父は親に捨てられたため家族に憧れ、
お見合いで結婚し、4人の子供をもうけるが
後年私に、「結婚するなよ」とか言っていた。
父の兄のことを金に汚いと非難していたが、
後年兄の金でマンション借りてもらうはめになる。
 
生涯、運送業の運転手で「わしはプロじゃ」
と言いながら数年に一度事故を起こしていた。
酒も飲まずギャンブルも女もやらないが
「無害という名の有害」な愚者であった。
知能は低く私と対等に会話もできなかった。
自分の頭で何も考えられず、概念も見えず、
私とは会話すら成立せず(父は会話してると勘違いしている)
私は中2ぐらいから相手にしなくなっていた。
 
自分がないがゆえに過剰に社会規範を重んじ
他人の視線に価値をおいていた。
 
家では常に股間を触り、大きな屁をこいていた。
トイレから出ると尻を風呂で洗い「ケツ洗い一匹100円」と
子供にからかわれていた。
母と父がSEXしているところを中学の時みたのは気分悪かった。
 
家族サービスと称して琵琶湖などに旅行に連れたがった。
家族ごっこをやりたがっていた。
私は小学校高学年になるとだんだん迷惑だった。
「南紀白浜ワールドサファリ」に行った時の、家族全員の写真が台所に飾ってあったが
全員楽しそうでなく葬式みたいな素の顔だった。
 
しかし言葉を含め暴力を振るうことなどはなく、基本的な子供への愛はあったが、
子供は無条件に親に服従するべきという規範を押し付けてきた。
故に愛(無償の自己同一視)というよりは執着(欠損を埋めるために利用)であった。
 
母を言葉による虐待で無気力状態にまで追い込む。
おかわりで父が茶碗出したとき、母がひったくって、「しゃくるな!」と父が怒鳴った。
フェリーニの「道」という映画は、男女関係の原型と評されるが
母に対する態度は、映画の暴夫ザンパノの態度と近似していた。
近所に見栄を張り、過剰に親切だが、母には冷たかった。
だが母を愛していた、というよりは誰にも相手にされない父なので
すがる相手が母しかいないというのが正解かもしれない。
母が必要で甘えているのに、優位を誇示したい為に愛を出せず、
馬鹿にすることで劣等感をかろうじて払拭していた。
故に愛(無償の自己同一視)というよりは執着(欠損を埋めるために利用)であった。
 
母が出ていったあとで、いかに母に精神的に依存していたか、
失ってから母の価値に気が付き、
慌てて母を探して連れ帰ろうとしたが失敗することもザンパノに酷似。
 
私が20歳で東京で暮らしたときに父がいきなり来て、
「来てやったぞ!」と言って、ドア開けて入ろうとしたから蹴りを入れたら
「親に向かって何すんじゃ!」と父が言い、
私もかっこつけて「おかあさんどうすんじゃ!」と言った。
お土産をドアにくぐりつけて去ったが、私はお土産を放り投げた。
優しくすればつけあがり、距離が開けば価値に気がついてすがってくる愚者の典型だった。
 
私が30歳ぐらいの時、父から、一緒に暮らさんか?と言われ、
断ったら不服そうに黙った。
前に蹴り入れられた恐怖で、言いたいことはもはや言えなかった。
父は自己の無意識の観察すらできないので
恐怖と自己の意思を混同し、何が原因で引き下がったことすら気がついていない様子だった。
そんな父に母の無意識が観察できるわけがない(相手の無意識の観察こそ思いやり)
 
私には大学行くときに「入学金だけ借りるけど、あとで返す」と父に金借りたまま、
しらばくれて返していない罪がある。
 
晩年は家族全員に見捨てられ60歳で死去。
「誰にも愛されず必要とされず一人になったとき、人は死んでしまう」
と誰かが言ったがそんな死に方だった。
病気ではなく精神が先に死んでしまった。