瀬織津姫の名がついた神社は珍しく全国でも三社しかありません。その一社が東北にあります。

 

 

唐桑半島舞根の瀬織津姫神社は東日本大震災で被害にあったので新しくなっていました。

由来によると元正天皇(女帝在位715~724)の勅命により熊野本宮の神を勧請して紀伊の国造藤原押勝は紀州名草の鈴木左衛門尉穂積重義と湯浅の湯浅玄晴を従え宮城と岩手の県境の唐桑半島に船で到着しました。

最初に神霊を安置したのが気仙沼市唐桑町鮪立(しびたち)の業除権現神社です。

 

次に熊野本宮の神を舞根に安置したのが瀬織津姫神社です。
熊野本宮の神とは瀬織津姫でした。しかし本宮・新宮・那智からなる熊野三山に瀬織津姫の名前は見当たりません。

那智の古文書によると熊野の那智大滝で祀っていた瀧神は瀬織津姫のことで那智ではみそぎ祓いをしていました。


岩手は瀧神として瀬織津姫が祀られています。熊野でも昔は瀧神として瀬織津姫神が祀られていたのです。


熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社は出雲の熊野大社から分霊されたと社伝にあるのでスサノオとニギハヤヒと瀬織津姫が祀られていたと思います。

 

ただし、祖霊信仰以前は縄文人の自然信仰の祭儀の場所だったと思います。
神社の祭神は支配者が変わるたびに変わっているケースがあるので重層的です。

 


室根神社の伝承で多賀城の鎮守府将軍が蝦夷討伏(とうぶく)を祈願して熊野本宮の神を分霊して室根山に祀ったといいます。

 

その神とは唐桑半島舞根の熊野の神、瀬織津姫のことでした。

 


室根神社の歴史は古く1300年前に遡ります。
特別大祭は国の重要無形民俗文化財になっています。

室根山の古名は鬼首山(おにかべやま)といい蝦夷の根拠地でした。

 


 

日高見の中心地の胆沢にはアテルイがいて朝廷に抵抗していました。

室根神社は本宮が伊弉冉(イザナミ)命、新宮には、速玉男命(はやたまのをのみこと)と事解男命(ことさかのをのみこと)を祀っていますが本来は、瀬織津姫を祀っていたと思われます。

瀬織津姫は禊祓いの神として祝詞に出てきますがその大祓祝詞に「大倭日高見国(おおやまとひだかみのくに)を定めまつりて」と国の名前が出てきます。

 

今の奈良県が大倭で「日本書紀」に東(あづま)の夷(ひな)中に日高見国(ひだかみのくに)有りとあるように奈良より東北の地域は朝廷に服従しない日高見国でした。

 

日本は統一国家ではなく大倭と日高見の二つの国があって日高見国は独自の文化と言語をもって千年以上も独立を保っていたのです。

 

蝦夷とは東北に住んでいる人々のことを指していたので盛岡に住んでいる私も蝦夷ということです。

 

◉2019年9月14日(土)

「瀬織津姫とマグダラのマリア」
〜封印が解かれた女神〜
トーク:清水友邦 & 武藤悦子
ダンス・パフォーマンス:アムリッタ朝子
https://www.facebook.com/events/2407600376138587/