ヨノは地域の他の神社の総社である神社の娘でありながら未婚。
そして留吉は小さい身体でありながらほぼ無敗を誇るこの地域での名物力士。
ヨノとトメが懇意だということは周りの人間は知っていて黙っていた。
懇意といっても実際はヨノの片思い。トメは彼女に感謝の思いしか持っていない。
知らない人々はこの二人のことを面白おかしく噂として話あっていた。
だが、そんな噂は当の本人たちにはどこ吹く風。
二人はそれぞれが必死でありそんなことは聞こえてくるはずもなかった。
それに周囲の人間も当の本人たちには幸せになってほしいと、
野暮な話を二人のどちらかに無駄に聞かせるような人間はいなかった。
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すでに正午近い。
日差しはまだまだ夏の面差しを持っていながらも周りの色合いは秋を感じさせる。
土俵のまわりには観客で満杯である。その一番目の取り組みが始まっていた。
「見合っとぃー! 見合っとぅーい!」
そんな行司の声よりもすでに闘志と闘志がぶつかり合っていた益荒男(ますらお)二人。
その声と同時に小柄な身体とその倍ちかいある巨体が正面からぶつかる!!
と同時に大きな歓声が沸きあがる。
遅れて行司の「残って残ってぃ!はっけよい!」と続けた。
が、行司の采配より先に始まった相撲に誰も聞かない行司の声が空しく響く。
留吉といのの取り組みが始まっていた。
仕切りはお互いしょっぱなの立会いでの突然のぶつかり合いだった。
観客の余所見してた者もさすがにそのぶつかり合いの音に驚き土俵に目を移した。
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小柄で速さある怪力の留吉は相手の懐までかいくぐり低い姿勢から両手で前褌(まえみつ)を
捕まえて、そのかいな(腕)を返し怪力にものを言わせてがっぷり寄せるのが得意の型だった。
そういう相撲の留吉であったため。体格も関係なく最後は自信ある腕力に任せて勝つ。
どんな相手でも速さとかいなぢからを武器に小柄ながら正面から挑む。
しかも押し相撲でさえ、その小柄な身体でも最初くらいは受けて立っていた。
かち上げ、張り手、押し。それでも引き下がらなく前に出る。
ときには自分より大きい相手の立会いのかち上げを受けながらも前褌をとり自分の相撲に持っていく。
それは立会いのぶつかり合いにも負けない尋常でないほどの足腰があってこそだった。
留吉の相撲は、かいな力だけでなく、土台の足腰。四股立ちの力量もあってのことだった。
留吉が相撲が好きという常に言っていることはおのれが大好きな相撲を研究し、
そのための力を日々つけているということの証左以外のなにものでもない。
小よく大を制す。
それを体現させる相撲をとるのが留吉だった。
小さいながらも独自に研究した四股立ち摺り足に裏打ちされた相撲をとる留吉は民衆から数少ない
負け相撲さえ好かれていた。だが、そういう相撲をとる彼は取り組み後はいつも怪我だらけ。
ヨノはそんな留吉を見ていつも心配で仕方なかった。
それでも不思議とそんな相撲をとる留吉が大好きでたまらなかった。
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この一番もそのようにうまく前褌を捕まえたが、いのとの体格、体重差ではまったく動かない。
たとえ力は同じだとしても、身長差は1尺には満たないまでも差があり体重差はそれ以上あった。
いのはその体格差を利用して留吉の上から背中側から覆いかぶさるようにトメの背中側から廻し(上手)をつかむ。
だが、足腰も強い留吉は腰を振って簡単にそれを切る。
しかし次には、いのは上から小柄な留吉の脇をカンヌキ(相手の両手を上から巻き込む状態の関節を極める)
に力で差そうとする。だが、腕(かいな)をしぼることを身につけてる留吉にはそれも簡単にはねのける。
絞った上でヒジを引きつける。逆に怪力の留吉の引きつけにいのがバランスをくずす。
自分の型に落ち着いた留吉にいのは焦ったのか、今度は留吉の細い胴体に上から、またしても
覆いかぶさるようにその体格からの手の長さを利用してがっちり留吉の腹までをかかえた。
そして引っこ抜くように留吉を持ち上げようとしたが、それでも四股立ちで腰を落とし、
がっちり腕(かいな)を返し前褌をつかんで、いのを持ち上げるようにしている留吉は動かない。
留吉の相撲力と怪力が体の大きさの違いをものともしない相撲であり、観客は沸きに沸いていた。
お互い膠着状態のように見えたが、いのは体格と力だけにまかせてあらゆる手を繰り出す
いのの相撲は力まかせ体格まかせのみ。そのため相撲という場で経験を積んだ留吉のペースになっていた。
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それでも普段の相手ならどんなに強くても、すでに留吉の型になっているこの相撲で終わるはずだった。
今回は体格があまりにもちがいすぎた。そのため普段の相撲より倍以上の時間を費やす大相撲。
ズズッ。ズズッ。。すり足で押し、押されてる者の足音。
留吉は土俵際まで攻めていた。かいなを返し前褌を持ち上げ体ごと胸をつける。
足は四股立ち。低く腰を落とし太ももの筋肉が脈打っている。腕だけじゃない確かな相撲である。
いのが尻近くの上手をとろうが切る、蹴たぐろうがびくともしない。自分より小さいのにまるで岩のよう。
何しても動かない留吉。そしてズズズと俵を割らせようと寄せていく。
それはいろいろと下手な攻めを続けるいのと確実な攻めを続けてきた留吉との違いだった。
その上手への攻めを変えて覆いかぶさった状態から再び留吉の腹まで手を廻すいの。
だが足腰も強い留吉はそのまま小さい身体ながら押し切りいのの両足を完全に俵を割ることに成功した。
が。その時、いのは留吉のそのトメの勝ちだと思った隙をつき両手をトメの腹までまわしたまま、彼を足から
引っこ抜き、自らの後ろに裏投げのように留吉を放り投げた。そのままいのも後ろに倒れた。
留吉は勝ったと思い油断して投げられてしまった。
留吉は軍配は自分に上がっていたのを中空で確認する。
観客の拍手喝采と怒号の中、まだまだ残心が足りないなと考えていた。
数間(すうけん)先まで投げられた留吉は観客の者に受け止められたものの、
勢いがあまりにも大きく受け止めた観客ごと倒れたが、留吉の身体はまだすべりぬけ、
ちょうどその後ろの石灯篭に頭をぶつけて気を失った。
観客には怪我人はなかった。
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気を失った留吉が目を覚ますとそこにはヨノがあくせく働いている姿が目に入った。
他にも手伝いの人間が歩いてるのが目の端に写る。
横になったまま目が覚めた留吉はヨノに対していう。
「おヨノさん。。なにをしとるんじゃ?」
その声を聞いて留吉の意識が取り戻したのを気がつくと赤く目を腫らしたヨノがかけよって来て膝をつく。
そばにきたヨノは気丈に耐えてたように見えた。留吉には彼女が泣いていたのがわかった。
周りを見るとどうやら控えの陣幕の中だった。ゴザの上に横になっているのを今気づく。
そして今まで自分が相撲をしていたのを思い出した。いのとの勝負に勝ったか負けたかも思い出していた。
「そうじゃ。。あと、一番とらんと。。」と留吉は起き上がろうとする。
起き上がろうとする留吉にいきなりヨノは彼の顔を両手でバチンとはさんで言う。
「もう終わったけん行かんでええ!ええんやけんね!」
ヨノはその赤くはらした目でトメの目をまっすぐ見て言った。
だがその声は震え、留吉に向けられた顔には涙が流れていた。
ヨノの両手に顔を挟まれたままの留吉は何がなんだかわからない顔をしている。
その時。
その陣幕に廻しをしめ、顔面にまだらに血を浴びた音二郎が「御免つかまつる。」と入ってきた。
そのまま何も言わずトメのそばまでズカズカと近寄って来る。
そして、留吉を上から下までじっくり観察し、「次はオレとの一番やけん逃げるなよ。」
それだけ言うと、おのれの目の辺りで視界をふさいでいる血を親指で何事もなかったかのように
ビッと拭い払い、周りの者とヨノに簡単な会釈だけして去って行った。
音二郎が去った後、ヨノは先程の音二郎が留吉に放った言葉を考えると
いのが音二郎との取り組みで重篤な状態にあわせられたことも言い出せなかった。
それに留吉の表情やうつむきながら口の両端が上がってたのもあった。
笑っている!? 留吉は強い奴と一番とれる。その嬉しさしか今は頭にない。
いったいこの人は何を考えているのか?それはヨノの理解の外だった。
ヨノにすればこの人たちは、身体や命まで削ってまですることなのか?
