
栃木県益子町の
「西明寺」
西明寺御朱印
閻魔様の1・2月限定御朱印(2月24日まででした)
737年に行基菩薩によって創建され、堂宇は古代豪族紀氏の血筋の人物と思われる紀有麻呂によって建立されました。
なお、寺の名前は山号・院号・寺号から成り立ちますが、西明寺のように普門院を称する寺は観音菩薩を本尊とするところが多く、西明寺では十一面観世音菩薩を本尊としています。
創建から約50年後の782年には、西明寺の管轄する坊の数は12にもなり隆盛を極めたものの、1127年に兵火の被害に遭ってしまい、堂・塔・そして12坊とも全て消失し、これが再興されたのは、それから約50年がたった1178年のことでした。
その後は、九州平定に尽力した宇都宮景房による本堂の修理、鎌倉幕府第5代執権を務めた北条時頼により七堂伽藍が再興されましたが、1361年に再び兵火の被害にあいます。
現在西明寺で見られる堂宇はこの後に建立されたもので、主な堂宇は1394年に益子直勝が再建、1492年には楼門が建立され、1538年には三重塔が建立されました。
1701年に大改修が行われてほぼ現在のかたちとなり、1714年には閻魔堂が建立され、1722年には鐘楼が再建されて今に至ります。
楼門、三重塔、本堂、そして閻魔堂といった建物は300年以上の歴史を誇るもので、国・県・町の文化財に指定されています。
楼門(1492年建立)
閻魔堂(1714年建立)
扉が開いているので閻魔様をよく拝められます。
三重塔
本堂
位置情報
栃木県芳賀郡益子町益子4469