「恐怖は暗黒の世界への入り口である。恐怖は怒りを生み、怒りは憎しみを生み、憎しみは苦難をもたらす」ジェダイ・マスター・ヨーダ 「スターウォーズ」より
 
「怒りや欲望やその他の激情に支配される者は、あらゆる点から見て奴隷である。自由を獲得するために魂は奴隷状態から解放されなければならない」プラトン

愛を与える両親があなたを深く傷つける。親は子どもの自由なエネルギーをしばしば制限する。怒りは言葉で表現したり、物を殴る蹴る、などで緊張を発散する事が出来る。しかし親が暴力的で自分より強い場合には報復をおそれておとなしく服従する。

子供はあるがままの自分を否定して親に気にいられるような自我を形成する。そうして相手に嫌われないように良い子の仮面をかぶり自分を抑圧してしまう。

子供の体は緊張し愛を感じる通路を封鎖してしまう。現代人は野生である身体の反応を理性で押さえ込む事が多い。感情や痛みを否定したらエネルギーの流れは分断される。

支配的な親に対して、歯向かった為にひどく罰せられ、親から傷つけられた経験を持つと親への愛と同時に怒りと憎しみの感情も混入してしまう。

否定された愛は、分離して怒り、恐怖、悲しみとして記憶される。そして、恋愛に傷つき、愛が冷めて終わりを告げるとき、愛は憎しみ、悲しみ、怒りに変わる。深く傷ついたひとほど本当は愛に飢えている。

現代人は思考に依存している為に身体の反応を理性で押さえ込む事が多い。情動がうまく発散出来ないと、やがて神経系統の中に閉じ込められたエネルギーが噴出する。攻撃性が外に向えば社会的な問題が発生し、内部に向えば免疫などの自己治癒のシステムにダメージを与えてしまう。

私たちは関係性の中で様々な感情に巻き込まれると、怒りという方法で逃げてしまうことがある。しかし、怒りを表現しても「気づき」がない状態で起きている為に感情を爆発させても緊張は解消されない。怒りは抑圧しても短絡的に解放しても、エネルギーの流れをせき止めているブロックが消える事はない。

泣くなという条件づけを受けたために泣く事よりも怒りの方が簡単にでる男性がいる。世界中で暴力の嵐が吹き荒れているが本当は愛を求めて泣いている。怒りの中には愛を受けとれなかった悲しみがある。怒りの奥には悲しみ、無力感がある。恐怖がある。愛が分離され表に出てきた怒りがある。

 



先住民は荒野で一人になり断食と祈りの中で自分の恐怖、不安、悲しみ、怒りと向き合い魂と大地、共同体との繋がりを取り戻す。

アフリカのブッシュマンは煮えたぎるエネルギーをヌンと呼んでいる。部族の全員がダンスを踊るとヌンは体を熱く熱して背骨を上昇して、キアと呼ばれる癒しと変容の状態をもたらす。鉛を金に変える様に微細な身体があらわれる

部族社会では危機に陥ったとき祭りをおこなう。火を焚きそのまわりで歌い踊って、エネルギーを発散させる。祭という儀礼をおこなうことで不安や怒りを解消して、ストレスから身を守り、希望や勇気を回復して、心身の危機を克服する。変容と統合とよばれる機能が、祭りにはそなわっている。

怒りと攻撃性はエネルギーの上昇と爆発であり誤用すれば破壊をもたらすがそれを昇華すれば死と再生をもたらす。

 



あらゆる人々が心の安らぎを求めて努力をしている。本当の安らぎは怒りと悲しみと恐怖、絶望と無力感の只中にある。いまここにある。

怒り、不安、恐怖、心痛、わたしの思考、あらゆる現象には実体がなく、すべては関係性によって起こり、去り、変化してゆくと仏教では説く。

思考が作り上げた虚構を見破ることができた時、過去・現在・未来はなく、そこにはタオという存在の流れだけがある。

怒りの感情とともにそこに付随する様々な感情を純粋意識で自覚した時、否定的に思えたエネルギーは肯定的なエネルギーに変容する。湧き上がる攻撃的なエネルギーを自覚できると情動のエネルギーに巻き込まれなくなりその人は変容する。

人間はまわりにエネルギーの波動の場を作っている。相手が優しいと気分がよく、相手が敵意や怒りを持っていると気分が悪い。相手のエネルギーの場に感情を左右され自己の中心を保てない。人々の心的エネルギーが環境に影響を与えてエネルギーの場を形成している。

怒り、憎しみ、恐怖、悲しみは愛の扉の鍵であり、心を開いて自分の傷つきやすい感情を受け入れると、存在の流れともいうべき本当の自分に出会う機会になる。否定的に思える体験には真実の愛に目覚めるというまったく新しい次元が隠されている。

 

一つだったものに境界線を引くと境界線上で問題が生じる。心の内面である自我の境界線上には恐怖や怒り、無力感、が発生し、国境線上では紛争が絶えない。境界線が消えると外と内の区別も消えて世界全体は一つに戻る。心の中にある境界線に実態はなく気がつけば境界線は一瞬にして消える。

怒りや憎しみを他人に投影して行動せず、攻撃的なエネルギーを生命力に変容出来る人々が増えてきて、それがある臨界値に達したときに社会は根本的に変容するだろう。

成熟した社会への道は個人の意識の成熟と切り離せない。怒りのエネルギーを誤用すれば破壊をもたらすがそれに気づけば世界の再生をもたらす。