音次郎の先ほどの取り組み後の顔いっぱいの血。
養うべき家族もいるのに、何をそこまですることがあるのか?
そもそも相撲はそんな命を奪ったり怪我を負わすためにすることじゃない。
神事のためのいつもの相撲じゃない。大好きな留吉をみていても
今回の相撲だけはまったく理解できなかった。
代々続く神社の娘で、家名にかかわる名誉のことはわかってるつもりだった。
ただ、人それぞれその物差しがある。それぞれがそうして生きている。
自分の本当に楽しいことのため。自分の目標のため。生きている人間もいる。
ヨノは留吉のことはわかっていたつもりだった。しかし今の留吉は理解ができなかった。
相撲が心の底から大好きで誰よりも強くなりたい。
相撲の技の研究も怠らない。怪我も厭わない。
自分より強い相手と一番とれる。全部ぶつけたい。
そして倒したい。それが留吉だった。
音二郎は、先を目指しているなら相撲でさえ負けることは許されない。
例え相手が幼馴染だろうが、奉納横綱だろうが、おのれは優秀であり、
さらに武門以外の者に武で負けるわけにはいかない。
侍として武士としての矜持。
さらに出世するためには手段を厭わない考えの持ち主である。
それが音二郎の勝つためならあらゆる技も隠さない。人を殺める技も使う理由だった。
上に目をかけられる少ない武術の試し合いでは相撲も例外ではない。
幼馴染の二人はお互いが認め合う同士ながら、
命をかけて戦うことになる。
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神主の為衛門とヨノは二人で神社内にある社務所を兼ねた小さな屋敷に住んでいる。
下働きの者は持ち回りで寺社町の手の空いている農家から明るい時刻だけ勤めに来ていた。
夜は神社内は二人だけだった。
平定相撲の前日の夜遅く。
ヨノの神社の社務所の土間で為衛門(ヨノの父親)とヨノが話をしていた。
ヨノ「そんな殺し合い!留吉サンじゃなくてもいいやんか!なんで留吉サンじゃの!?」
突然に平定相撲の話を聞かされたヨノは気が気ではなかった。
為衛門「ヨノ!話を聞け。いいか。留吉が一番、この寺社町で相撲が強いんじゃ。
お前の気持ちはわかるが、ちと話を聞かんか!」
ヨノ「父上なんか知らん!」
ヨノはそう言って社務所から出て、いつもの稲荷神社の方に駆けて行った。
それを為衛門は自分がヨノを甘やかしすぎたのか。なんとも言えない表情をして見つめていた。
ヨノの母親もヨノが幼いときに他界していた。そしてヨノの両祖父母もすでにこの世にはいない。
長男は上方の神社に修行に出していた。そして長女はすでに隣の藩の良家の武家に嫁いでいる。
男手一人で息子一人。娘二人を育ててきた為衛門にとってこういうときはどうにもならなかった。
とにかくヨノが戻ってくるまでと為衛門は社務所の土間に腰掛を置きそこに腰をおろし
頭をかかえてため息をついた。
「キンテン。。ヨノは留吉サンにこんな危ない相撲はしてほしくない。殺し合いやんか。」
そんなヨノに狐はいつもと同じようにヨノの膝に頬をすりつけることなく距離をとり座ったまま
彼女を見つめるだけだった。「今日はヨノを慰めてくれんのじゃね。キンテン。」とヨノ。
そう言うヨノに対して面倒くさそうに後ろ足でガシガシ首の辺りを掻くだけの金天丸。
好物のスルメがないからなのか、ヨノが本気で望むことを自らしないのがバカバカしくなったのか。
彼女に呼び出されたはいいが、つまらなさそうに狐はそのまま自分のねぐらに戻っていった。
それからヨノはそれぞれの自ら務める敷地内の社に足を運んだ。
明日のことで厄がないように留吉に悪いことないようにと時間をかけて祈って回った。
その後ヨノは社務所の裏口からこっそり戻る。
先程の話し合っていた土間で為衛門が腰掛に座り頭をかかえたまま寝入ってしまっているのを見かける。
起こすと、また話の続きが面倒だと思い彼に上着だけ掛けてやりそのまま自分の寝床についた。
収穫の時期に近い夜。いや。すでに早朝。
秋の虫の鳴き声が父と娘の分かり合えない寂しさを代弁するかように静かに神社内に響いていた。
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明くる日。
相撲の当日の明け五つ(その時節の午前6時)頃。
ヨノの神社での親子との朝食時。
平定相撲の開催場所はヨノの神社であり、仕事が多くいつもより早めの朝食だった。
すでに境内には数人の寺社町の手伝いの農民たちが今日の相撲の準備を始めていた。
二人とも無言のまま食事をすすめている。
父と娘は、いつもなら軽いながらも少し程度の会話はするが今日は全くの無言。
重い沈黙の間にヨノは先に食事を終わらせて自らの膳を下げようと片付け始める。
それをみかねて、思い切ったように為衛門が諭すように言う。
「ヨノ。大事な人を失う孤独を留吉は痛いほどよくわかっとる。
そういう人間は人を思いやる大切さを身をもって理解しているものじゃ。
お前は留吉に何かあればと恐れているんじゃろう。やけどの。ヨノ。
留吉にはその寂しさを味あわせたくない娘のきぬちゃんがおる。
その上で引き受けると約束してくれた彼を信じてみんか?」
昨夜の言い争いが気になっていた為衛門は言わずにはいられなかった。
それ以上言うべきこともあったが娘の気持ちを考えての言葉はこれが限界だった。
ヨノの片付ける手は一瞬とまったが、そのまま何も言わずに片付けを続けて、
自分の今日の仕事を確認しに去っていった。
為衛門はその後姿を目で追いながらため息をつき、味気なくなってしまった朝食を黙ってかきこんだ。
そこにおはようございますと挨拶している今日の下働きをしてくれる当番の農家の者の声が遠くに聞こえた。
昇りかけた秋の日差しは、見える静物すべての影と光を青と橙の色に区切ってしまい、
それがよけいに重い現実感を感じさせた。
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その数刻後。
すでに神社の境内の中央の土俵は集まった庶民の歓心の中心になっていた。
ヨノはその中で裏方の仕事をしながらも気が気ではなかった。
こんなことはどこかで止めないとと思いながらも、いまさらヨノ自身の我がままだけで
どうとかできるような事態ではなかった。
何よりこの相撲における寺社町の民のことも父親から聞かされている。
結局、ヨノは胸の奥に重いものをのしかかえたような感覚で仕事を淡々とこなしていった。
それでも、昨夜キンテンという狐と会った後には、夜中の間ヨノは独自に自分の知ってる限りの
自らの社の神様にお参りもしていたため、目にはクマができていた。
会う人たちには不安で震える手は隠せなかったが表向きは笑顔でいるように努めた。
「手が震えてるけどどこか悪いのかい?おヨノさん。」と声はかけられたりしたが、
笑顔で「今日は忙しいけん緊張しとるんかも?」と会釈する。そうするしかなかった。
