今まで主治医以外の「水抜き」の経験がなかったため、気がつかなかったがこれも技術差があるようで、15分ほど引っ張られる痛みが続く。「水抜き」後は少しずつだが呼吸が楽になる。

そして倦怠感も薄くなる。


すぐに✖️線室にて肺の確認後、主治医との外来室での面談。


前回、2週間前のCT検査の写真を前に結果説明。肺の本体のガン小さくなっている、転移していたガンはぼ消えている、との事。肝臓これもほぼ小さくなり、新薬「タグリッソ」効果は持続しており、いずれ肺がんに関しては消える可能性があるとの話。


大腸ガンそして小腸への転移したガンの問題は残るが、朗報である。


「肺ガンは消えてなくなる!!!」

確か2度目の入院の際、海外に住む娘が見舞いに来たときの主治医が手術はできず、抗がん剤治療もせずの結論を出した直後の、新薬「タグリッソ」投薬を勧めた折の「肺ガン」に関しては「完全完治を目指し、攻めの治療を考えている」と言う言葉を思い出す。


小生この医師に命を預け、「死に水」を取って貰うと思った時である。

この時もまたその可能性が見えて来た今も主治医の顔に「大きな変化はなく、平常心」が強く印象に残る。



昨年10月、緊急入院そして「余命5ヶ月から10ヶ月」の診断を受けた人間が、まさに驚きの結果をみる。


そして今後、さらに効果持続が続けばいずれ大腸ガンの治療も視野に入れてある、その時期は不明だが、医療、新薬など日進月歩の中にある、誰の言葉か失念したが「絶望は愚か者の結論である」自然で素直な一言が頭を過ぎる。



昨日、急遽病院に行く。2〜3日前から、肺に水が溜まったようで、食事の際息切れ、就寝中の呼吸が苦しくなるなど症状が出る。何より疲労感、脱力感で1日中寝てしまう。


1週間、2週間と「肺の水抜き」間隔が空き、次回は4週間後の外来時予定だったが、今回は17日で症状が表れる。

主治医より、体調に変化があればいつでも連絡を、と言われているので、連休に入る前にと考え呼吸器内科に連絡する。。


コロナが原因か、タクシーがなかなかつかまらず10分程してようやく乗車、ドライバーとの会話から、タクシー業界も外出自粛の影響で仕事を休むドライバー、退社する人まで出る状況との事、「人、それぞれの事情」がある事痛感する。


病院到着後、程なく✖️線検査で「肺の水」確認、主治医外出中のため自分がやると言う女性医師と面会。いつもの処置室に通される。

両肺のうち右肺はすでに癒着済みで水はたまらず、左肺のみが水が溜まるのである。先ずは痛み止めの注射、それから注射器にて溜まった水を抜くのである。

ベッドの傍の椅子に座り、付属の台に枕、頭両腕を伏せるような格好で「水を抜いてゆく」

看護師のリードで準備がOK、その時外出中の主治医、突然登場する。面会の女性医師とは別の医師連れ。本日の水抜きはその医師と告げられ、開始。

いつもの主治医と違い、麻酔注射から少々痛みを感じ、体で伝える。背中の注射器、医師の姿は見えないが息遣い、抜いた水を管理する看護師など気配はよくわかる。

夜半目を覚まし、ブログを書く。。


4月20日は亡き長兄の11回目の命日である。

午後義姉に電話📞を入れる。

留守電になっていたがメッセージを入れる。


長兄は5人兄弟で唯一、服役経験を持つ、我が家では稀有な人生を送った人である。


この事は後述する機会もあると思うが、亡父母にとっても、残る我々4人兄弟の人生にも少なからず影響を与えていると思う。


長兄は、学生運動華やかな時代の闘士で、1950~60年代の日米安保条約反対派に属し、投獄された後は、墓跡の文字の手彫りを生業とした人生を送った、静かで穏やかな酒と🍶読書を愛する、我ら兄弟にも優しい兄であった。

5人の兄弟の酒宴でも、弟達の議論に入らずいつもニコニコと、嬉しそうに酒を楽しんでいた印象が残る。

70歳の桜の季節に、突然の「くも膜下出血」で他界した。


長兄は我々兄弟には投獄生活について語る事はなかったが、後年は亡き父母の眠る墓、K家のある寺の近くに住み、お寺と我々遠方に住む兄弟の法事のことなど、また墓所の掃除などと、まるで亡き父母に謝罪をするかのような人生を送ったのである。。