
東京都新宿区喜久井町の
「感通寺」
感通寺御首題
4月10日まで感通寺の笹部桜が見頃を迎えライトアップが行われました。
それに合わせて頒布されました。
寂陽院日建上人によって、寛永七年(1630年)に創建されました。
⼭号は「本国⼟妙」より本妙⼭、寺号は「感応道交・神通之⼒」より感通寺とされています。
松平越後守の下屋敷高田御殿後にあり、衆生に機縁があれば、仏の力が自然に応じて、衆生の感と仏の応とが互いに相通じ相交わるとの願いが込められた寺院です。
安置の毘沙門天の霊像は、越後上杉謙信公が深くこの霊像を尊敬し相伝され、謙信公が天正六年に卒すると共に奥州米沢の城に遷座されましたが、徳川将軍の時代となり、髙田様入府の折、かの霊像を越後少将松平忠輝公とその御母君により当寺に勧請したとされています。
この霊像は、日蓮大聖人が佐渡より勘気赦免となり越後高田に来られた時、一人の翁が顕れ、夜半に迷われた大聖人の頭陀袋を持って案内しました。
真言宗の寺院に導かれ宿しましたが、先程の老翁が見えないのでお尋ねになると、神壇の多聞天即ち毘沙門天が先の頭陀袋を背負い、足に泥をつけて立っていたので、さては多聞天であったかと知り、この導きに法楽の誦経を捧げました。
寺主もその導きに感じ入り大聖人の法門に帰依されました。
この故事より「開運出迎泥足(でむかえどろあし)毘沙門天」と呼ばれています。
法華経陀羅尼神呪の感応道交の利益は不思議であり、苦しむ衆生を救う変化の人となるとして、今も霊験あらたかな毘沙門天として信仰されています。
見頃の笹部桜
すばるくん
位置情報
東京都新宿区喜久井町39