今回の相撲はそれぞれの利権をかかえた代表の平定相撲であり、三人だけとは言え総当りの
死をも厭わない決死相撲。もちろん、観客の民にはそんなことは知るよしもない。
集まった民衆はいつもの奉納相撲が今年は不作払いの祭り相撲をやる程度にしか考えてない。
いつもと違うツワモノのみ三人。強い者同士。それだけの相撲とも聞かされている。
その三人とも名が知れ渡っている三人だけあって不作払いにはもってこいだった。
ましてや、庶民の行事に城の侍が参加するなど前代未聞でありここぞとばかり話題になった。
また今回の主催が、従来からずっと続いてきた奉納相撲を主催をしてきたヨノの神社であれば
確実に行われるという信頼もあって集まる観客は普段の数倍にものぼった。
取り組みの順番はくじで決まった。
『留吉ーいの』、『音次郎ーいの』、『留吉ー音次郎』
総当りでの勝ち星の数で優勝者が決まる。
当時の相撲には立会いはお互いの息が合うまで仕切りあう。
何刻までも。それ以外は当時と現在とはそう変わらない。
だが今回の取り組みでのルールは違っていた。
ヨノはこれまでいろいろな人間の奉納相撲を見ていて、
相撲のすばらしさや危険なことも熟知していた。
鍛え上げられた男子の素手での強さというものは殺人など容易である。
その上で彼女が避けていたもの。そのルールが下記だった。
一.仕切りは息が合うまで。
一.裸廻しで出来ることは何をしても可。
一.負けに関しては土俵の外に出る。土俵内で手を着く。降参する。死。
その三つの単純なルールのなかで『裸廻しで出来ることは何をしても可。』と『死。』
いつもはこと細かく奉納相撲に規則を設ける為衛門が今回はそれだけしか宣言していない。
それこそがヨノが懸念していた殺し合いそのものだった。
ヨノと留吉が住む寺社町の隣にある城下町のある大きな料亭で互いの町の
責任者である者が密かな会合をしていた。
城下町からは城の筆頭家老と付き添いの家臣一人、豪商が2人。
それから寺社町からは神社のヨノの父親である神主とその寺社町の豪農が4人。
そして仲裁の間に立つため呼び寄せたこの両方の町を下からしきる非人頭一人と
その付き添いの者が一人。
全員がそれぞれの町でそれなりの権力と財力をなした者の集まりだった。
仲裁の非人頭は裏の権力を持つ者であり、獣の皮を扱う者や、当時、山くじらと
よばれる獣肉を扱う者。また、遊女や、死刑にたずさわる者。そして博徒のような侠客の者など。人別帳の外の人間を束ねる頭だった。
その男は非人の頭とはいえ、かなり立派な格好をしていて、見たままの品格も
ただならぬものがあり、こういう人間の集まりの中に一緒にいてもなんの違和感も
なかった。
寺社町と城下町が隣り合ってるところではさすがにいろいろなぶつかりあいがあった。
その折り合いをつけるための会合を年に1回程度で行っているが、今回集まったのは
城下町と寺社町の間を流れる川が先年、一部が決壊したため、その治水工事においての
出資の割り振りに関してだった。どちらの町も栄えていたがその割には上の人間に
入ってくる納金は少ない民を重視の政策をとっていた。
もともとはヨノの神社は賽銭やその町の農家からもらう現物でなりたっていた。
そして得たその賽銭も縁日の祭りや奉納相撲で赤字になることが多く自らが大金を出す
などということはできない状態だった。だが、そういう民に対して楽しみにしている
行事を誠実に取り仕切ることで町民からは好かれていた。
また城下町の方も城勤めでも優秀な侍を抱え、その中でなんとか町を栄えさせようと
切り詰めての今の状態だった。そのおかげでお互いの町は1年くらいなら極度の飢饉が
きたとしてもなんとか乗り越える住民の蓄えはあった。
そこからお互いがどれだけ出資の割合を出すか。それが今回の会合の議題だった。
もちろん、どちらかの豪商、豪農から出資金は出るが返済するのは町であり住民である。
そしてその返済のための資金を徴収する責任者は城からは筆頭家老と、寺社からは
ヨノの父親の神主であった。
どちらにとっても頭が痛い問題であった。ただ、豪商、豪農も自らがずっと住んできて
栄えている町でのこういう会合での出資においては利息はとらないと取り決めていた。
なぜなら栄えれば栄えるほど自分たちも儲かる。
うまくいっている政治に下手に首を突っ込むよりこの町を栄えさせることが利益につながる。
商売をする者達はわかりきっていた。それは将来への投資以外の何ものでもない。
そういうこともこの二つの町が栄えていた理由の一つだった。
数刻にわたり議論は続いた。
人足をだすのは非人頭の方で決まった。足りない人数は寺社町から。
そして人足に対しての賃金は城下町から。足りない分は米支給で寺社町から。
資材に関しては城から用意する。そして足りない資金も城から出す。
だが、これでは得をするのは仲裁とは名ばかりの非人頭側だけである。
それに寺社側は人足も資金も現物支給で補うだけで資金を出すのは城側だけ。
この国の藩主たる城の立場で公共施設の建設とは言え、これまでしっかり政治行政を
してきた自分たちがこれで交渉が終わるなら責任者の家老はせめておのれの家を
守るために自分が腹を切るしかない。それに今年は参勤交代の年で出費もさらに
かかることもあり家老には引き下がることはできなかった。
そこで取り決めた書類に判を押す前に家老は提案を出した。
家老「これは常々、民を思ってまつりごとをしてきた拙者ども城の者に負担が
大きいのではないか?近頃、相撲で毘沙門殿のところにツワモノがいると聞く。
相撲の順位でどれをどうするか決めてもおもしろいのではないか?のう。為衛門殿。」
毘沙門とは非人頭の通り名。為衛門とはヨノの父親の名前。
為衛門「し、しかし。。ご家老。お立場はわかりますが、いまさら一庶民に
責任を預けるなど。」
毘沙門「フ。。ハッハッハッ。。ご家老殿。いいでしょう。それには条件がありますが。」
家老「なんでも申してみぃ。なんじゃ?」
毘沙門「江戸で売られている人の臓腑を元にした丸薬。これの製造販売を
このくにでも許可していただけないかと。これがバカに売れてるようでしてなぁ。
是非にお上の許可をもらって売りたいと思ってねぇ。」
家老「ならん!そのようなモノ。我が殿の首にもかかわる!」
毘沙門「そういうと思いましたよ。ご家老。あなたの娘さんの名前なんでしたっけ?
あぁ、おキクちゃん?」
為衛門「控えんか!貴様!何をほざいとる!」
毘沙門「神主殿。あなたの娘さんは、ああ、まだ嫁御にいっとらん、
おヨノさんおったっけねぇ?」
豪商、豪農とされる連中は震えて聞こえないふりをしていた。
そこに家老についてきていた家臣が毘沙門に無礼打ちの一刀を浴びせた。が。
毘沙門の従者がそれを長ドスで受け太刀していた。
そして受け太刀したまますぐ懐に入り家老の家臣の手を逆にひねる。
刀を落とす家老の家臣。かわらず続ける毘沙門。
「そこのお金持ちさんたちは了承しておるようじゃねぇ。お二人はどうするんかいの?
