母は父と23歳ぐらいで結婚し4人の子供もうけるが
私が17歳のときに、失踪し音信不通のまま現在に至る
フェリーニの「道」という映画の、
ジュリエッタ・マシーナ演じる悲しきヒロイン、ジェルソミーナにそっくりの
性格と人生だった気がする。
何もできず考えられず一人で生きられないタイプ。
しかし愛嬌があり童女のような母で愛情たっぷりであった。
 
小学1年の時、友達のK川君の家でカールとコーラをごちそうになり
立派な家で一人一袋なんてすごい、と感動していたら、
K川君がコーラをこぼし、K川君の母が金切り声あげて叱りつけるのを見て
「わざとじゃないじゃないか!うちの母のほうが良い」と思った。
 
中学で毎日お弁当になり、愛情深く不器用な母は手が抜けず
貧乏なのに、おかず7割ご飯3割の弁当を卒業までもたせてくれた。
3年間一度も手を抜かず、本当の愛を込めて作られた弁当は、まさに母の存在そのものだった。
私が12歳の時、舌の出来物を手術で切除して痛くてうどんが食えないときに、
「代わってあげたいわ、」と本当の涙を流して私を熱く見つめていた。
 
心理学者の岸田秀の母は、岸田を利用して偽装の愛で自己の欲望を投影し、
表層意識と無意識の乖離から岸田が神経症となってしまったが、
私の母は岸田母と真反対の本物の愛であった。
愚者であるがゆえに計算ではない真実の愛をぶつけてきた。
だから私は本物の愛を持つ女性しか好きになれないし、本物かどうかすぐ見抜いてしまう。
私の持つ「ずれない直感」の基礎は、ここでできたかもしれない。
 
近所で「お楽しみ会」みたいのを主婦たちがしているときに、
うちもせんの?と言ったら母は
「あそこの家はおかしいなんて、嫌味言われてまで付き合う必要あるか?」
と怒っていた。親戚付き合いもなく、近所周囲からも孤立していた。
 
私が小6のとき壁新聞に漫画を書いて運送会社の社宅の壁に貼ったとき
巨尻のS山君の母から褒められて、誰が書いたの?と言われ、
僕です、と答えたら怪訝な顔された。母が嫌われていたからだと思う。
中2の時、「俺お母さんの面倒見ぃへんで」、と母に言ったら
「この子は!」と怒ったがすぐに機嫌は治った。
 
40歳迫る母は、父に言葉により虐待され、精神薄弱し、一人台所のいつものテーブルで
祈るような澄んだ目で中空見つめて、独り言をつぶやいて空想に逃避していた。
「お母さん?」と私が声かけると、「何や?」と一瞬振り向いて、また空想に逃避していた。
おとなしい母が、「こんなもん拝んでも幸せなられへんわ!」と突然叫び暴れ、
仏壇の鉢を投げ捨てていた事もあった。

母が求めたのは、ただただ普通の日常だけだった。
世間に相手にされず、結婚にすがり、無能な父にすがり、
一人台所のいつものテーブルだけが最後の居場所だったが、その場所すら地獄であった。
無力な母が、この世界で生きるのはあまりに過酷であった。
誰も友達もいない、相談する相手もいない、一人で生きていく力もない、
40歳迫る母は、お城に囚われたお姫様みたいに誰かの救いを潜在意識から求めていた。 
そしてたまたまセールスに来た男と駆け落ちみたいに逃げ出した。
逃げ出したこと知ったときの私のセリフ、「明日から誰が御飯作るの?」
 
数年後、母から息子たちにダンボールのお菓子と手紙が届けられ、
今は幸せです、と書かれてあった。
映画「道」では、浮気相手の綱渡り芸人はザンパノに殺され、ジェルソミーナも死んだが
現実では、ザンパノが死に、綱渡り芸人はジェルソミーナを連れ去った。
あの駆け落ちがなければ母の人生はどうなっていたかわからない。
 
2019年現在行方不明。