すべての道の究極はどれも同じである。
どんな道を進むにせよ、大切なのは心ある道を進むことだ。
その道に心がなければ、少しも楽しくはない。
心ある道は楽しく旅ができ安らぎがある。
戦士は心ある道と一つになることができる。
そしてたどり着いた先で、その結果や意味について何の関心も抱かない。

 

「チベット死者の書」「Be Here Now」「カスタネダの呪術師シリーズ」は70年代の若者にとってバイブルのようなものでした。

 

カスタネダは世界に大きな影響を与えました。

ドンファンから教わった夢の中で覚醒して自分の手を見る夢見の訓練をしたのもこのころです。

 

70年代はこのカスタネダの話題で持ちきりでした。

当時20代だった私は71年にバスでソノーラ砂漠を横切る中でカスタネダを読んだ吉福さんから話を聞いたり、「気流の鳴る音」を出版した見田さん(真木悠介)のゼミに行ったこともありました。

 

カスタネダの最初の本「呪術師と私」が出版された1968年は歴史のターニングポイントの年でした。

 

社会主義政権下のポーランドのワルシャワ大学では民主化を要求した「3月事件」、

チェコでは民主化を要求してソ連が軍事加入した「プラハの春」、

パリでは学生によるゼネスト、

メキシコでは民主化要求デモに警官隊が発砲し学生が200〜300人が死亡しています。

 

日本では成田空港建設に反対する三里塚闘争が過激化、東大紛争の発端となった東京大学医学部の無期限ストライキが勃発して全学部に拡大して69年の入試中止、さらに日本全国の大学紛争に拡大していきました。

 

1968年は全世界で民主化を求めて大規模なデモが発生して世界が激動・震撼した年でした。

 

ナイジェリアではビアフラ(Biafra)戦争により数百万人が餓死しています。

 

アメリカではマーティン・ルーサー・キング牧師とロバート・F・ケネディ上院議員が暗殺され、北ベトナムで「テト攻勢」が起きてかつてないほどのベトナム反戦運動の高まりが起きていました。

 

ヘイトアシュベリー地区では反体制の大集会「Be-In(ヒューマン・ビーイン)」がおこなわれていました。

 

サイケデリック革命が起き、ヒッピーが社会現象となってドロップアウトをする若者は激増し、サンフランシスコのヘイト・アシュベリーを目指したのがこの頃です。

ヘイト・アシュベリー地区で資本主義社会から解放されるために原始共産社会のコミューンを作ることを目指して、無料の食料配給が行われていました。

ゴールデンゲートパークには舞台が作られ、グレイトフル・デッドやジャニス・ジョプリン、ジョージ・ハリスン等のロック・バンドやジャズ・バンド等による演奏や詩の朗読、サイケデリック革命の進行やベトナム戦争への反対を主張する演説等、様々なパフォーマンスが行われていました。

 

そして1968年はビートルズが高次の意識を求めてインドの旅に出た年です。

 

「人生にとって大事なことは自分が何者で、どこに行こうとしていて、どこから来たのか?それを自分に問いただすことだと思った。」ジョージ・ハリスン

 

探求者たちはありとあらゆるサイケデリックを試し、インドやネパール、日本に行き、ヨガ、瞑想、禅の修行に励み、エサレンやエストなどのサイコセラピーやワークショップに突き進んだのです。

 

文化人類学の学生だったカルロス・カスタネダは1961年から1971年までのおよそ10年間インディオ、ヤキ族のシャーマン「ファン・マトゥス」に弟子入りして、知者の訓練の様子をフィールドノートして10冊以上の書物に残しています。

ドン・ファンは「心ある道」を歩むようにカスタネダに教えました。「ドン」は名前につけるスペイン語の敬称です。

 

ドン・ファン
「デビルズ・ウィードは知者の秘密へのひとつの道でしかないんだからな。
他にも道はあるんだ。だが彼女の罠っていうのは、
お前に道はそれだけなんだと信じこませちまうことなのさ。
わしは、たったひとつの道、それに心がなかったら
特に、その道のために一生をむだに生きるのはくだらんと言ってるんだ」

 

カスタネダ
「だけど道に心がないってことをどうやって知るんだい?」

 

ドン・ファン
「それを歩きはじめる前に聞いてみるんだ、この道には心があるか?とな。
答えがノーならお前にはそれがわかる。そしたら別の道を選ばにゃならん」

 

カスタネダ
「でも、どうすればその道に心があるかどうかはっきりわかるんだい?」

 

ドン・ファン
「誰にだってわかるさ。ただ問題は誰も聞いてみないことだ」

 

ドン・ファン
「わしにとっては心のある道を旅することだけしかない。
どんな道にせよ心のある道をだ。
そこをわしは旅する。
そしてその端までたどりつくのが唯一価値あることなのだ。
その道を目をみはって、息もせず旅して行くのだ」

 

この本は事実かフィクションか随分話題になりました。本に出てくるカルロスはじれったいほど物分かりの悪い紋切型のステレオタイプとして登場するのでフィクションであることは歴然としています。

 

本に登場する主人公のカルロスとは作者のカスタネダに内在していた、偏狭的な近代合理主義のマインドを類型化したものだと言えます。

 

カスタネダがナワールを自覚することで自分の無意識の領域、夢、恐怖、病的な神経症の状態を客観視できるようになったことは事実でしょう。

 

そのようなことでは事実かフィクションかは抹消的なことで問題にならなくなります。

 

ノートと筆記用具を手に持っていたカスタネダにドン・ファンは「歩くときには、手にはなにももつなと言っただろう。ナップサックを買え」と言います。

 

カスタネダは体の不調を訴えていました。本当はどうしたいのか体に聞いてみなくてはいけません。カスタネダは頭で生きていたので盟友の声を聞くことができなかったのです。

戦士の戦いとは自分のなかのおしゃべりを止めて心のある道をあゆむことでした。

 

カスタネダは戦士となり世界を自分の狩場に変えました。そして自分の経歴を消し去り、決まりきった習慣をやめ、人生の課題に対し責任を取るようになったのです。

 

カスタネダの死によって著作は終了しました。最後の著作「無限の本質」でドン・ヘナロは広大な大地を抱き締める仕草をしました。戦士が旅で拠り所する存在は母なる大地しかないことを教えたのです。

 

最後の教えは「大地を愛すること」でした。カスタネダの遺骨はソノーラ砂漠の大地に返されました。そしてこのシリーズは終わったのです。