考えるというと、どちらかというと静かな、動いていないイメージがありますが、
はたして動かずに考える姿勢・態度というのは考えるやり方として効率のいいものなのでしょうか。
まず何を考えるのかというところから話を始めなければなりません。
1:今日の夕飯の献立を何にするか
2:来月の計画をどう立てるか
3:教授からのメールにどのようなメールを返すか
4:明日は休日だが特にしたいこともしなければいけないこともないが、どのような一日を過ごすか
5:もう就活の時期だが、どのような業界を目指してどのような就活をしようか
6:大学院に行きたいが学びたいことや進学先もまだ決まっていない、
誰に相談すればいいかもわからない、どうしよう
7:名古屋の企業と静岡の企業のどちらかに就職ができる。
地理的条件以外は待遇は変わりないようだ。どちらにいこう
☆考える材料があるか・ないか
考える材料があるということはつまりゴールが見えているのとかなり近いわけで、
材料から自分の考え方が導く道に従って考えを進めていけばいいわけです。
例えば1の夕飯の献立については、冷蔵庫に何が入っているか、何を食べたい気分か、
このごろあまり摂取していない栄養素は何か、スーパーでは何が安いかなどの考える材料があれば、
あとはそれに合致した料理で自分が作れるものを選んだり調べて作ればいいわけです。
それに対して考える材料がない場合、少し話が複雑です。
例えば4の休日の過ごし方については、いくら趣味があっても少し飽きることもありますし、
本を読む気にもなれないし、何をしたら楽しいのかわからないという状況で、
往々にしてこの悩みに回答を出せないまま休日を迎えると
一日だらだらしてしまったりします。
ではいったいどうすれば「休日をどう過ごすか」という難問に回答を提出できるか考えてみましょう。
まず充実した休日というものを定義する必要があります。
例えば「休みじゃないとできないことをして、楽しく1日を過ごす」と漠然と定義しましょう。
(漠然としか定義できない状態にあるからこそこれが難問であるわけです)
「休みじゃないとできないこと」「楽しく」この2つにヒントが隠されているかもしれません。
休みじゃないとできないということは、時間が長く必要ということに一義的にはなります。
そうすると旅行とか遠出とかが頭に思い浮かぶでしょう。
旅行が楽しいとはどういうことかというと、これは人によりますが、
旅行先や道中での発見、出会い、リラックス、などなどといったところでしょうか。
もっと簡単なのは友達を誘っていくことで、ともに時間を楽しく過ごせる友達となら旅行しても楽しいでしょう。
これでひとつ「友達と旅行に行く」という回答が出ました。日帰りでもいいでしょう。
でも、もし誰とも休みがかぶらなかったらどうでしょう。
それでも一人で旅行にいくならそれはそれで楽しいと思います(楽しむ感受性や楽しいことを旅先で「起こす」勇気があればの話ですが)。
ではいかないとしたら、旅行が満たしてくれた「時間が必要」という要素に工夫を加えるか、
楽しいという要素に焦点をあてるしかありません。
まず時間が必要という要素、つまり「時間がかかること」を旅行以外に考えてみましょう。
読書、本格料理、トレーニング、長風呂、工作、絵画、大掛かりな掃除、などなど。
これらの中から「楽しさ」の要素をもっともよく満たすものを選ぶ、
もしくはこれらに「楽しさ」を付け加える工夫をすることができます。
例えば、「絵画」に工夫を加えるとしたら、誰でも参加できるデッサンのコースがないか探して、
それに飛び入り参加もしくは事前に連絡しておいて参加してみる、とか。
一人で黙々と絵を描くより楽しいかもしれません。
本格的な料理を材料から何からなにまでこだわって作るだけでずいぶん楽しいと思いますが、
それを休みがかぶらなかった友人に仕事の後に振舞ってあげたら喜ばれるかもしれません。
次に「楽しい」要素に焦点を当ててみましょう。時間がかかるかどうかは別にして、例えば、
お笑い番組を見る、面白いバーテンダーのいるバーにお酒を飲みにいく、音楽を聴く、映画を見る、