いいだしっぺはご家老殿じゃ。どうすんじゃ?」
と静かながらドスのきいた声で脅す非人頭。
それだけじゃなく料亭の連中もすべて買収済みでこのちょっとした騒ぎを役所に
届ける者などいなかった。
結局、娘らの名を出された家老と神主は従わざるを得なかった。
平和の中で必死に生きてきた者と、裏でなんでもありの中で死と隣り合わせで
生きぬいてきた者とその用意周到さが違っていた。
家老も神主も平和の中で信頼の中で誠実に生きてきた。
だからこそ、このそれぞれの町の栄えた今がある。
相互信頼とはこの町のいいところでもあった。
ただ、今までこの非人頭のような者。
大金の裏で動く人間のことまでは理解できていなかった。
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死体を処理する役目の非人の部落。
この非人部落の者達の中では相撲というものはただのケンカの延長のなんでもありの
殺し合いでしかなかった。普段はとくにどうということでもないが、部落における孤児で
ある子供などは常にそれだった。
もちろん育ての親はいる。が、10歳くらいになると一人で仕事ができると判断され
相手にされなくなる。
死んだとしても人別帳にない人間の死体を同じ部落の連中が片付けるだけ。
ただそれだけだった。
自然界で単純な暴力による闘いで生き残るのはいつでも身体が大きく頑丈な者。
孤児で生まれた者は力で実力を訴え、話し合いなどは二の次であり、
それが唯一の生きる道だった。
その上での彼らの社会があった。
もちろん秩序に携わっている武士階級の目の届かないところでだ。
非人頭の毘沙門などは代々の頭の家柄もある。
それなりに頭も切れたが非人の底辺の者には学などはない。
その中でただ力のみで自分を誇示してきた者がいた。
その男は体格が大きくケンカのたびにまっすぐ突進してくるため猪(イノ)と呼ばれていた。
イノは身長が六尺(180cm)ほどあった。当時の平均身長からすれば大男以外の何者でもない。
そしていざ相撲という名ばかりのケンカとなれば相手を殺すことも厭わないその体格を
もってしての力で相手をねじふせてきた。頭はそれほどよくはなかったが、
その強さのため部落からは一目置かれていた。
ある日、イノは非人頭に呼び出された。顔などあわせたこともない自分たちを束ねるカシラ。
そう思い何か期待してイノはカシラに会いに行った。
非人頭の家は屋敷でその中の大座敷に通された。
そこで酒を手にして女をはべらかしている非人頭の毘沙門がいた。
非人頭の毘沙門は今度の相撲に参加し勝て。勝てば好きなものをくれてやると言う。
「じゃが、お前は無理には勝たんでもええぞ。人肝丸(じんたんがん)で、
すでに儲けれるけんの。」
と、干し肉と酒を口に含みながら高笑いする非人頭。
それでもイノは初めて上の人間が自分を認めてくれる。
頼ってくれる者のために闘うことを決意した。
幼いころからさみしい思いした孤児であった単純なイノにとって上の者が自分の力を
認めてくれるということ。
それだけで十分であり褒美などはどうでもよかった。
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その藩の国主の城。
城下町の城勤めの武士は半年に一回。競うことで武を高めるために御前相撲をしていた。
その御前相撲とは寺社町の奉納相撲とは違い、禁じ手と呼ばれた技も頻繁に使われ、
それぞれの流派の柔術やら、組打術、さらには当身術を使ったもので死人もでることがあり、
それは武士の試し合いとしては特にめずらしいことではなかった。
その中で音次郎と兼之輔という二人だけが突出して武を争っていた。
その二人は幼い頃に留吉にヨネとケンシチと呼ばれた二人だった。
ある午後の城郭の兵舎の屋外の一角。
筆頭家老「おぬしら二人のうち。勝った方が今度の平定相撲に出場してもらう。励めぃ。」
「ハッ!」と例の会合に参加した筆頭家老に頭を同時に下げた二人は土俵に上がる。
立会いは永くかかるかと思われたが、すぐにぶつかりあった。
3分ほどの激しい大相撲。しばらくして音二郎がそこに立ち尽くし、その下に兼之輔が
転がっていた。
兼之輔は右腕を折られ、目を突かれ起き上がれない状態だった。
家老「うむ。音次郎。そなたに今度の平定相撲を任せる。それまでにさらに研鑽せよ。」
音次郎は「ハッ!」と家老に頭を下げ、何事もなかったように息も乱れず立ち去っていった。
音二郎の家は戦場での組打術に特化した秘伝の技を受け継いでいた。
普段の御前相撲では簡単な手技、足技程度しか見せてなかった。
それでも優秀な成績を残していた。
だが、今回は見せたことのない技を兼之輔に使った。
出世するためにはこれが好機と思ってのことだった。
この意味することは平定相撲でも容赦なく家伝の秘技を使い、殺害まで厭わないと
いうことだった。
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寺社町の神社にある森。
ヨノの神社の裏の鎮守の森で植木の手伝いをしている留吉。
「かぶとむしー!ぶーーん!」ときぬが留吉がつかまえてやったかぶとむしを手に
持ちはしゃいでいた。
鍬で穴を掘りそこに苗木を植えつける。そして枯れた木を切りまたそこの土を掘りおこす。
ここ最近、雨が何日かおきに降り地盤がゆるんでいた。そのため作業自体は楽にすすんだ。
「この分じゃと今日中に終わるねぇ。」と留吉は一緒に作業している寺社町の農家の男に言う。
「そうやねぇ。雨降ったらたまらんけん、さっさと終わらさんといけんがねぇ。」と男は返す。
そのとき。「とーちゃーん!!助けてぇー!」ときぬの声が聞こえた。
留吉は手にしていた鍬を捨てすぐにきぬの声の方向に走った。
そこには見上げる崖があり横に木の根と根の間に足をからみとられて倒れているきぬがいた。
留吉は駆け寄り「そんなことで泣くな。とうちゃんがすぐとっちゃるけん待っとけ。」
「上!うぇーー!!とーちゃんあぶない!」ときぬ。しかし遅かった。
留吉が上を見上げると崖の上から自分の身体の数倍あろうかという岩がごろごろと
落ちてきている。
トメは歯をくいしばり岩の方に走りこみ、小柄で細身ながら持ち前の剛力で自分の体格を
はるかに上回る岩を全身で受け止めた。ガシッ!ズズズズ。。。
きぬのぎりぎりの手前でその岩を受け止めきった。
自分の数倍あろうかという岩を受け止めきる、その身体に似合わない尋常じゃない怪力。
崖から落ちてきた岩の大きさを考えると大人の男が数人ででも容易に止められる事ではない。
「ふぅー。。きぬ。怪我はないか?」と受け止めた岩を横にどけつつ言う留吉。
「とーちゃん。すごーい!」ときぬ。やれやれと思いながらきぬになんともないことを
ほっとした留吉はきぬを根っこからほどいて立たせてやる。
きぬはどれほどの事態を留吉がくぐりぬけたのかをわかっていなく、
ただ父親の強さをなんのためらいもなく信じきっていた。
そこに神主の為衛門がさがしていた留吉をみつけて駆けて来た。
------------------
神主の為衛門が平定相撲の件を頼むと留吉は快く了承した。
相撲は大好きであり、為衛門の娘のヨノにはいつも世話になっている。断る理由がなかった。
その負う責任の意味もわかっていて為衛門を安心させるために留吉は勝つとまで約束した。
今回の平定相撲に参加するのはイノ、音二郎、留吉の三人だった。
一番限りの総当りで成績順に決まるが場合によっては二番とることになる。
また、普通の相撲ではなく禁じ手もありで、怪我や死による途中欠場は即敗北になる。
この話をヨノが父親から聞かされたのは前日の夜のことだった。
ここは日本。
元号が文政に変わったばかりの頃。
幕末と呼ばれる時代より50年くらい前の江戸時代でのことくらいで、
どこかの田舎の城下町と寺社町が隣り合ったところでの話。
そしてその頃より20年足らずさかのぼる回想から物語は始まる。
8、9歳程の一人の女の子が田んぼのあぜ道で同世代くらいの男の子の集団からいじめられていた。
女の子「なんでそういうことするん?ヨノはあんたらになんも悪いことしとらんやんか。」
男の子「お前がムカツクんじゃ!神社の娘じゃいうて調子にのっとるけん教えとるんじゃ!」
そう言った男の子は田んぼにその女の子をつきとばす。バシャ!
