中世の魔女狩りを始めたキリスト教の聖職者達は強固なペルソナを持ち、
自分に邪悪な面はないと信じていた為シャドーの分裂が深かったといわれている。
その不安定なシャドーの投影先が邪悪な魔女だった。
邪悪さは自分の内面にあるので魔女を相手に正義の戦いを始めても内面の衝動はなくならない。
かくして自我の葛藤は解消されず魔女の火あぶりが何百年も続き何百万人もの人々がシャドーの投影の犠牲になってしまった。
保守的キリスト教は世界を善と悪というように非常に単純化して見ていた。
世界を二分化して、自分と異なる意見は悪魔の考え方だとして攻撃した。
天国で病人は癒され、虐げられている者は解放され。
平和と健康と喜びに満ちあふれるが地獄では苦痛、悪、苦悩、病気、死がまっている。
硬直したキリスト教徒は世界を二つにわけ境界線をつくりそこで対立して争って来た。
世界を二つにわけて片方を根絶すれば天国がやって来ると想像した。
どの宗教にも許す事、愛する事、心を開く事の教えがあるが
信者のマインドによってその愛は限定されている。
愛しあうのは同じ宗教の信徒同士だけにかぎられ、外側の異教徒は憎み皆殺しにする。
愛に境界線を引いてしまえば分離され恐怖、悲しみ、怒りと憎悪になる。一つの世界に境界線を引くことによって病が生じている。
アメリカの有名なキリスト教テレビ伝道師ジミー・スワガートはイスラム教創始者のムハンマドを「性的倒錯者」「変質者」と呼び、イスラム教徒の国外追放を叫んだ。
彼もまた影(シャドー)との分裂が深かった。
ジミー・スワガートは売春婦と車の中でいるところを発見され、
性スキャンダルが明らかになり表舞台から姿を消した。
世界を単純な善悪二元論にわけてイスラム教徒を相手に正義の戦いを始めても無意識の葛藤がなくなることはない。
ブッシュ大統領は世界を善と悪の単純な二元論に置き換えて正義の戦いを始めた。
片方の極をなくそうと戦いそして努力した結果、
今、手にしているのは暴力と戦争、病と貧困、対立と争いの世界である。
善を追求したはずが、悪が力を増してしまった。
快楽を求めたがますます苦痛が強くなった。
影は抑圧すればするほど力を増すのである。
老子は語る。
美があまねく美として認められると、そこに醜さがでてくる。
善があまねく善として認められると、そこに不善がでてくる。
だから、有と無はたがいに生まれ、
難と易はたがいに補いあい、
長と短はたがいに引き立てる、
高と低はたがいに相対的であり、
声と音はたがいに調和しあい、
前と後はたがいに順序をもつ。
だから、賢者は干渉しないでものごとを扱い、
言葉のない教えをする。
内と外、右手と左手、右足と左足、右目と左目、それは別々ではない。
同じものの異なった側面だ。それをわけることはできない。
相互に依存しあっている。
光のない影、
外側のない内側、
負けのない勝ち、
死のない生、
美しさのない醜さ、
昼のない夜、
どちらがなくとも存在出来ない。
この世界のすべてのものは相互に依存しあっている。
物質も生命も魂も、この宇宙が織りなす網の目の一部であり
一つの生命体のネットワークとして響きあっている。
人生は愛するものを失うことの苦悩と、悲しみの連続に満ちている。
この世界を死と生、善と悪、男と女、光と闇に分けて見る限り、
苦しみやつらく悲しいことから避ける事はできない。
タオの世界から見れば苦悩も喜びも等しいことに気がつくまで・・・