先住民族の文化には自然の中に入り力に満ちた聖なる場所で長期間断食して死と再生の体験をするイニシエーションがありました。

太古の昔、アメリカ先住民の人々は生活に困った時「どのように生きていけば良いのか」長老に尋ねました。

長老は一人で出かけて母なる大地に抱かれながら何日も祈り、眠りなさいと言いました。そして夢に現われる動物たちから教わりなさいと告げました。こうして先祖は夢に現れた動物たちから狩りのしかた、火の起こし方、薬草の使い方、ティピのつくり方を学んで生き延びてきたのです。

『ほんとうの知恵というものは、
ひとびとから遠く離れたところでのみ、
見つけることができる。
とてつもない孤独のなかでだ。
そのためにはとにかく苦しまねばならず、
遊び気分でいては、
まず見つかるものも見つからない。
孤独と苦しみが、人間の頭を開く。
それがためにわしらはひとり遠くに出向いて、
そこで自らの知恵を追い求める』
イグジュガルジュク(イヌイットのシャーマン)

 

 



聖地で何日も祈りを捧げていると大地から霊的な力が入ってきます。その力に身をまかせて明け渡すと自我の境界が揺さぶられて自我は不安定になります。

無意識の層から畏怖、恐怖、不安を伴う深い感情が湧き上がり、そのプロセスを経過すると強い高揚とリラックス、至福を経験します。

夢見の状態の中で自然界の生き物である熊や狼、クジラなどの動物が精霊として現れて智慧と癒しの力が授かります。現れた動物は部族や人間の守護霊となりました。

大地は地球のあらゆる歴史を記憶しています。人間が動物と兄弟のように暮らしていた時代はお互いの言葉が理解できました。今でも正しい方法で聞くことができれば草や木や岩が話してくれるのです。

人間を非日常意識状態へと導き魂を再生させる力を持っている場所が聖地です。

古来から特別な霊性を帯びた場所では礼拝が行われてきました。ヨーロッパの教会があった場所はかつてキリスト教以前の古代宗教の礼拝の場所だった事が知られています。
古代の人々は聖なる場所に石や木や花を飾って祭壇をつくり祈りをささげました。

古代の人々が祈りを捧げた聖なる場所には、泉や岩、樹木が茂っているだけで、もともとお堂も鳥居も建っていませんでした。

やがて素朴な社が出来て、のちに中央集権国家の時代になると壮麗な寺院、教会が建てられていったのです。

神聖な祭りは消え去り観光客にお金を落としてもらう空虚なイヴェントだけになってしまいました。

西洋社会で神に話しかけるのは祈りですが、神がそれに答えて神の声が聞こえてくると精神病とみなされます。 

先住民のシャーマニズムの文化では、逆に精霊からの声を心の耳で聞き取れない者は精神が病んでいるとされます。

他の生き物の苦しみや痛みを感じない現代人は心が病んでいるのです。

私たちは原子力発電所や化学工場、軍事施設を建設して聖地を破壊しています。現代人は大地との繋がりを断たれ夢見る力を失ってしまったのです。