異性と話す、などでしょうか。
一つ一つはそんなに時間がかからないかもしれませんが、例えばこれを全部してもいいわけですし、
ひとつだけでも少なくとも何かひとつ楽しいことをしたんだと思えれば夜はぐっすり眠れでしょう。
先日、私がバイトの休憩中にすることがなくて喫煙所にいってみたところ、
外国人らしき男性が二人いらしたので「タバコあります?」と聞いたところ快く一本くださり、
しばらくの間世間話や私の旅行先での話をしたりして楽しく休憩できました。
さて、ここまで休日の過ごし方を考える考え方について考えてきましたが、
本当にこのようにうまくいくものでしょうか。おそらくこれではまだ不十分だと思います。
なぜかというと、まさに、今まで私が例示してきたアイディアは「だらだらする」ことを許容しないからです。
そもそもの出発点は「休日をどう過ごそうか」という悩みですが、
このような悩みが難問である時点で、明らかにその人の「体」がにぶっています。
だらだらすること以外のすべてのことは体を使って行わなければなりません。
それゆえに、体がにぶっている状態でどのようなことを考えても、
「今の体のにぶった私にはできそうにないしなぁ」という感覚が先にきてしまい、
アイディアは没になってしまいます。
つまり、一番最初の問い、すなわち
「動かずに考える姿勢・態度というのは考えるやり方として効率のいいものなのでしょうか」
に対するひとつの回答が得られました。
回答「動かずに考えることは可能だとしても、思索の結果に対する判断が思索の目的に合致しないという点において、動かずに思索することが効率がよくないというケースは容易に想定できる」
ずいぶんもったいぶった形になりましたが、つまり体をしっかり動かして考えないといつまでも考えているままになってしまいますよということです。意外と、「だらだらする」というのはこの状態のことをいうのかもしれませんね。
さて、次は川村君がイギリスでの短期滞在の経験について語ってくれるそうです。
Ci vediamo.
はたして動かずに考える姿勢・態度というのは考えるやり方として効率のいいものなのでしょうか。
まず何を考えるのかというところから話を始めなければなりません。
1:今日の夕飯の献立を何にするか
2:来月の計画をどう立てるか
3:教授からのメールにどのようなメールを返すか
4:明日は休日だが特にしたいこともしなければいけないこともないが、どのような一日を過ごすか
5:もう就活の時期だが、どのような業界を目指してどのような就活をしようか
6:大学院に行きたいが学びたいことや進学先もまだ決まっていない、
誰に相談すればいいかもわからない、どうしよう
7:名古屋の企業と静岡の企業のどちらかに就職ができる。
地理的条件以外は待遇は変わりないようだ。どちらにいこう
☆考える材料があるか・ないか
考える材料があるということはつまりゴールが見えているのとかなり近いわけで、
材料から自分の考え方が導く道に従って考えを進めていけばいいわけです。
例えば1の夕飯の献立については、冷蔵庫に何が入っているか、何を食べたい気分か、
このごろあまり摂取していない栄養素は何か、スーパーでは何が安いかなどの考える材料があれば、
あとはそれに合致した料理で自分が作れるものを選んだり調べて作ればいいわけです。
それに対して考える材料がない場合、少し話が複雑です。
例えば4の休日の過ごし方については、いくら趣味があっても少し飽きることもありますし、
本を読む気にもなれないし、何をしたら楽しいのかわからないという状況で、
往々にしてこの悩みに回答を出せないまま休日を迎えると
一日だらだらしてしまったりします。
ではいったいどうすれば「休日をどう過ごすか」という難問に回答を提出できるか考えてみましょう。
まず充実した休日というものを定義する必要があります。
例えば「休みじゃないとできないことをして、楽しく1日を過ごす」と漠然と定義しましょう。
(漠然としか定義できない状態にあるからこそこれが難問であるわけです)