突き飛ばされた女の子は田んぼに落ちて水浸しになってそのまま泣き出す。
そこに集団の男の子達より一回り小さい男の子が一人走って来ながら言う。
「ヨネ!ケンシチ!それにお前ら!なにやっとんじゃ!」
女の子を田んぼに突き飛ばした男の子はそれに応えて言う。
「トメ。何かっこうつけとんじゃ!オレらよりチビのくせに!」
そう言う男の子にトメと呼ばれた小さい男の子は走ってきたそのまま身体ごとつっこみ押し倒した。
小さいトメは倒れた男の子を服をつかみながらもバシバシ平手うちを相手の顔に入れる。
それを遠巻きでみる男の子の集団。しかし体格差があるのか、少しするとトメは
蹴飛ばされて逆に馬乗りにされてさんざん殴られて大の字になったまま放置された。
男の子の集団はそれを見てつまらんと言いながらどこかに行ってしまった。
それを見ていた、いじめられて田んぼに水浸しでいた女の子は怯えたまま言う。
「大丈夫?」それには答えない小さなトメ。ただ、その男の子が泣いているのはわかる。
女の子はほっとけなくなって濡れた泥だらけの衣服のまま小さなボロボロのトメに駆け寄る。
「強くなりたい。。」
大の字になったまま顔をはらし悔し泣きしてる小さなトメが独り言のように声を発した。
その反応に女の子は心を揺さぶられるような感覚があったことを自覚するのはそれから
何年もたってからだった。
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それから20年近くたつ。
ヨノはこの地域で有名な神社の娘であり数えで27歳になった今でも独身だった。
近所では評判の器量よしの娘だがこの年齢で独身ということが人々に陰口や心配の声をかけられていた。
この時代に27歳で嫁いでいないのは次女とはいえ後家でもないかぎりかなりの問題のある女性と見られ、
特に神社という名家での娘ならなおさらだった。しかしそれには理由があった。
見合いも、言い寄ってくる男もすべてかたくなに断っていた。
トメと呼ばれていた小さな男の子は今では7歳になる娘が一人いた。だが妻はすでに他界していた。
トメ、留吉(とめきち)はこの寺社町の奉納相撲ではここ数年は負け知らずの男にまで成長していた。
体格が小さいのは相変わらずであったが、その身体に似合わない剛力(ごうりき)を持っていた。
頭の中は強くなることと娘のことしかない。それに相撲が楽しくて仕方なかった。
実家は農家の郷士の次男坊でたまに実家や近くの農家の農作業に手伝いに出かけ報酬をもらう。
そして相撲が強いのとまっすぐな人柄をかわれ奉行所の門衛の仕事を月のごく数日だけ請け負い
その賃金とで娘との日々の生活の糧にしていた。
トメの家。
留吉「父ちゃんは来年の相撲も勝つぞぅ。」とその力コブをみせた腕につかまる小さな女の子。
きぬ「強い父ちゃん大好きー。」きぬとは留吉の7歳になる娘。夕飯を終わった頃の会話。
農家で郷士というそれなりの身分の家の出でも次男坊であるためみすぼらしい家に住んでる留吉とその娘。
そこに神社の娘のヨノが訪ねてくる。
「留吉サン。こんばんは。おきぬちゃんも元気そうじゃねぇ。」とヨノ。
来ることに慣れたように居間に入ってきて座る。
留吉「ああ。おヨノさん。いつもすまない。ウチの娘のために。」胡坐をかいたまま頭を下げる留吉。
きぬ「おヨノねーちゃんの持ってくるオツケモノはおいしいけん父ちゃんとシュウゲンしたらいいのに。」
ヨノの顔が赤くなる。「きぬ!早よぅ寝ぃ!おヨノさんが迷惑しとろが!」まだ寝る時間ではなかったが
バツが悪くなって、つい留吉はきぬに大きな声で言った。
きぬは「はーい」と言って奥の間といっても隣の間に行って静かになった。
「おヨノさん。いつも悪いねぇ。」と頭をガシガシかきながら改めて言ってみるが、顔が赤くなったヨノの
真意には全く気づかない留吉に、「留吉サンがいつもうちの神社の奉納相撲でがんばってくれとるけん、
それでヨノも何かしてあげなきゃとしとるだけよぅ。」とヨノは持ってきた漬物を小分けにしていた。
ヨノは20年程前に留吉に助けられたことは忘れてなくそれからずっと彼のことを想っていた。
だが、留吉はまったくそんなことは忘れている。彼の頭には娘と相撲のことしかない。
男とはそんなものなのだろう。それに留吉には5年ほど前に死にわかれた妻がいた。
死に別れた女房のことは彼には大きすぎたこともあった。
留吉は訪ねてきてくれたヨノといつもと同じ世間話を四半刻(30分)もした後、ヨノの家の神社まで送る。
留吉にとっては幼馴染の一人で女の一人歩きはさせないよう家の近くまで送っているだけにしかすぎない。
だが、ヨノの心はいつもそうしてくれる留吉の優しさをたまらなく切なく感じていた。
留吉が亡くした妻のことをまだ愛していると考えれば考えるほどどうしようもない想いだけが広がるばかりだった。
ヨノの神社の中には本殿以外にも山(土)神の神社、そして反対側に海神の神社があり知恵の神社としても
立社している。そして本殿の横。その奥に稲荷神社がある。
その稲荷神社で1年ほど住み着いてる一匹のオスの狐がいた。
初めはどんな者もよせつけない日々が数ヶ月はつづいた。
だが縁起がいいからと住み着かせてるとなぜかその狐はヨノにだけはなつくようになった。
それでもヨノ以外の人間どころか他の狐さえよせつけない。
メスだろうが子狐だろうが自分の縄張りには全くよせつけなかった。
遅い時間にたまにヨノは自分にだけなつく狐が住む稲荷神社に行くことがあった。
それはその狐に自分の想いを聞いてもらうことで気をまぎらわすことができたからだった。
ヨノ「キンテン。。ヨノはどうすればいいの?」
キンテンと呼ばれた狐はヨノになついていたからしゃがんだヨノのヒザに頬をすりつける。
そのキンテンに珍しくヨノはいきなり狐の両腕をとり上にかかげる。
「金天丸ー!あんたはスルメだけ食べてたらゴキゲンじゃねぇ。」と狐と顔を合わせたヨノは泣きそうな顔をみせる。
狐はヨノがつらそうな顔を見せるのと同じにおのれも同じ悲しそうな目を返す。そのままうつむいて黙るヨノ。
嗚咽をもらす。狐はヨノに両腕を抱えられた状態で悲しそうな目をヨノに向けたままなすがままになっていた。
ヨノは動物に自分の感情をぶつけても仕方ないと思ったのか、途中で狐に謝って放し自分の社に戻って行った。
狐はいつもはすぐ穴倉に隠れるのに今日は同情するかのように隠れずにヨノが社に戻るまで見守っていた。
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翌日。
早朝にヨノの幼馴染の同年代の親友で近くで茶屋の女将をやっている吟子が訪ねてきた。
「おヨノちゃんー。飼ってる狐見せてくれる約束やろー!ウチも商売にあやかりたいんよぅ。」
とヨノの社務所の前で叫ぶ吟子。
社務所からは別のところから出てきたヨノは「おギンちゃん早いねぇ。」と巫女姿でホウキを持ったまま応答した。
そしてお互いがおはようと言った後、吟子を稲荷神社の方へ案内する。
「いないねぇ。」と吟子。
「朝やけんねぇ。それにそうは出てこんよぅ。」とヨノ。
「キンテンやっちゃっけ?」と吟子。
「うん。おてんと様みたいな黄金色の毛色やけん金天丸ってつけたんよぅ。」とヨノ。
「一回、そのお稲荷さんに会わんとねぇ。ウチは商売が最近ギリギリや。黄金色なら願ってもない。」と吟子。
「わかった。今日はダメっぽいけど、今度、おギンちゃんと金天丸とヨノとで一緒に会おうねぇ。」とヨノ。
「うん。そろそろ行くね。店の仕込み手伝わんと。最近ウチの旦那がうるさいんよぅ。
ウチだって子供らの面倒みとんのにねぇ。儲からんけん仕方ないわい。」と吟子。
吟子はそう言って幸せそうな笑顔を見せて自分の家。店の方に走って行った。
それを見送るとヨノは自分の仕事に戻っていった。
この町にはヨノの寺社町とは別にすぐ隣に城がありその城下町がある。
そのため人口はそれなりに多い地域だった。
留吉は寺社町奉行所の門衛をたまに勤めていた。その途中でヨノの神社に立ち寄りお参りするのが
