるのだ!」

と叫び、メンタル管理をしている途中です。

だから

 

僕と同じく真っ暗な瞬間をもがいている誰かに、

そして結局成し遂げた未来の自分や

未来にこれを読んで勇気を得る誰かのために

現時点での切実な感想とinsightを書こうかと思います

(つまり憂鬱を払う雑談!)

 

続けます。

襲ってくる問題はいつものことで、人生って

予測外の波を乗り越え続けることだと知っていますが

心が闇に砕かれる瞬間はしょうがないのです。

 

最初、小説を書き始めた頃は

仕事をしながら作業する環境や自分を疑う目線などに苦しんでいて

もちろん、体力的な大変さと全ての欲を我慢しつつ

作業に没頭する心理的な苦痛は通常のことで

作品の質を上げるための勉強や読書など

他にもいろいろありましたね。

とにかく

 

その時には

「これだけ乗り越えて小説を完成すれば!これだけ!」

と思っていたのです

しかし、いざ小説が完成したら、

まだ大衆に信頼を得ていない現実やゼロに近い認知度など

新しく想像を絶する課題が雪崩れ込んで来ました。

 

イライラしたり、時には不安に沈没されたり、自分に怒ったり…

作品のために仏教などを研究していますが、

苦しむたびに、仏教の思想を勝手に思ってしまう。

(簡単に書いて誤解の余地があります。ご理解を…)

 

Anicca – that nothing in this world can bring a permanent happiness in the long run.

「アニッチャ(無常)」世の中の何であっても結局永遠な幸せをくれるものはない

>全ては変化する>物理学的にも同じ

 

Dukkha – despite our struggles, 

we will be subjected to much more suffering than pleasures 

if we remain in the rebirth process.

「ドゥッカ(苦)」どれほど苦しみもがいても輪廻の過程にある限り、幸せは苦しみより少ない

(アニッチャ(欲と執着)が、ドゥッカ(苦)を呼ぶ)

 

この話通りなら、我らの努力やもがき、夢、欲は全部苦しみを呼ぶ儚いものかも知れない。

(行動はカルマで続かれるのではあるが。。。)

 

答えはそれぞれの心にあるのですが

夢を走る人としては、こう信じたい。

「我らの努力や欲、その中で生まれた苦しみすら

大事な意味があり、必然だ」と。

 

実際、ただ一瞬の幸せであっても、誰かには一生の幸せになる

優勝のトロフィーや子供の写真など、こんなケースは普通に溢れる。

それが真の幸せか、懐かしさ(苦痛)なのかと聞かれると、また哲学的になりますが

 

苦難についたキリスト教や道教の解釈を借りると

苦難は幸せの裏側みたいなもので(ここは仏教も一致する)、いつも共存し調和しながら

美しくあるべき未来に導くもの。

つまり苦難は幸せの別の顔であり、終わりではなく幸せを開く始まりかも知れない

結局、全ての感情は自分から生まれ、自分の世界に影響を与える。

 

ならば、僕とあなたは今何を信じて、何を選ぶべきなのか。

どちらで生きるべきか。

僕は苦難が変化してみせる幸せを信じる。

また望む。たとえそれが永遠じゃないとしても。

そして同じく信じているあなたに、いつか証明して言いたい。

「大丈夫だと。苦しみも結局変化する」と。

 

心のまま書いて文脈や意味はずれているかもしれないけれど

これが今の僕の素直な感情ですね。

無名のくだらない雑談から

少しでも勇気を得る人が1人でもいれば

それでいい。

 

今日も訪問と閲覧ありがとうございます。

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では、また頑張りに行きます!ファイトー!