「休みじゃないとできないこと」「楽しく」この2つにヒントが隠されているかもしれません。
休みじゃないとできないということは、時間が長く必要ということに一義的にはなります。
そうすると旅行とか遠出とかが頭に思い浮かぶでしょう。
旅行が楽しいとはどういうことかというと、これは人によりますが、
旅行先や道中での発見、出会い、リラックス、などなどといったところでしょうか。
もっと簡単なのは友達を誘っていくことで、ともに時間を楽しく過ごせる友達となら旅行しても楽しいでしょう。
これでひとつ「友達と旅行に行く」という回答が出ました。日帰りでもいいでしょう。
でも、もし誰とも休みがかぶらなかったらどうでしょう。
それでも一人で旅行にいくならそれはそれで楽しいと思います(楽しむ感受性や楽しいことを旅先で「起こす」勇気があればの話ですが)。
ではいかないとしたら、旅行が満たしてくれた「時間が必要」という要素に工夫を加えるか、
楽しいという要素に焦点をあてるしかありません。
まず時間が必要という要素、つまり「時間がかかること」を旅行以外に考えてみましょう。
読書、本格料理、トレーニング、長風呂、工作、絵画、大掛かりな掃除、などなど。
これらの中から「楽しさ」の要素をもっともよく満たすものを選ぶ、
もしくはこれらに「楽しさ」を付け加える工夫をすることができます。
例えば、「絵画」に工夫を加えるとしたら、誰でも参加できるデッサンのコースがないか探して、
それに飛び入り参加もしくは事前に連絡しておいて参加してみる、とか。
一人で黙々と絵を描くより楽しいかもしれません。
本格的な料理を材料から何からなにまでこだわって作るだけでずいぶん楽しいと思いますが、
それを休みがかぶらなかった友人に仕事の後に振舞ってあげたら喜ばれるかもしれません。
次に「楽しい」要素に焦点を当ててみましょう。時間がかかるかどうかは別にして、例えば、
お笑い番組を見る、面白いバーテンダーのいるバーにお酒を飲みにいく、音楽を聴く、映画を見る、
異性と話す、などでしょうか。
一つ一つはそんなに時間がかからないかもしれませんが、例えばこれを全部してもいいわけですし、
ひとつだけでも少なくとも何かひとつ楽しいことをしたんだと思えれば夜はぐっすり眠れでしょう。
先日、私がバイトの休憩中にすることがなくて喫煙所にいってみたところ、
外国人らしき男性が二人いらしたので「タバコあります?」と聞いたところ快く一本くださり、
しばらくの間世間話や私の旅行先での話をしたりして楽しく休憩できました。
さて、ここまで休日の過ごし方を考える考え方について考えてきましたが、
本当にこのようにうまくいくものでしょうか。おそらくこれではまだ不十分だと思います。
なぜかというと、まさに、今まで私が例示してきたアイディアは「だらだらする」ことを許容しないからです。
そもそもの出発点は「休日をどう過ごそうか」という悩みですが、
このような悩みが難問である時点で、明らかにその人の「体」がにぶっています。
だらだらすること以外のすべてのことは体を使って行わなければなりません。
それゆえに、体がにぶっている状態でどのようなことを考えても、
「今の体のにぶった私にはできそうにないしなぁ」という感覚が先にきてしまい、
アイディアは没になってしまいます。
つまり、一番最初の問い、すなわち
「動かずに考える姿勢・態度というのは考えるやり方として効率のいいものなのでしょうか」
に対するひとつの回答が得られました。
回答「動かずに考えることは可能だとしても、思索の結果に対する判断が思索の目的に合致しないという点において、動かずに思索することが効率がよくないというケースは容易に想定できる」
ずいぶんもったいぶった形になりましたが、つまり体をしっかり動かして考えないといつまでも考えているままになってしまいますよということです。意外と、「だらだらする」というのはこの状態のことをいうのかもしれませんね。
さて、次は川村君がイギリスでの短期滞在の経験について語ってくれるそうです。
Ci vediamo.