出勤するときの日課になっていた。そういう日は娘のきぬは親戚の農家に預けている。
ちょうど吟子が帰った後くらいに神社の石段をかけあがってきた留吉。
ヨノはいつもの留吉が来る時間はわかっているので神社の鳥居の奥くらいで何事もなかったかのように
掃除をしていた。
留吉「おはよう。おヨノさん。今日もお天気やね。ゆうべの漬物は今朝きぬが喜んで食べとったよ。」
ヨノ「おはよう。留吉サン。お勤めご苦労様。つまらないものでごめんなさいね。」
遅刻しそうと言いながら手水をし本殿の方に駆けていく留吉。それを微笑みながらみつめるヨノ。
少しして本殿からまたあわただしくまた駆け出してくる留吉。
「じゃあ、行ってくるわい。またきぬに会いにきちゃってよ。」と留吉は駆け抜けていった。
ヨノにとっては、いっときの心おどるちょっとした会話。しかし去った後はため息をつくヨノ。
何もわかっていない留吉にまた思い出したかのようにどうしようもない想いがよみがえる。
ヨノは自分からできるかぎりの気持ちをみせているつもりだった。
それでも留吉はなんとも感じていない。
むしろ、幼馴染で名家の娘が自分に気をかけてくれてありがたいとしか思っていない。
留吉が想う女性は亡くなった妻でしかないと、亡くなってから数年もたつのに、
留吉を想うヨノからすればどうすることもできなかった。
そして、そんな一途な留吉だからこそ、それが自分に向けてくれればとよけいに
ヨノの心は苦しくなるばかりだった。
それがヨノが見合いも言い寄る男もはねつけるすべての理由だった。
名家の娘。その立場よりも留吉への長年の想いが報われること。
ただただ一緒になりたい。それがヨノすべてだった。
回想を少し。
ヨノが留吉への想いをはっきりと自覚したのは留吉の祝言の日だった。
それまでは好きという感情とはなんなのかよくわかっていなかった。
いつも会える留吉にそれが嬉しいだけでそれ以外は何も考えることはなかった。
留吉が18歳のときに見合いで結婚してから、どんどんつのる理由ないどうしようもない感情。
いつものとおりに振舞うが何か自分でもわからない感情が湧き上がる日々だった。
だが、留吉の奥さんの玖二(くに)のことは恨むどころか、明るくさばけた人柄でヨノは大好きだった。
ヨノにとっては好きな二人が夫婦(めおと)になることは歓迎することなはず。
しかし、どうしてもどこかで忘れられない想いがあったからか押し殺した感情だけがつのるばかりだった。
すぐに留吉の娘のきぬが生まれたが、その1年後に玖ニは労咳にかかりまたその1年後には亡くなった。
その間、ヨノも看病に幾度となく留吉の家を訪れなんとかして治ればと心から気にかけていた。
看病をしながらもまだものいえないきぬの世話もした。
そういうこともあり実際は留吉はヨノには頭があがらなかった。
それでもヨノは明るく「うちの寺社町の人ら同士、お互い様やけんね。」と留吉には笑顔で応えた。
だが、留吉だからこそヨノが必死になって看病や育児に訪れていたのはわかる者ならわかるだろう。
留吉だけがヨノの真意をわかっていなかった。
留吉だから。ヨノが好きでなんとかして上げたい留吉だから。ヨノがこうしてるということを。
留吉が大切にしている玖ニときぬだからこそ、なんとかしてあげればと。
ヨノが留吉に笑顔で言った寺社町の人ら同士などは嘘以外の何ものでもなかった。
落ちた崖の横を流れていた小川で擦りむいた後を簡単に洗い流すと一人と一匹は
目的地に向かって再び歩き出した。
イリィ「ツクネー!まだつかないの?」
キツネ(お前なぁ。。)
あいかわらずキツネの後をついていきつつ小枝をブラブラ振り回しながら近くの草木を
ペシペシ叩きながらイリィは歩いている。
キツネ(そういや、あの干物ってのか?アレはこの島のどこの村でもあんのか?)
イリィ「干物はウチだけだよー。もう死んじゃったけど爺ちゃんがずっと作ってたからねー。」
キツネ(ほう)と自分の好物の話に興味深々で耳を傾ける。それに気をよくしたイリィも続ける。
イリィ「爺ちゃんは若い頃にどっかからソーナンしてこの島にたどり着いたんだって。
それで昔住んでたとこで作ってた食べ物が干物ー。だからウチではずっと作ってるの。」
キツネ(へぇー。すごいな。お前のじーちゃん)
イリィ「えへへ。でもねー。他のウチの人には合わないみたいでウチしか食べないよ。
あ、でもロロはおいしいっていつも食べてるよ!」
キツネ(そのロロって、えー奴やなぁ)
イリィ「うん。ロロは優しいし、いろんなこと教えてくれるし魚くれるから好きー。」
イリィは自分の好きな人たちを褒められて単純にうれしくて満面の笑顔でフンフンフーン♪と鼻歌を
歌いだした。それにつれてブラブラ振り回しながら草木をペシペシたたいてた小枝もリズミカルに
なっていった。
キツネ(ゴキゲンなんはいいんやけど、また足踏み外したりして落っこちるなよ)
イリィ「わかってるってー。よーし!こい!ツクネめー!」とまたキツネに向かって枝を構える。
(もーええって)とキツネがいうと前と同じようにキャッキャッと一人笑うイリィ。
そんなやりとりを数回。キツネの方は途中から無視して歩いていると、今度は何をみつけたのか。
イリィが「でっかいカエル!カエルいる!ほら!ほら!」と後ろで聞こえる。
さっきもでかいカブト虫やら青虫やらでうるさかったのに今度はカエルか。と無視しようとすると
「キャー!イヤーァァ!」とイリィの叫び声。
(今度はなんや。。?)と振り向くとイリィが小枝を振り回してる先に2メートルくらいの蛇が
カマ首をもたげてイリィに攻撃を仕掛けようとしている。
「ハブ!ハブ!毒蛇!!助けてー!ツクネー!」とイリィ。
キツネはすぐに毒蛇の後ろまで飛び、凄まじく大きな声で「ギャオンギャオン!」と吠える。
毒蛇はそれに驚いて振り返りキツネの方に襲い掛かる。
キツネは狙い済ましたようにそれをうまく横にそらし、ちょうど蛇の首のところに後ろぎみに噛み付く。
首の動きが身動きとれない蛇は身体をキツネに巻きつけしめつけようとするがキツネが噛み付いた顎に
力をいれるとベキッと首が砕ける音をたててそのまま蛇は力尽きた。
「ひゃぁぁー。怖かったよー!」イリィはへたりこんでまた泣き顔を見せる。
(やれやれ。。泣きたいのはこっちやわ。。)とキツネは蛇をくわえたまま毒づいた。
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「とったどー!」
とイリィは先ほどの蛇をジグザグに刺し通した枝を掲げて一人キャッキャッとはしゃいでいる。
「ツクネ!強いねー!これケパノさんとこ持ってったら白焼きにしてくれるねー。」
キツネにとって蛇は獲物の一つで不意を簡単につけるさっきのような状況で狩るのはたいしたことではない。
キツネは何も言う気がおこらなくてかろうじて(そうやな)とだけ答えた。
イリィは蛇をさした枝を掲げて、もう一方の肩には届け物の芋の袋を担ぎ、まるで小さな勇者とでもいう
足取りで意気揚々と歩いていく。キツネは方向は合っているのでその後ろをまるで従者のようにトボトボと
疲れた様子でついて歩いていた。
「あ、あそこ炊事の煙がみえるー!ついたー!」と突然走り出すイリィ。
(コイツ。。またなんかハマるんちゃうか?カンベンしてくれよ。。
次ハマったら干物1個や2個じゃすまさんぞ)とその走り出すのにあわせてついていくキツネ。
森を走り抜けると開けた集落に出る。
その村の真ん中に数人の男たちが集まっている。
その中の一人がイリィに気づき声をかけて走って近寄ってくる。
「イリィ!何してたんだ?怪我ないか?」その若者はロロだった。
「ロロ。なんでここにいるの?」とイリィは来る前に会った漁にでかける準備をしていたロロを思い出し聞く。
「お前が一人で行くのが心配で、漁をほっぽってあの後から追いかけたんだよ!そしたら案の定。。」
途中でいろいろ不安で怖い想いをしたイリィは急にそれを思い出し安心感でロロに抱きつき泣き出した。
「ったく。。世話のかかる奴だ。俺はまた仕事ほっぽらかして来たから親方に叱られるよ。。」
と苦笑するロロ。
「あのね。ツクネに連れて来てもらったんだ。すごいんだ!しゃべれるし、強いよ!」
とイリィがキツネを紹介しようと後ろを振り向くとそこには何もいなかった。
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イリィはその日のうちにケパノに届け物を済ませてロロと二人で自分の村に帰っていた。
そのニ日後。
いつものロロが漁に出る時間の朝。
イリィはロロの親方が来る前のロロとのひとときのおしゃべりを楽しみに来ていた。
「ホントに犬がしゃべるんだよー!強いんだ!ハブを一発でやっつけるし!」と興奮気味のイリィ。
「ハハハ。イリィがそう言うなら一度、会ってみたかったなぁ。」と漁の準備をしながらロロが答える。
(オイ!)と聞き覚えのある声がイリィの頭に響く。
イリィはハッとして後ろを振り向く。
森の方のイリィからは離れた草陰に今までずっと話のネタにしていたキツネが座っている。
「ツクネー!」とイリィはそう叫んであわてて駆け足でキツネのいる草陰の方に走っていった。
「なんだ?イリィの奴。ツクネって。」とロロはイリィの走るほうに目をやると草陰にちょこんと座って
いるイリィが言っていた、いでたちの犬がいることに気づいた。
「なるほど。アイツか。。」とロロも仕事の手をとめてイリィの走っていった方向にゆっくり走っていく。
(約束の干物。もらいに来たで)と言うキツネにダイビングしてくるイリィ。
イリィ「ツクネー!」
キツネ(おま!いきなりタックルしてくんなや!)とダイビングしてくるイリィをひらりと避ける。
ゴン!イリィは避けられてキツネの後ろにあった自分と同じくらいの大きさの石に頭をぶつけた。
頭をぶつけたイリィは少しの間、頭を押さえてううぅ。。とうずくまっている。
(お前、あいかわらずやなぁ)とキツネは以前に見せた笑顔と暑さで舌を出したアホっぽい顔を見せる。
それを横目でチラッと見たイリィは痛さも忘れてそのまま腹をかかえて笑い出した。
そこにロロがたどり着く。
ロロ 「イリィ。お前が言ってた犬ってコイツのことか?」
イリィ「そうだよー。ロロ。すごいんだ!」
キツネ(なんの話してんねん。どうでもええから干物くれや)
イリィ「干物は今は持ってないよー。」
キツネ(なんやて!?フギャー!)
イリィ「ウチまでくればあるけど。。」
キツネ(俺が人の多いとこ行くと捕まって食べられるわ!)
イリィ「うーん。。そうだねー。」
ロロにはイリィが一人で犬に向かってしゃべってるようにしか見えない。
「イリィ。お前、本当にコイツとしゃべれてるのか?」
(この男がお前が言ってたロロって奴か)とロロと同じようにキツネは言う。
「二人でいっぺんにしゃべりかけないでよー!」イリィは珍しく怒鳴った。
イリィにさんざん手を焼かされてる一人と一匹はイリィの爆発にはなぜか弱かった。
一瞬で黙ってしまった。
「ロロー。今日持ってきたのと他にも何個か干物持ってるよねー?」とイリィ。
「ああ、あるぜ。日持ちするからな。腹へった時のためとっといたやつがある。それがどうした?」
「ツクネにやってよー。また今度もってくるから。ツクネは干物が大好きなんだ。」と答えるイリィ。
(俺は干物ならなんでもええ!クレクレ!)とキツネはせかす。
「じゃあそれでいいね。ツクネー。」とイリィ。
ロロの漁用の網を少しわけてもらってその中にキツネ一匹が持ち歩くには多いくらいの干物を
つめこんでキツネはそれをイリィに背に担がせてもらっていた。
キツネ(おお!大漁大漁!ありがとさん。じゃあ行くわ)
イリィ「ありがとう。ツクネー。」
キツネ(あ、おう。ところでお前の名前はなんちゅーねん?)
イリィ「イリラニ。イリィってみんな呼んでるよー。」
キツネ(ありがとうな。イリィ。元気でな。あとロロもな)
「ロロも元気にだって。」とイリィ。
「おう。イリィのことで世話かけたな。ツクネ。またな!」とロロ。
(どうでもええけどツクネちゃうねんけどな。。)とキツネ。しかしロロには聞こえない。
そこに親方が不機嫌そうに出てくる。
「こらぁーー! マロロ!!またサボってやがんのかっ!」
「やべぇ!行かないと。イリィも家に帰れ!じゃあな!」とロロは駆け出して行った。
「またね。ツクネー!」とイリィも駆け出して行った。
二人が走り去るとキツネも元の来た森の方向へと走って行った。
少年とキツネが別れると辺りには日は照っているのに雨が降り出した。
その天気雨はしばらくは続いたが降り止むと日はさらに勢いよく照りつけだした。
それはまるで、友人との別れをひととき惜しみ、また日々の生活に戻るときの感覚にも似ていた。
イリラニ 終。
今から200年近く前の太平洋。
赤道からほど遠くないどこかの諸島群。
そこに村がありその村の長に仕える家の子で8歳になる男の子がいた。
朝、日が昇り人々が日々の糧のために動き出している頃。
その子とその母親があわただしくしている。
「イリィ!ケパノさんとこ、ちゃんとわかってるのかい?本当に一人で行けるのかい?」母親が言う。
「はーい。言ってきまーす!」と母親から芋が入った麻か何かで紡いだ袋をぶんどる。
イリィは元気に返事して外で干してあった小魚や魚介類の干物の何個か弁当用に腰布にはさんで出かけて
行った。この村でとれた芋をとなり村のケパノという者のところへおつかいを頼まれている。
となり村までは5キロ以上はある。今日は父親も母親も他の者も忙しく手があいてるのはイリィしかいない。
イリィと呼ばれた男の子はいつもうっとおしくいろいろ言ってくる母親から今日は1日離れられると
喜んで出かけて行った。
「おはよう。イリィ!今日はお供え物の交換の日かぁ?」
浜辺を歩いてるイリィに声をかける若い男がいる。
「ウンー。ケパノさんとこまで行くんだ。ロロはこれから漁いくの?」
ロロと呼ばれた若者は浜辺でカヌーを海に向けて押しながら答えた。
「おう。今日もたくさん獲ってくる。後でお前ンちにも持っていくからな!」
「ありがとう。またねー!」とイリィ。「おっと、おいおい一人で大丈夫か?」と心配そうなロロ。
ロロの声も聞かず手を振りロロと別れる。どんどん歩くイリィ。
何回か父親やその使いの者とケパノの村には行ったことはあったが今日は初めて一人で行く。
イリィは普段の踊りの稽古や家の手伝いとは違ってちょっとした冒険気分でウキウキしていた。
イリィは素直だが好奇心旺盛ですぐに他のことに気をとられたりした。
返事はいいが話を聞いてなかったりそういうところが少々あった。
彼の年齢を考えるとそれはそれでそういうものなのだろう。
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ケパノの村に向けて1時間も歩いた頃。
「ええっと、こっちがこーでこれでいいね。そうそう!ここから森に入る。ウンウン。」
独り言を言いながらイリィはさっそく道に迷ってることにわかっていなかった。
普段から家の近くでの手伝いと踊りの稽古だけしかしてない上、8歳という年齢だと仕方ないことだった。
「まあいいっかー。少し休もーっと。」といいながら海岸沿いに来て後ろが森のところの浜辺で座り、
腰の干物を取り出し食べる。が。ノドが渇く。仕方ないので近くの椰子の実をとろうと登る。
降りられない。。
登るのは得意だけど降りるときは手伝ってもらってたのを気づいた。
今にも泣こうとしたふと下を見ると犬みたいな動物がさっきの食べかけの干物をガツガツ食べてるのが見えた。
「コラァ!おまえ!犬ー!何、オイラのメシを食べてんだよぅ!!」
泣くより先に怒りがこみ上げてきた。
(へ?落ちてたのを食べてるだけやん)
「え?」とイリィは耳を疑った。
その犬はこっちを見上げている。
(ごっつうまいやん!これ)
とまた、食べかけの干物にがっつく。
「え?え?」イリィはさらにわからなくなった。
うろたえてるうちに椰子の木から落ちた。ドシン!
下は砂地でそんなに大きな椰子の木でもなくイリィ自身も身体が小さいので怪我はなかった。
それでも少しの間、お尻から落ちてしまったイリィはううぅ。。とお尻をさすっていた。
それにも逃げずにあいかわらず干物をガツガツ食べている犬。
さらに尻もちついたイリィから飛び出した腰に挟んでた他の干物にも食いつく始末。
(なんや?俺の声が聞こえるみたいやな?)
がっつきながらその犬は言う。
イリィは少し痛みが鎮まると、泣き顔で砂を投げつける。
「なんだコイツ!どっか行け!シッ!シッ!」
(わかったわかった。全部食ったらどっか行くわ)
イリィはなんで動物がしゃべれるの?おかしいぞ?と思ったが、この生き物は犬じゃなかった。
よく見るとちょっと姿が違ってると気づいた。
イリィ「なんなの?おまえ?」
(俺か?俺はキツネっていう動物らしいで)
そう言うその動物は見事な黄金色をした毛並みで耳がとんがり犬よりも口吻も細くつきでていて、
尻尾も袋状にフサフサした物をもっていた。身体もそこらの犬より一回り程小さく、少し胴長い。
その動物は答えながらもあいかわらずイリィがぶちまけた干物をがっついていた。
(それにしてもここ暑っついなぁ。。死ぬわ!)とそのキツネが答える。
イリィ「ツクネ?」
(そうそう、あの鳥の肉をミンチにして丸めて焼いた奴。って時代も場所もちがうやろっ!)
食べ終わったその動物は人間っぽいゲップをしながら答えた。
(水。水いるわ!お前もいんねやろ。ついてこい。こっち)
と、キツネと名乗る動物は森の方に走っていった。
イリィはノドが渇いていたのと好奇心でなんのためらいもなくついていった。
森の方へ1分も走ってついていくと湧き水があるところにたどり着いた。
(さっきのうまい食べ物。食べれば食べるほどノド渇くなぁ)
「干物好きなの?」一緒にゴクゴク湧き水を飲んだあとイリィは聞いてみた。
(初めて食べた。ごっつうまいな!あれ。干物っていうんや)とキツネは答える。
そこで弁当用の干物を全部食べられたことを思い出したイリィはムカムカしてきて言った。
「犬!オイラのメシを全部食べちゃったじゃんか!くっそ!お前を食べてやる!」
(フギャー!)となんの警戒感もなくそばにいたキツネは尻尾をつかまれる。
逃げようとするけど尻尾をつかまれている。
(わかったわかった!俺が悪かった。やから尻尾はやめて)とキツネは懇願する。
「しゃべる犬!お前がケパノさんとこまでついてってくれるならやめる。」とイリィ。
(誰やねん!ケパノって!知らんわ!)と答えるそのキツネの尻尾をギュッと握るイリィ。
「ケパノさんはケパノさんの村にいるに決まってる!」泣き顔で答える。(痛いちゅーねん!)とキツネ。
握る力がだんだん弱まってきたのと同じにイリィは泣き出した。
なんとなくいたたまれなくなったキツネは仕方なく(わかったよ。なんや知らんけど手伝うわ)と答えた。
「ほんと?マジで?ありがとう!」イリィは泣いてたのはどこへやら。明るい笑顔で答えた。
(ケッ!さっきの干物ってのか?うまかった礼や!でも後で、もっかいもらうで?)とキツネも答える。
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そういうわけで。
熱帯に近い島で腰布だけを巻いた褐色の肌の少年と、その少年と会話できるこのような島では場違いな
キツネは道中を一緒することになった。
一人と一匹は森の中を歩きながら、少年は途中で拾った葉をとった枝をぶらぶら振り回しつつ
興味深々にキツネに聞く。母親から預かった芋の袋はもう片方の手で肩に担いでいる。
「犬。なんで話せるの?どこから来たの?いったいお前はなんなの?」
(ちょ!イッキに聞かれても困るわ。それよりここはなんつー暑さや!)とキツネ。そして続ける。
(話せるとかは俺も初めてやわ。人と話せるとは思わんかった。どこからってのは海の向こうや)
「ふーん。。あっ、ここの木を曲がる。」とイリィ。
(お前、話聞いてないし。。それにホントに道わかっとんのか?)とキツネ。
「うん。大丈夫!」とイリィ。
心配になってきたキツネはイリィに何か行き先でもらったものかないか聞いてみた。
「えー?そんなのないよぅ。あ、でもあるかも?」とイリィ。
(どっちやねん)とキツネがツッコむ。
立ち止まったイリィは芋の入った袋をごそごそ探りだした。
「あった!これ、ケパノさんとこの村の木でできた札。」
と言うと何か削ってしるしをつけた蒲鉾板くらいの札を取り出した。
(貸せ!)とキツネはイリィの手からその札をくわえとる。
「痛っつ!なにすんだ!犬!」と手にしていた、たいして大きくもない枝でペシペシとキツネを叩くイリィ。
その札をフンフンとニオイをかいでいるキツネは(痛い!痛いっちゅーねん!)と言いながらも
ニオイを覚えようと必死に嗅いでいた。
その必死に嗅いでるのに気づいたイリィは叩くのをやめて「ごめん。。」と謝る。
(だいたいニオイはわかったわ。うん?何をうつむいてんねん?こっちや)
と、キツネは進んでた方向とは反対の方に歩きだした。
「待って!」と札を拾って袋に入れなおすと少年はキツネを追いかけて行った。
(お前、全然方向ちゃうやんけ)とキツネが言う。
「そう?」とあいかわらず枝をぶらぶら振り回しながらイリィは言う。
そして突然「勝負だ!ツクネ!かかってこい!ヤーヤー!」とその枝をキツネの方に向けて構えてみる。
そのあと一人でキャッキャッと笑っている。
キツネはえらいやつに関わってしまったというような気持ちでそんな少年を無視してどんどん進む。
イリィはキツネについて森の中を歩いていきながらもチョロチョロと右や左の近くの虫や草木を
見てはうれしそうに騒いでいた。
(はぁ。。俺、何やってんねやろ。。俺はこいつの保護者か)
キツネはそうブツブツ言いながらニオイの方向に向けて進んでいた。
小一時間も歩いたころ、いきなり後ろをついてきてるはずのイリィが「ひゃあぁぁぁー!」と
叫び声を上げたと同じにガラガラガラ。ドスンという音が聞こえた。
(なんや!?今度はどうした!?)とキツネは後ろを振り返りイリィがいないのをみて辺りを探した。
芋の袋だけみつけたその先は低い崖になっていてその下をのぞくとイリィが倒れていた。
(アホンダラ!あっちこっちチョロチョロしてるからや!)とすぐキツネは崖を下り降りる。
(おい!大丈夫か?)と顔をペロペロなめながら言う。
少しすると少年は目を覚まし「痛い。。」と腰をさすりながら起きた。
(怪我はないんか?)と心配したキツネが問う。
「うん。大丈夫。でも痛ったぁ。。少し擦りむいた。」泣き顔で返事するイリィ。
(それにしてもよく落っこちる奴やなぁ)
「うるさい!」とキツネに向かって拳を振り上げるイリィ。
(うへっ!それだけ元気あるなら大丈夫やな)と飛びのいて嬉しそうにキツネは答えた。
その飛びのいたときの嬉しそうでしかも暑さで舌をだしてるキツネの顔がアホっぽく見えたイリィは
おかしくなって急に笑い出す。(チッ。。ほっとけや)キツネはスネてしまった。
日も正午にさしかかりもう目的の村まではあと少しのところだった。